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大公  作者: ヨクイ
第6章 閑話
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未来の主

 張りつめた空気と胸が張り裂けんばかりの鼓動。

 それは、きつい軍隊教練と度重なる面接を受けてきた青年にとって、久しぶりに感じる感覚だった。

 ――目の前に、あの大公殿下がいる。

 親衛隊長の息子である彼にとって大公という人物は、それほど縁遠い存在ではなかった。

 父親は仕事柄、家にいないことが多かったが、それでも大公に関する逸話などはいくつか耳にしていた。

 この国を統べる人物。

 どうやっても緊張しないわけにはいかなかった。

 しかも、その当人の威圧感たるや、半端なものではない。

(鬼教官とは比べ物にならないな)

 そんなことが一瞬頭をよぎったりした。

「卒業試験はなかなかの成績だったようだな」

「大公殿下のお役に立ちたい一心で、頑張ってまいりました」

 大公は青年をじっと睨んだ。

 息がつまりそうだ。

 握った拳に汗がにじむ。

「よかろう」

 許可が出た。

 これが最終試験……、というより、確認作業に近いだろう。

「ありがとうございます。命をかけて、お仕えさせていただきます」

 思わず声を張りあげて、敬礼する。

「奴とそりが合わないようなら、代わってもらうがな」

 大公は表情も変えずにそう言って、傍に控えた役人に合図を送った。

 何も言わなくてもわかったとばかりに、役人も頷く。

「こちらへどうぞ」

 そう言われ、青年は部屋の外へ誘われた。


 青年は四年にわたる軍隊教練を経て、十七歳になった今年、晴れて正式に親衛隊に入ることとなった。

 大公の母国からつき従ってきた親衛隊も世代交代が進み、かなりの人間が入れ替わっている。

 青年には、年の離れた兄が二人いるが、その二人はもう既に親衛隊の一員として第一線で活躍している。

「ご挨拶を」

 役人が青年に向かって、小さな声で言った。

 青年は一歩前へ出て、ひざまずいて、最高礼をとる。

「殿下の護衛にあたる専属の者でございます」

 役人はそう言って青年を紹介した。

 青年は三男坊の言葉を待った。

「護衛などは頼んでいないが」

 そう言って、彼は軽く肩をすくめた。

「殿下のお兄様方にも、それぞれ一人ずつついておりますよ。護衛でもあり、相談役でもあるのです。そなた、年はいくつだ」

 とりなすようにそう言ったのは、教官にあたっていた壮年の男だった。

「はい。十七になります」

「殿下は御歳十六になられるのですから、ちょうどよい話し相手になるかと」

「話し相手ぐらい、自分で見つける。父上はこんなことまで私に押しつけるのか」

(思ったより気難しいお方のようだ)

 青年はまだ、ひざまずいたままだ。

 大公の息子は三人。

 それぞれが、亡国の美しい姫君を母親に持つ、異母兄弟だ。

 長男は武断の人で、兵部卿に指南を仰いでいるという。

 青年も何度か見かけたことがあるが、体格もよく、凛々しい人だった。

 次男はというと、これまた大公に似ておらず、容姿端麗。

 見た目だけではなく、十九歳にして、かなり内政に精通している頭脳派だという。

 そして今、目の前にいる三男はというと――、かなり自由奔放な人だと噂では聞いていた。

 だが、宮殿内での人気は高い。

 末息子ということで可愛がられている上に、気に入った使用人には気さくに声をかけるという。

(いい噂ばかり耳にしていたが、実際は我儘な人なのだろうか)

 大公のご子息ともなれば、悪口を言う人もいないであろう。

 そうだとすれば、先が思いやられる。

 そもそも、大公に許可をもらっても、三男本人に気に入られなければ、専属の護衛になどなれない。

 父親は「この機会を絶対にものにするのだぞ」と鼻息を荒くしていたが、こればかりは、三男本人の機嫌次第だと思われた。

 教官の男も、青年を連れてきた役人も「どうしたものか」というように、顔を見合わせる。

「失礼いたしますよ」

 気まずい空気を破るように、呑気な声が聞こえた。

 振り返ると、ふっくらとした体格の爺が、ゆったりとこちらに歩いてくる。

「これは……宣伝卿。こちらにお越しとは存じませんでした」

 役人は慌てたように礼をとった。

(この人が、宣伝卿……)

 たっぷりと白鬚をたくわえ、人の良さそうな笑みを浮かべている。

 でっぷりと出た見事なお腹を高級そうな衣服で包み、その歩みはいかにも重そうだ。

「我が王子殿はご機嫌ななめのようですな」

 軽い調子でそう言って、宣伝卿は笑った。

「その呼び方はやめろと言っているだろう。お前が言うと本当に気持ち悪い」

 本当に嫌そうに顔をしかめながら、三男はゆるく癖のかかった前髪をかきあげた。

「この若者は」

末息子だった。

 兄ほどには期待されず、だが、親衛隊長の息子として「できて当然」の力量は要求される。

 いつも兄の背中を追いかけるようにして来た青年だったが、ここにきて、その状況が変わろうとしている。

 大公の三男専属の護衛候補に抜擢されたのだ。

 大公の許可は既に下りた。

 あとは、本人に気に入られるかどうかだ。

「こちらです」

 案内されたのは宮殿内部にある特別訓練場だった。

 入口付近までくると、声が漏れ聞こえてきた。

(殿下だろうか……)

 役人は出入り口にいる兵士たちと一言二言交わし、訓練場に入っていく。

 青年もそれに続いた。

 はっと目をひいたのは、自分と同じ年頃の青年。

 整った細面に涼しげな目もと。

 身体は少々痩せすぎではないかと思うほど細かったが、よく見れば、鍛えられた筋肉も見える。

 大公とは似ても似つかぬようなきれいな顔をした青年だが、ここにいるところを見ると、間違いなく彼が、大公の三男坊だろう。

 彼はこちらの様子に気づき、訓練していた手をとめた。

 相手をしていた壮年の教官も手をとめ、こちらを見た。

「私の護衛に父上が送ってよこしたのだ。私はそんなものは必要ないと言っている」

「ほほう……。では、そなたが親衛隊隊長のご子息か」

 そう言って、宣伝卿は目を細めた。

「は。三男でございます」

「よくできている。あのいつも機嫌の悪そうな男の息子が、こんなに聡明そうなすっきりとした青年とは」

 がっはっはっと大きな口を開けて、一人楽しそうに笑う宣伝卿。

 その様子を、教官の男も役人も、困惑顔で見ている。

「お前は、親衛隊隊長の息子なのか」

 それまでこちらをまともに見ることがなかった三男が、やっと青年の方に目を向けた。

 澄んだ瞳が印象的だったが、純粋というのとは、また少し違う。

「はい。残念なことに」

「残念だと」

「そうです。人はいつも、私のことを『親衛隊隊長の末息子』と呼び、そのようにふるまうことを暗黙のうちに要求します。親衛隊隊長の末息子なら、こうあるべき、これぐらいのことはできて当たり前、という期待をいつも背負わされ、それを裏切ることは許されません。そして、そんな周囲の目を驚かせるためには、それ以上のことをやってのけなければならないのです」

 青年は思わず本音を言ってしまったことに、一瞬後悔の念がよぎった。

 しかし、今さら遅い。

 専属の護衛としてつき従うことを認めてもらえなければ、周囲の失望は大きいばかりか、彼は親衛隊に戻ってもしばらく後ろ指をさされることになるだろう。

 そうなったら……。

 いや、それでも親衛隊の道を進むしかない。

 青年にはその道しかないのだ。

「そなたは誰のために、何のために生きておる」

 三男は、目を凝らすようにして、青年を見つめながら言った。

「この国の為、そして殿下の御為でございます」

「そうかな。それに、そんな答えはつまらぬ。そなたは親衛隊隊長の息子という肩書に報いる為だけに生きているように見えるぞ」

「は……」

「そんな人生はつまらぬと思わぬか。兄たちも同じだ。私は勤勉な兄上たちが好きだが、『大公の息子』という肩書に囚われすぎておるように見える。あれでは見えるものも、見えなくなる。私はそのような生き方はしない」

(このお方は……)

 はっきりとではなかったが、青年にも彼の云わんとしていることは分かった。

 青年はこんな人の元で働けたら、自分の殻も破れるのではないかと、漠然と思った。

 しかし、それは自分が決めることではない。

「さすが、我が王子殿」

 宣伝卿が間の抜けたような声でおどけてみせたのを、三男はまた眉をひそめて見た。

「私も、賛成です。やはり人生は面白くなくては。決まった道を歩かないほうが、いっそ楽しい」

 不意に、青年の前に手が差し伸べられた。

 青年ははっと顔をあげる。

「殿下……」

「私がお前のその、つまらぬ人生を変えてやろう。親衛隊隊長の息子などというくだらない肩書は、今日限り忘れるがいい」

 青年は一瞬戸惑ったが、三男が気に入った使用人に対してはとても気さくだという話を思い出した。

 ためらったのち、その手をとる。

 思った以上に力強い手が、ひざまずいた彼を立ち上がらせた。

 そして、握った拳を、ぐっと握りなおす。

「これから私につき従えよ。私がお前に、違う世界を見せてやる」

 まっすぐな目が青年を捉えた。

 この人は、いつか本当に世界を変える人かもしれない……と青年は思った。

「殿下の意のままに」

 再びひざまずくこともできず、青年は拳を握り返した。

 お互いに、にやりと笑い合う。

 笑うとまるで、いたずら仲間にでもなったような気分だった。

 青年の中の何かが――、説明できないような何かが、崩れて、新しく生まれ変わったような気がした。


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