動き
ユージンは、書斎の窓辺からポーチの張り出した庭を眺めながら、厳しい表情をしていた。ルシアスは反対側のテーブルを挟んだ壁際のソファーに腰を下ろしている。
ユージンの後ろ姿を背筋を伸ばして見つめていた。出されたお茶には口を付ける様子はない。
「それで……俺にどうしろと言うんだ?」
押し殺した声音でユージンは訪ねた。
「我々の下に一緒に来て下さい。ブルーノ隊長も望んでいる。我々にはあなたの力が必要だ」
ルシアスは静かに続けた。
「レイズヴァーグが不穏な動きを見せている今我々も黙ってはいられない。時は──満ちたのだと。そのために俺が来ました」
「…………」
「グレン隊長」
ユージンはルシアスを振り返った。
苦虫を噛み潰したかのように、眉間に深い皺を刻んでいた。
「その名前では呼ぶなと言ったはずだ。ルシィ。俺はもう隊長ではない」
「しかし、あなたはサンカルナ青騎士隊ではなくてはならない存在です。今でも」
室内には重苦しい沈黙が暫くの間流れた。表の通りを子供達数人が笑いながら駆けていく。楽しそうな足音と笑い声の平和な朝。だが、ユージンは唇を噛みしめて戸惑いを押し隠した。
「ブルーノ隊長はあなたの帰還を強く望んでいる。そして、セレスティアの正当な王位継承者……」
そこまでルシアスが言葉を繋いだ瞬間、ユージンは壁をダンと拳で殴りつけた。
「それ以上は言うな。聞きたくない。あの子はもう、違う。お前達は、あの惨劇を忘れたのか!? 同じことを再び繰り返すつもりなのか!」
激情を抑えることが出来なかった。ユージンはかつての教え子──大人になった教え子を強く睨み据えた。
「あの子を外に出すつもはない。絶対にだ」
ルシアスの青い瞳は揺らがなかった。冷たいともとれる静かな瞳を、ユージンに向ける。
「我々は本気です。レイズヴァーグのラングラード親衛隊が動いている今、悠長にはしていられない。早急に対策を考えねばなりません。セレスティアの復興に向けて我々は水面下でずっと動いていた。十四年です」
「…………」
セレスティアはレイズヴァーグの属国として、王家が崩壊した今でも、かの地は現存している。ルシアス達かつてのサンカルナ青騎士隊員の生き残りは、ウルディアスのとある地を拠点として今でも続いていることは、かつての仲間達との手紙のやりとりで知っていた。
しかし。
「ラングラード親衛隊が動くのはただ事ではありません。これは確かな情報です。我々のことを感づかれたという可能性もないではありません。事は重大です。我々はセレスティア王家再興のために、全力で事を進めています」
ユージンは心の底から震えが立ち上って来るのを止めることが出来なかった。
「セレスティア王家再興だ……と? お前達はいったい何を馬鹿げたことを──」
驚愕を顔にじわじわと滲み出すユージンを見据えて、ルシアスはゆっくりと口を開いた。
「二種の神器の在処を我々は突き止めた」
***
気候は緩やかに春に向かいつつあった。ウルディアス=ウォルター=リビィント領レゼリュウス町は、田園地帯が広がる中規模の長閑な町である。世間では春の収穫祭を間近に控えて、農家の人々は精を出していた。
ミルフィとハウエルは相乗りで、ハウエルの愛馬レジーの背中に揺れていた。今日は学校が休みなので、レゼナの丘にピクニックに行く途中だった。ハウエルの母親チェルシー夫人が作ってくれたお弁当のバスケットを胸に抱いて、レジーに揺られながら、ミルフィは気持ちのよい風を頬に受けて目を細めた。
「しかし驚きだね。レゼナの初咲きを見るためにわざわざ毎朝丘に通っていたのか。フィーの根性には感心するよ」
「あら。せめて乙女心と言って欲しいわ」
レイストン牧場の近くにある雑木林を抜けて、左右を田園に囲まれた公道を進む。少し先には小川が流れており、魚も棲んでいた。小さな橋にさしかかった。昔はこの小川でハウエルと水浴びをして遊んだ。今は子供達数人が魚釣りを楽しんでいる。
ここから進んだ少し先には、レゼナ花が咲く丘があった。レゼナの丘と町人達からは親しまれていた。ミルフィは毎朝、このレゼナの丘に通っていたのだ。
朝の不機嫌はいささか直っていた。今頃ユージンとルシアスは何を話しているのだろう。とチラリと脳裏を過ぎったが、ミルフィは頭を振って極力考えないように努めた。
「フィー。春休みはどこに行きたい?」
「そうねえ。あっ。王都に行ってみたいわ。王都には数年前に行ったきりだから」
「王都かぁ。遠いしお金もかかるな。それに馬車じゃないと」
ハウエルは申し訳なさそうに言った。ミルフィは楽しそうに笑った。
「いやね。もしもの話よ。王都なんて子供の私達には簡単に行けないもの」
ウォルター=リビィント領は、王都ほどではないが、それなりに華やいだ領地だ。城下町は下領町、上領町に別れ、王都から直結した大きな運河も流れていた。田舎に住む者達にとっては、せいぜいがウォルター城下町に旅行に行くのが最大贅沢の楽しみだった。隣町には有名な風車丘もある。
「そう言えば、学校で噂になっていたけれど、レイズヴァーグの第三王子が王都に滞在中らしいわ。名目は春の収穫祭の祝辞贈呈らしいけれど、本当は王子の花嫁探しが真の目的だっていうのは本当かしら。王子ってたしかまだ御年十四歳よね」
結婚なんて早すぎるんじゃないのかしら、と続けるミルフィに、ハウエルは苦笑して身を乗り出した。
「知らないのかい? 王家の人間は早婚が当たり前だよ。これはレイズヴァーグに限らずウルディアスでも同じさ。十四歳といったら結婚適齢期なんだよ」
「まあ。十四歳が結婚適齢期!? 王家の人間はなにかと大変なのね。私は結婚なんてまだ考えられないわ」
恋をしたことだってないのだ。そう続けると、ハウエルは寂しそうに笑った。しかしミルフィには、ハウエルに抱き抱えられる形でレジーに乗っていたので、その様子は分からなかった。