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序章 3

 美しかった白の宮殿は、赤に染まった。吹き荒れる風に飛ばされて視界に散る雪の粉と火の粉が、乱舞する。

 ガチリ、腰の剣柄を強く握りしめる。金具が嫌な音を発てる。目と耳を、思考を閉ざしてしまいたかった。


「──これが負けるということか……」


 喉が焼けるように痛んだ。根こそぎ裸に剥かれ、皮膚が、毛穴という毛穴が、全身を苛む痛み。傷みがひどく激しかった。体内を虫が這うかのような忌まわしい感触が全身を苛む。痛み。


 セレスティア王宮は、赤に染まった。炎にまかれていた。


 敵兵と刃を交えながら、王の亡骸を焔に焼かれる様を背後に、王宮から命からがら逃げて来た。王宮の裏手に聳える深い山森の奥に。


 なぜこんなことになった。なぜだ。


 問いは目の前の現実しかない。


「さぁ。お行きなされ」


 一緒に逃げて来た城守婆マイールが、遠くに燃える王宮に目を据えながら凛とした声音で告げた。マイールも相当に憔悴しているはずだ。だが背の曲がった痩せた老婆の瞳には、強い光が消えていなかった。

 幸いにも、ユージンにもマイールにも深手は負っていない。

 しかし、身も心も憔悴しきっているのは同じなはずだ。

 老婆の腕には、布に包まれた小さな赤子が大事そうに抱かれ、惨状とは裏腹に、何も知らずに安らかに眠っていた。


「我らが騎士よ。若き我らがサンカルナの騎士よ。お主は生き延びた。小さき御子と一緒にな」


 老婆に抱かれた赤子は王の御子だった。

 何としても、この御子だけは守らねばならない。守ると誓った。

 王宮の隠し通路の奥の部屋で、数人の侍女らによって匿われていた唯一の末の王女を連れて。

 逃げなくてはならない。生き延びねばならない。


 ──リカード様あぁぁ!!


 王の亡骸を前に狂って泣き叫んだ自分。

 リカルド陛下が全てだった。セレスティアに忠誠を誓ったこの俺が、陛下をお守りすることが出来なかった。どんなに泣いても、陛下は戻らない。


 セレスティア王国はレイズヴァーグの属国下に置かれる。


 なぜ奴らはこの国に攻め入ることが出来た。なぜだ。何もかもが分からなかった。

 気付いた時には遅かった。王宮内に、敵兵が雪崩れ込んで来ていたのだ。

 どうやって入り込んだ。

 なぜ。


 王女の替え玉を用意した。一緒に焼け死んだ女官の赤子を。奴等には気付かれていないはずだ。王女が産まれたことはまだ民に触れを出す前だった。しかし万が一ということもある。

 何代か前に、まだ触れを出す前だった王子の存在が他国に伝わっていた前例があった。それを用心して、替え玉を用意した。

 リカルド陛下には末の王女もいたが、戦火によって崩御なさったと、敵の将軍に伝わるはずだ。

 陛下も王妃も王子もみんな殺された。


 この御子だけは──何としても俺が守らねばならない。

 城守婆マイールは、腕に抱いた赤子に、慈しみを込めて皺に埋もれた眼差しを向ける。

 その時だった。後方の茂みが音を発っした。ガサリ、と鳴った瞬間ユージンは腰の剣に腕を添えて身構えた。

 しかし、やがて「隊長……グレン隊長」と聞こえてきた聞き覚えのある声音に、緊張を解いた。まだ子供のものだった。


「俺はここだ」


 やがて茂みを掻き分けて姿を現したのはルシアスだった。顔や身体のあちこちが煤で汚れて、血に塗れていたが、大事には至っていなくてホッとした。


「無事だったのだな。ルシアス」

「ああ、グレン隊長!」


 もしかしたら、と思い、この山森を一心に目指して来た。やはり、隊長は生きていた。絶対に生き延びているはずだと、固く信じていた。


「絶対にあなたは死なないと信じていた」

「ああ。俺は簡単には死なない。お前もよく無事だった」

「あなたに会えることを信じていた」


 グレン隊長! と、ルシアスはまろびながらユージンに駆け寄り、腰に強くしがみついた。ユージンはルシアスの肩を抱き返す。他の者たちはどうなったのか。城の者はほとんどが殺された。サンカルナ青騎士隊員達とも、はぐれたままだ。


 ルシアスと再会出来たのは奇跡だった。出来るならば副隊長のブルーノの無事も確認がしたかったが、その余裕はない。


「お二方、グズグズはしておれぬぞ。さぁ、お行きなされ。そなたが思う地へと赴きなされよ」


 マイールに促され、ユージンは腰にしがみつくルシアスの肩を強く引き寄せた。

 いつ敵兵に見付かってもおかしくない状況だった。悲鳴。炎の燃え盛る音。激しい剣戟の音。怒号。阿鼻叫喚の絵図だ。夥しい血の臭いに生き物の焼ける臭い。全てのものが焼き尽くされた。植物も動物も。

 宮殿の裏手に聳えるこのケルク森山にもやがて敵の手が回るだろう。

 ルシアスは血の気が真っ青だった。半年前に青騎士隊員見習いとして自分の隊に入隊したばかりで、本物の戦場を見たことがなかったのだ。

 幸いにも大きな深手は受けていなかったが、暗い色に燻されて、彼の青の瞳は濁っていた。

 彼は泣いていた。静かに、その目に憎しみを抱き、セレスティアが戦場になり、子供も老人も、人々が敵の手に呑まれるその様をありありと見つめていた。


「許さない。レイズヴァーグを絶対に。おれたちをこんな目に合わせた奴らを絶対に許さない」


 ルシアスは喉の奥から絞り出すかのように、歯を食いしばりながら吐き捨てた。


「復讐をしようなどとは夢思いなさるな」


 マイールの嗄れた声音には、親が子を宥めるような慈しみが込められていた。ルシアスは悔しそうに唇を噛みしめる。


「天に坐す我等が二神ふたがみよ、どうかこの愛し子の行く末に幸あらんこと」


 マイールは、いつしか老いた両目に涙を流していた。透明な雫を皺の目から流しながら、腕に抱いた御子の両頬に接吻する。

 そうして、生き残りの若き騎士を凛と見上げた。


 ユージンは軍靴の踵を揃え、握った拳を心臓に強く当て、そうして手のひらをゆっくりと開いた。生涯の忠誠を王に誓う、正式な青騎士隊の敬礼だった。


「さぁ。行きなされ」


 老婆はユージンに腕の中で安らかに眠る赤子を預ける。


「お婆。あなたはどうなされる」

「なあに。ワタシは充分に生きた。リカード陛下が天に召された今、ワタシもこの地に留まるよ」

「……そうか」


 その言葉を最後に、ユージンは片手に王の御子を、片手にルシアスを抱いて、後は振り返らずに踵を返した。

 森を分け入り、深い獣道を見付けて、そちらに足を踏み入れる。


「グレン隊長、あそこ。あそこのレム樹を越えた先に森の抜け道があるよ。ゼスト泉がすぐ近くだ」


 セレスティアの王宮仕えの者や地元民しか知らない深い森山だ。奴らにはそうやすやすと越えることは出来ない。

 ユージンはルシアスに促されるまま、獣道を真っ直ぐに進んだ。


 なぜ。こんな末路にならなければならなかったのだ。美しかった青のセレスティアがなぜ。

 問いは闇に帰するばかりだった。

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