帝国再建
宮殿にいた女帝に、帝国騎士団の敗北を伝えたのは、伝令の早馬だった。
「こんな時にくだらぬ冗談など言うものではない」
そう言って、女帝は伝令の兵士を叱りとばした。
三代皇帝以来無敗を誇った帝国騎士団である。
女帝にとって「帝国騎士団が負ける」という概念自体が存在しなかった。
だが、周囲に控えていた家臣たちは騒然とする。
「どのような様子だったか詳しく……」
重臣の一人がそう兵士に言いかけた時、女帝はその重臣を鋭く睨みつけ、甲高い声で言った。
「我が帝国騎士団が負けるはずがないのじゃ。そやつの頭はどこかおかくなっておるのであろう。宮殿に残っておる別の兵士を戦場にやり、詳しい状況を報告させよ」
「はあ……」
家臣たちは戸惑いながら顔を見合わせたが、反論できるような状況ではなかった。
それから数日後。
新たに送られた伝令の兵士が、再び宮殿に戻ってきた。
今度の兵士は、女帝に言葉を遮られる前に、一気にまくし立てるように報告をした。
「我が軍は大公軍に敗北。多くの指揮官を失ったため、これ以上の戦闘は不可能と判断し、降伏を宣言。戦線を離脱しました」
「そ、そなたは何を……っ」
声を荒げて、玉座から立ち上がった女帝だったが、よろめいた。
その様子に家臣や侍女たちが慌てて女帝に駆け寄った。
「……どうなっておる。どうなっておるのじゃ……」
絞り出すように出された言葉とともに、女帝は衝撃のあまり、気を失ってしまったのである。
女帝は髪をなでられる感覚に、目を覚ました。
そこは彼女の寝所であった。
「陛下……」
目の前には、青白い顔の彼女の夫の顔がある。
「そなたが倒れたと聞いて、居ても立ってもおられずに様子を見に来たのじゃ」
長く寝たり起きたりの生活を繰り返している夫と彼女は、寝所も別々に生活している。
毎日の政務で忙しく、また恋人も多い彼女は、夫の顔を毎日見ることはなかった。
久しぶりに会う夫。
細面に上品な目もと。
弱弱しくはあるが、夫には生来の高貴さが漂っている。
「私の……無敗の騎士団が負けてしまいました……」
そう言葉にすると、女帝は、はらはらと涙をこぼした。
夫は黙って彼女の髪をなで続けている。
「私は……、私は最初から乗り気ではなかったのです。議員連合国の甘言に惑わされて、共闘するなど……。それなのに、重臣たちが皆揃って戦うべきだと言うものだから、こんなことに……」
「もうよい。そなたはじゅうぶん、良くやってくれておる。そろそろ肩の荷を下ろす時ではないのか」
「陛下……」
夫の言葉の意味を図りかねて、女帝は黙った。
「詳しいことは大司教に聞くがいい。わしは、そなたを責める気はない。女の身でありながら、これまでようやってくれた」
よく分からない話に混乱する女帝であったが、夫はそれ以上詳しく話すそぶりを見せない。
「今はゆっくり休みなさい。敗戦の交渉など、気の進まぬことは家臣が進めてくれよう」
そう言って、分かったように頷くと、夫は彼女の寝所を後にした。
しばらく会わない間に、夫の白髪が増えている。
しかし、そんな夫の立ち去り際の一言は、彼女の不安をさらにあおっていた。
(家臣が敗戦の交渉を勝手に進める、ですって……)
夫は分かっていないのだ。
勝ったにしろ、負けたにしろ、戦後の交渉はとても重要なもの。
何を得て、何を失うのか――、この交渉は、国の今後の在り方すらも、左右する。
ましてや、相手はあの大公の国。
「こうしてはおられぬ……」
女帝はつぶやいた。
焦燥の念に駆られて身を起こしたものの、再び眩暈が襲ってきて、今度は目の前が真っ白になる。
慌てた侍女がとんできて、彼女の体を押さえた。
「陛下、ご無理はいけません」
「こんなことをしていては……」
額を押さえながら、女帝は声を吐き出した。
そこへ、衛兵の声が漏れ聞こえてくる。
「陛下はまだお休み中です。お会いにはなりません」
女帝ははっとした。
とりあえず、身近な者にでも、交渉についての話を伝えられたらと思いを巡らせる。
「誰じゃ、誰が来たのじゃ。ちょっと見てまいれ」
「は、はい」
侍女は女帝の云われるままに、確かめに向かった。
侍女が扉を少し開くと、聞き慣れた声が女帝の耳に飛び込んできた。
「大司教か……」
女帝は眉をひそめた。
今はあまり彼に会いたくはない。
帝国の騎士団の敗北は家臣のせいとはいえ、彼女の矜持も傷ついた。
しかし――。
「大司教様がお見えです。それに、若い殿方もお連れです」
「……なんと」
大司教がこのような所に人を連れてくるとは珍しい。
何か良い知らせでも持ってきたのかもしれない、と女帝は勝手に思いなおした。
彼女は胸元を整え、侍女に何か羽織るものを持ってくるようにいいつける。
「お加減はいかがですかな。わが君」
大司教はゆったりと室内に入ってきた。
続いて部屋に入ってきた若者に、女帝は目を向けた。
細面で、どこか夫に似たところがあるような面立ちだ。
もっとよく見て確かめたかったが、若者は入口の扉の脇にひざまずいて、頭を垂れてしまった。
それが礼に倣っているのは分かっていたが、少々もどかしい。
「大司教、あの者は……」
「陛下がもう少し落ち着かれてからご紹介しようと思っていたのですが……。神のお導き合わせかもしれぬと思いましてな。お連れしました」
そう言って、大司教は彼女の表情を窺うように、間をおいた。
「神のお導き合わせとは、どういうことじゃ」
大司教は彼女の反応に、満足げに微笑みながら、言葉をつないだ。
「――あの者は、かの烈帝の血をひく者なのです」
「なに……」
女帝はあまりのことに、言葉に詰まってしまった。
烈帝の称号は、この国の二代前の皇帝を指す。
一代で帝国領土を四倍に広げ、この国の法や政治指針を固めた、中興の祖とも呼ばれる人物である。
傑出した人物であったが、その跡を継いだ甥は、烈帝の影響力を恐れ、彼の血脈を全て根絶やしにしたと聞く。
「烈帝の血を継ぐ者が、まだこの世にいたとは……。まことの話なのか」
「もちろんでございます。ただ血を受け継いでいるだけでなく、その資質も存分に。今は司教をしております。私の後任にと育ててまいりましたが、神はそれをお望みではないのかもしれませぬ。よろしければ、おそばに御召し抱え下され」
「そこの若者が烈帝の……。顔が見たい」
「これ、陛下の御召しだ。こちらへ参れ」
「はい」
若者の声は、よく響く声だった。
ちらりと最初に見た時には夫に似ているようだと思ったが、近づいて見ると、その様相は全く違った。
しっかりと自信に満ちた足取り。
野望に燃える、意志の強そうな眉と瞳。
顔色も健康的で、見れば見るほど夫とは似ていない。
彼女は烈帝に会ったことはないが、確かに、こんな自信に満ちた帝であっただろうと思わせるような、そんな雰囲気が若者にはあった。
気高く、そして強い。
「そなた……、私の右腕になる気はあるか」
「陛下の御心のままに」
女帝の胸は高鳴った。
この若者とならば、今のこの苦境も乗り越えられるかもしれないと本当に思うようになった。
これは大司教が言うように、神の――いや、この国を憂いている烈帝の導きかもしれないと、彼女は心からそう信じた。
そして、この彼女の思い込みによって、帝国は大きな転換期を迎えることとなったのである。
女帝はまず、現職の宰相を更迭。
敗戦の責任を、宰相にかぶせた。
それから、大司教の推挙と、若者が「烈帝の血をひく者」であることを強調し、彼を新たな宰相につけたのである。
これにはさすがに、家臣たちも驚愕し、反発の声があがった。
加えて、背後にいる大司教もその影響力を強めたが、彼女は気にしなかった。
当の若者――新たに宰相となった若者は、女帝の右腕以上、もはや代理と言ってもいいような剛腕ぶりで、迅速に物事の処理にあたった。
まずは、国内の内乱鎮圧。
女帝は長らく放置気味であったが、「女帝は心を入れ替えた」という噂を流布させ、武装解除をすれば、これまでの反乱行為をすべて免罪にするという寛大な条件を提示した。
その条件の提示で、反乱の徒は戸惑いながらも、帰郷する者が出て、半ば解散状態になり始めた。
これでゆっくりと収まっていくかに見えた反乱軍だったが、新たな宰相となった若者は容赦なく、彼らを追撃。
再編成させた帝国の軍団を派遣し、片っ端から皆殺しにしたのである。
これにより、国内の反乱分子は恐怖のうちに一掃された。
さらに数年がたち、国内が一定の落ち着きを取り戻すと、今度は東に広がる諸外国に目をつける。
帝国のさらに東には、広大な草原を活動拠点とする騎馬民族が、それぞれに国を形成していた。
それらの小国に対し、謀略と婚姻外交を重ね、帝国の傘下に組み敷いていく。
あまりの辣腕に、もはや誰も表だって異を唱えることはなくなった。
烈帝の肩書も必要ないほど、若者は数年で見事に、宰相としての信頼を得るようになっていたのだった。
帰属した騎馬民族に対してはさらに、離反が出ないよう、全ての者を強制的に教会に入信させ、教会の神だけを信仰させる。
そして、大司教の策略もあり、征服した全ての地区を教会領とすることも忘れなかった。
大規模な騎馬民族をその手中に収めた帝国は、さらに軍事制度を大きく改革し、ライフル銃を装備した騎兵、竜騎兵などを中心とした軍隊編成を行い、鎧に依存した軍の在り方自体を大きく改めた。
このようにして若き宰相は文字どおり、帝国内部に大きな変革をもたらしたのだった。




