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第四話

 カーテンの隙間から柔らかな朝の日差しが差し込んでいた。イリスは質素なベッドから身を起こす。そこは見知ったゾルベルグの自室の4分の1も無い部屋だった。狭い部屋にベッドと同じく質素で機能的な家具が数点置かれている。余計な物が無いのはルーカスらしいとイリスは少し微笑んだ。それから、また彼に迷惑を掛けてしまったと溜息をつく。


 あの後ルーカスは彼女を自室に案内してくれた。そして自分は見張りの仕事があるので、と心配そうな視線をしつつも部屋を出て行った。見張りの仕事というのは、たぶん嘘ではないだろう。けれども真実でもないとイリスは思っていた。……一晩中交代も無い事は、きっと無い。きっと彼をただしたなら『主人と同室で眠ることなど出来ません』と困ったように微笑むのだろう。あれでいてルーカスはなかなか頑固な所があるのだ。そして、きっと問い質した所でその考えを曲げる事は無いだろう。イリスはもう一つ溜息をつく。


「おい、ルーカス」


 その瞬間ノックも無しにドアが開かれた。現れたのは昨日エントランスで出会った青年……クリスティアンだった。イリスの姿を認めて彼は少し目を開く。


「何でお前がここに居る?」

「……部屋が無いから泊めて貰ったのよ」


 真実には程遠い、けれど嘘とも言い切れない言葉でイリスは彼の問いを濁す。バツの悪さが胸中に広がって行った。そんなイリスの言葉からクリスティアンは彼女の隠したかった事実ことを拾い出す。


「ルーカスを追い出して、か」


 クリスティアンが口の端を上げて皮肉な笑みを浮かべる。細められた青い目には紛れもない侮蔑ぶべつが宿っていた。目を背けようとしていた事実に胸が痛んで、イリスは俯いた。そう……どうつくろおうと彼女はルーカスを追い出して部屋を占有せんゆうしたのだ。それは決してめられる行為では無い。


(宿に泊まるべきだったわ……)


 はやる気持ちを抑え切れなかった。そんなイリスの我儘わがまま皺寄しわよせをルーカスは受けたのだ。ルーカス本人は何とも思わなかったとしても周囲から見れば理不尽な事だろう。何が伯爵令嬢の地位フォン・ゾルベルグは捨てて来た、だ。……これでは唯の我儘な令嬢のままではないか。


「……そうよ」


 俯いたまま苦く肯定したイリスにクリスティアンは片眉を上げた。意外だと、ありありとクリスティアンの顔に書いてあるのを見て取れて、イリスは眉をひそめた。何をそんなに驚く事があるのだろう、と思う。けれど同時に彼が何を驚いているかも分かって、イリスの機嫌は下降する。


「私の顔に何か付いてるかしら?」


 十中八九、彼もまた彼女を伯爵令嬢として見ているのだ。我儘なお姫様。昨日出会ったばかりの彼がそんな判断を下しても仕方が無いと分かっていても、イリスの声は冷たい物になった。それから自分自身のその態度に胸中で溜息を零した。我儘なお姫様……今それを指摘されたばかりだと言うのに、彼を責める事が自分には出来るのだろうか?


「いや……じゃあな」

「待って!」


 背中を向け立ち去ろうとするクリスティアンをイリスは呼び止める。クリスティアンは嫌そうな目でイリスを見た。その顔には、もう嘲笑ちょうしょうさえ浮かんでいない。ただ面倒だと瞳が語っていた。それを見てイリスは唇を噛んで逡巡する。左手が無意識に髪を掻き乱す。右手が胸元のペンダントに触れる。それから自分に嫌悪感を抱いている人間に願い事をしなければいけないという現実に溜息をついた。それも願いを聞いてくれる可能性が低いとなれば尚更、溜息は深くなった。けれど、どれほど嘆こうとも今頼れるのは目の前の男しか居ないのだ。それが、どれほど不本意であろうとも。


「ルーカスは……何処に居ると思う?」


 その一言を吐き出すようにイリスが口にするとクリスティアンは口の端を持ち上げる。双眸に意地の悪い光が宿っている。純粋な悪意ではない、からかうような光。それを見てイリスは嫌な予感がした。聞かなければよかった、と咄嗟に思う。


「お願いするなら、それなりの態度って物があるんじゃないか?」


(……っ、嫌な男!)


 クリスティアンの言葉にイリスは息を飲んだ。全身に怒りが駆け巡る。けれど彼女は一つ深呼吸して、右手でペンダントに触れる。そして、その怒りを押し殺して見せた。隠し切れない怒りが彼女の目を燃やし、その美貌が凄味を増す。クリスティアンが息を飲み片眉を上げた。


「ルーカスの居場所に心当たりがありましたら、お教え願えませんか?」


 そう言ってイリスは唇だけ微笑みをのせる。それは伯爵令嬢としての彼女の笑みだった。美しくも冷たい、人形のように作り物じみた微笑み。瞳にかすかに揺らめく怒り以外は完璧な仮面を彼女はまとう。


 そんな微笑みを受けてクリスティアンは皮肉ではない笑みを浮かべる。それもまた彫像のような作り物めいた微笑みだった。それでも甘い微笑みに騙される人間も多いだろうと思いながらも、イリスは内心で首を傾げる。……どうして彼はこの表情かおを出来た?


「それではご案内させて頂きましょう、お嬢様フロイライン


 クリスティアンが流れるようにお辞儀をして、手を差し出す。ルーカスの物よりも更に洗練された動作にイリスは確信した。……彼もまた、貴族なのだと。

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