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第七話

 聖騎士の朝は早い。王都で一番早起きだろうパン屋よりも、少しだけ遅い時間に起床して朝食を摂る。食事の時間は、彼らに与えられた数少ない自由な時間だ。殆どの人間がそれぞれ仲の良い者と同じテーブルを囲み会話を楽しみつつも食事をする。その後は昼食まで剣術や体術といった武術の実践訓練が行われる。それから昼食を経て午後は神聖術などの座学を行い、夕食を摂って僅かな自由時間の後、就寝する。


 そんな生活を聖騎士になって以来、二月ふたつき程イリスは続けていた。正確には他の聖騎士よりも早く起き、剣術の自主練習まで行っていた。朝早いのは彼女にとってそれ程、苦痛ではない。ゾルベルク城で暮らしていた頃も彼女は同じ時刻には起床し、剣術を磨いていた。ルーカスの指導を受けながら。そしてルーカスが城を去ってからもその日課を変えなかった。聖騎士になる、ただその願いを叶える為に。


(……だから、今に感謝しなければいけないのに)


 聖騎士になれた、その事実だけで彼女には奇跡のように思えた。朝の自主練習も午前の武術訓練も辛くないと言えば嘘になるが充実感を持って向き合っていた。けれど、そんなイリスが苦痛に思う事がいくつかあった。そして、今はその苦痛の時間……朝食の時間だった。


(……どうして、同じテーブルにこいつがいるのよ?)


 清々しい朝の整然と長机と椅子が並べられている食堂。イリスの目の前の机の上にはサラダとパンとスープが木のお盆の上に並んでいた。彼女の隣にはルーカスが何時も通り穏やかな表情で朝食を摂っている。そこまでは、いいのだ。けれど、その向かいに仏頂面をして朝食を摂る男……クリスティアンがいる。彼こそがイリスの苦痛の根源だった。


 気が付けば食事の度にに彼の仏頂面を拝む羽目になっていた。折角の食事をここに来て以来、彼女は楽しめた事がなかった。それでもクリスティアンに誰か他の人間と朝食を摂れと言えないのは、同じ言葉を返されるとイリス自身が返答に困るからだ。二月ふたつきも経つというのに、未だにルーカス以外親しい知り合いは居ない。もっと言うならルーカスとクリスティアンとラルフ以外と会話する機会は、ほとんどなかった。


 どうやらあの日の食堂での出来事は悪い噂となって周囲に伝わったらしい。数少ない女性の聖騎士すらイリスを遠巻きに見ている。そんな訳で未だにクリスティアンに何も言えないまま、イリスは彼と毎食毎まいしょくごとに顔を合わせる事になってしまっていた。


 思わず溜息が零れそうになるのを彼女は必死に飲み込む。……前に溜息をついた時にクリスティアンに嫌味を言われた事を思い出して。苦い記憶を掘り起こした彼女の耳がクリスティアンの声を拾った。


「そういえば、次の遠征先聞いたか?」

「オルデンリング領のラッシュリンゲンでしたか?」


 また嫌な話題を……と内心眉を顰めながら、イリスは仮面のような無表情を貫いた。前に表情に出した時に意地悪く口角を上げたクリスティアンを思い出して、思わずサラダへと乱暴にフォークを突き立てた。


 オルデンリング領は王領と南部を隣する伯爵領だ。魔族が南東から侵攻してきている為に派遣先としては東部のグリフハイム領と同じく頻度の高い場所だ。それはいいのだが……。


「で、お嬢様フロイラインの初陣はまだなのか?」


(嫌な男っ……!)


 彼女がずっと抱えていた痛い部分をクリスティアンが突く。聖騎士軍に入って二月になるが、彼女は未だ初陣を迎えていない。

 ここで何か言ったら負けだ、とイリスは無視を決め込んでザクザクとサラダを突き刺し、行儀を気にせず口に無造作に放り込む。ルーカスが視界の端で心配そうに自分を見ているのが映るが、気に掛ける余裕は今の彼女には無かった。


「あぁ、まぁ小競り合い位じゃ、伯爵令嬢フォン・ゾルベルグの初陣には役不足か」

「私は……イリス・ゾルベルグよ」


 叫びたくなるのを必死に押さえて、何度目かの台詞をイリスは言う。呟くように小さい自分の声に、イライラとイリスの心は更にささくれ立った。口に入れたサラダが酷く味気ない。それでも何とかサラダを咀嚼して残りのスープとパンを詰め込む。……食事を残した時のクリスティアンの冷たい視線を思い出しながら。そして出来るだけ早く全てを胃に収めると彼女は立ち上がった。


「ご馳走様。先に行くわ」


 心配そうなルーカスの視線と何も読み取れないクリスティアンの視線と……それから彼女達を遠巻きに見つめる周囲の視線と。それら全てから逃げるように食堂の扉を開いて廊下へと急ぐ。そして廊下に誰も居ない事を確認してから、壁に背を預けしゃがみ込んだ。長い黒髪が彼女の表情を隠す。押し殺していた溜息をようやく吐き出した。そして左手でくしゃりと手で髪を掻き乱す。右手が上衣の下に隠したペンダントを探す。その双眸には苦みがありありと宿っていた。


(……私は)


 どこまで行けば伯爵令嬢フォン・ゾルベルグではなくなるのだろう? そんな栓の無い事をイリスは考えた。それから目を閉じて緩くかぶりを振った。暗くなる思考を追い出す。


(諦めるのは早いわ……まだ私は、何もしてない)


 イリスはのろのろと立ち上がると、ラルフの部屋を目指し歩き出す。ゆっくりと、けれど確かな足取りで。……ずっと怖くて聞けなかった事を今日こそ聞く為に。

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