剣士
若い男だった。どうやら剣士らしい。腰に剣を履いていた。訪ねて来た青年を迎えて、ミルフィは驚きを隠せなかった。これまでただの一度も、剣士が訪ねて来たことなどなかったからだ。
青灰の短い髪に青い瞳。彼の整った風貌にも目を見張った。美形な青年だ。年の頃は二十代の前半から半ばくらいに見えた。
ミルフィはしばらくの間、口を開くのも忘れてスラリとした長身の青年に魅入っていた。
(だ、誰……?)
「失礼。ユージン・ラガント・グレンディールの家はここか?」
やがて青年がそう尋ねて来た。やや不躾で冷たい印象の物言いだ。これにも呆気に取られた。青年の表情は静かで動きがない。口調と同じく冷たい感じを受ける。
ユージンの知り合い? と首を傾げる。
「ど、どちら様ですか?」
ようやくミルフィはそう聞いた。
「ルシアス・フォン・ヴァルダート」
「……はい。少々お待ち下さい」
名前のみを簡潔に告げる青年に再び圧倒されつつ、ミルフィは踵を返しかけた。その時だ。
ユージンが書斎から出てきた。
「ミルフィ。誰だ?」
と言いながら顔を出したユージンは、来客者の青年を認めるや、ミルフィと同じく驚きの瞳を彼に向けた。
「……ルシィ? お前、ルシィじゃないのか!?」
「──グレン隊長。お久しぶりです」
驚きに駆け寄って来たユージンに、青年は腰を折って頭を下げた。
「やはりそうか──!」
ユージンと青年は固く抱擁した。久しぶりの再会らしい様子に、傍らのミルフィは黙って見守っていた。
青年の言葉に一つ引っ掛かることがあった。
("グレン隊長"って……)
初めて耳にした呼称だった。いったいどういう知り合いだろうか。
***
ピュルル ピー
遥か頭上の上空を、数羽の鳥が北から南に飛んで行った。カズラ鳥だ。カズラ鳥は寒い地から暖かい地を求めて春頃──レゼナが咲く季節に飛来する渡り鳥だった。陽光は暖かで優しく、本格的な春が来るのも間近である。
「おっ。カズラ鳥かー。春だなぁ」
「そうね」
ミルフィはハウエルの言葉に生返事を返した。
ハウエルはミルフィの幼なじみだった。
レイストン牧場の末息子で、ミルフィより一つ年上の十五歳。淡い金の髪に青い瞳が印象的な少年だ。ハウエルは近辺の各家庭に、早朝ミルクを売る仕事を学業の傍らしていた。
ここはレイストン牧場の馬の厩舎の近くである。ミルフィは馬の放牧場の木柵の上に座り、足をぶらぶらとさせていた。
「ミルフィ。もうすぐで春休みだな」
「そうね」
「今年は旅行の計画はあるのか?」
ハウエルは愛馬のレジーにブラシをかけてやりながら、柵の上のミルフィにしきりに話しかけているが、ミルフィは上の空だ。
遊びに来てくれたのは嬉しいがどうも様子がおかしい。
「フィー」
ハウエルは幼い頃からの愛称で呼びかける。
「なぁに?」
「ユージンさんと喧嘩でもしたのか?」
そう聞いた途端、ミルフィの両瞳にはみるみるうちに涙が盛り上がった。ハウエルは仰天してミルフィに駆け寄った。
「フィー!?」
ミルフィは柵を身軽に飛び降りると、ハウエルの胸にしがみついた。ハウエルは狼狽してミルフィの肩を抱く。
「私……家を追い出されちゃった」
グスリと鼻を啜りながら爆弾発言をしたミルフィに、ハウエルは「ええ!?」と声を張り上げた。
「何だって?」
まさかと思って聞いてみたのだが、予想外の言葉にハウエルは大いに慌てた。
家を追い出されたって!?
「いったいどういうことだよ……」
「あのね──今朝、家にユージンの古い知人が訪ねてきたの」
風変わりな青年だった。青年──ルシアスとユージンは、長い間ずっと、抱擁を解かなかった。ユージン、この人は誰? と内心疑問符だらけのミルフィを余所に、ユージンは心の底からルシアスの訪問を喜んだ。突然だったにも関わらずだ。
随分と親しい間柄に思えた。
「何年ぶりだろうな。本当に大きくなった」
「ええ。あなたは変わらない」
「何を言う。俺はもう三十六だ。立派なオジさんだ」
ユージンは軽く笑った。
「ああ、そうだ。ミルフィ。この人は俺の古い知人だ」
ミルフィの視線にようやく気が付いたユージンは、ミルフィの肩を抱くと引き寄せた。改めて、ミルフィとルシアスは向き直った。
「初めまして。ミルフィと申します」
ペコリと頭を下げる。少し緊張していた。ルシアスは不躾なのもお構いなしに、下から上までミルフィに視線を流して見つめた。ミルフィは挨拶を返しもしないルシアスのその態度と視線に、むっと唇を尖らせた。なあに、この人。失礼だわ。
「……この子が……そうなのか──」
彼がそう呟いたのが辛うじて耳に届いた。
(え……)
どういう意味だろう。思う間もなく、ユージンはポンとミルフィの頭に手のひらを置いた。ミルフィは問うようにユージンを見つめる。ルシアスに少し腹を立てていた。ユージンはそんなミルフィの心情を知ってか知らずか、笑った。
「ミルフィ、今は取り敢えず着替えてこい。寝巻きのままだぞ。朝食が済んだら、少し外で遊んでこい」
「え……」
今度こそ、ミルフィは完全に腹を立てた。
「ふうん。誰なんだろうな、その男」
「知らない。あの人もユージンも、ホント信じられないったら」
「そう怒るなよ」
「これが怒らないでいられる!?」
失礼しちゃう、とプリプリ怒るミルフィに、ハウエルは困って後頭部をガシガシ掻いた。
信じられなかった。当然、ユージンはミルフィに詳しく彼を紹介してくれると思っていたのだ。どころか彼の不躾な態度を咎めるでもなく、外に出ていろと来た。実際にはユージンは家を出て行けなどとは一言も言っていないが、結果的には同じことだ。
ルシアスは、これまでのユージンの来客達とは明らかに違う。いつもだったらミルフィがお茶を出して、時には一緒に談笑することだってあった。
外に出ていろと言われたのは初めてだった。
(ユージンの馬鹿。私を除け者にするなんてあんまりだわ)
私よりあの人の方が大事なの!? とまるで幼い子供のように腹を立てていた。
私を外に追い出してまで大切なことって──何?