見えない敵
それは、郊外にある工廠を視察した帰り道でのことだった。
馬車は決められた林道の脇を通って、町を通り抜けようとしているところだった。
傍目にも高級な馬車には、大公と関係役人が乗っている。
その後方から一定の間隔を保ちながら、親衛隊隊長の騎乗する馬はゆっくりと進んでいた。
馬車の前後左右には、親衛隊の兵士が馬車を取り囲むようにして護衛にあたっている。
そこに、乾いた銃声が一発。
「ちっ」
隊長が舌打ちして馬上に身を伏せたのと同時に、続いて二発、三発。
周囲から通行人の戸惑う声と悲鳴があがった。
馬車の右側で楯のようになっていた兵士が、どさりと馬から転がり落ちる。
「早く馬車を……っ」
大公を乗せた馬車を先に行かせようとして、隊長は自分の目を疑いたくなった。
馬車の前を横切るようにして、狂ったように牛の群れが走ってくる。
(なんだってこんなところに牛が……)
理由はどうあれ、こうなってしまっては、大公の馬車だけ先に行かせることはできない。
この場でどうにか死守するしかない。
道の左側は工廠の大きな建物が続いているが、左側は小さな林になっていた。
そのむこうは、確か、農場が広がっているはず。
賊は林の中に複数、武器はライフル銃だ。
銃声はさらに続いた。
(かなりの人数がいるな)
隊長は地面に降り、馬車の護衛を部下に任せて、携行してきたライフル銃で応戦する。
しかし、相手は林の中。
こちらには身を隠せる物が馬ぐらいしかなく、圧倒的に不利だった。
そこに背後から飛んできた弾が、肩をかすめた。
「反対側にもいるぞっ」
声を張りあげて振り返ると、建物と建物の間、路地裏のようなところでライフル銃を構えていた男と目が合った。
顔は布のようなもので覆面している。
男が一発放った直後、反対側から後方の親衛隊の兵士が男を射殺した。
突然、馬は鋭い嘶きをあげて倒れた。
「やられたか」
男の放った最後の一発は、隊長の馬に命中したようだった。
しかし、激しい銃撃戦は、それほど長く続かなかった。
馬車に近づくこともできないまま、賊は弾を撃ち尽くしてしまったようで、その身をひるがえして林の中に消えてしまった。
「深追いはするな」
できれば捕えたかったが、今は大公の身の安全が最優先だ。
この上さらに追い打ちをかけられれば、守りきれるかどうか分からない。
道をふさいでいた牛はまだ前方にいたが、先程のように走っている牛はおらず、ただ鳴き声をあげながら群れているだけだ。
一部の兵士を残し、ひとまず馬車を先に進ませることにした。
「その牛どもをどうにかしろ」
襲撃が治まったと判断し、兵士たちは牛を追い始める。
そこへ、牛飼いとやらが恐縮しながら名乗り出た。
「放牧している間に、いつの間にかいなくなってしまって」
牛の飼い主も、被害者の一人というわけだ。
宮殿までの道のりは、残り半分。
親衛隊隊長は緊張感と苛立ちを漂わせながら、部下が用意した代わりの馬に乗った。
幸いなことにそれ以上の襲撃はなく、隊長は無事、馬車を宮殿まで送り届けることができた。
親衛隊は大きく三つの部門に分かれている。
軍内部の規律維持を目的とする憲兵隊、武力衝突を主な任務とする突撃隊、そして大公直下で特殊な任務をこなす特務隊。
親衛隊隊長は、それら全ての部門の長、大隊長にあたる。
賊は、結局、生きたまま捕えることはできなかった。
残してきた部下から報告では、賊の死体に、これといった特徴は見当たらなかったという。
首謀者は、誰か。
「今回の襲撃ではっきりしたのは、これが単なる賊の仕業ではないということだ」
親衛隊隊長は、そう口火を切った。
その日開かれた、親衛隊の隊長会議でのことだ。
およそひと月前にも、同じように大公の馬車を襲撃する事件があった。
しかし、それは剣と弓を用いた襲撃で、捕えられた犯人は、周辺で活動していた盗賊の人間だった。
そのため、それは金品を狙ったものか、大公を狙ったものかがはっきりしなかったのだった。
盗賊の首領は部下の独断の行為であるとして謝罪し、関わった部下を自ら出頭させて、その処分を親衛隊に委ねた。
当然、全員死罪になったが。
「ひと月前のあの襲撃も、関係しているとお考えですか」
憲兵隊隊長が問うた。
「可能性はあると思っている」
そもそも親衛隊隊長は、あの盗賊の首領は怪しいと思っていたのだが、部下がやったものだという一点張りで、それ以上尻尾をつかむこともできなかったのだった。
首領を引っ張ることもできたが、もし背後に誰かがいるのならば、泳がせておいた方がいい。
そう判断した。
このあたりの者であれば、大公の馬車かどうかはすぐにわかる。
傍から見ても目立つほど、大勢の親衛隊の護衛がついているのだから。
それが分かった上で襲撃してくることに、どれだけの利益があるか――。
やはりどこかの国か、要人から、大公を襲撃するよう依頼があったと考えるのが自然だろう。
そして、今回の襲撃ではライフル銃が使われた。
しかもそれは、一丁、二丁の話ではなかった。
高価なライフル銃を惜しげもなく打ちまわる賊など、そういない。
「気になるのは、あの時の牛ですね」
「そうだ。あれは偶然のものではない。牛は異様な興奮状態にあった上、牛飼いは、きちんと施錠したはずの柵の扉が壊されていたと言っている。つまり何者かが工作したのだ。殿下の馬車が通るのに合わせて」
「殿下の馬車があの道を通ることを知っていた者が関わっている……」
「今回の工廠の視察の件について、どれほどの者が知っていたか。知っている者の中に、外部と接触している者がいなかったか、洗い出す必要がありますね」
憲兵隊隊長が言った。
親衛隊隊長はそれに頷く。
「憲兵隊は内部調査にあたってもらう。監視も怠るな。今回の襲撃についての調査は引き続き、特務隊で行う。付近の住民にあたって、奴らの逃走経路を探れ。必ず目撃者や協力者がいるはずだ。あと、前回の盗賊の首領の周辺をもう一度、調べあげておけ。何か動きがあるかもしれん」
「わかりました」
「それから……。右大臣の監視を強めておけ」
親衛隊隊長は右大臣が黒幕ではないかと目星をつけていた。
この国の要人で、大公の予定を知ることができ、外国とも接点のある人物。
右大臣はその全ての条件が当てはまるではないか。
予想以上に相手の動きは早かった。
「国外逃亡だと」
報告に来た部下の言葉に、親衛隊隊長は眉をひそめた。
「はい。殿下を襲った賊らしき者の足跡を辿ったのですが、奴らは、襲撃の後すぐに国外に出ています」
「手際が良いな」
「陸路を使って南東の小国に入ったことまでは確認できましたが、その先の足取りまでは……」
「問題はその先、だな。右大臣には未だ動きはない……」
「やはり、議員連合国か帝国でしょうか」
「どちらにしろ、足がつかめないことには動きようがない」
そこへ別の部下が、飛び込んできた。
「盗賊の首領を引っ張る許可をください」
「何だと」
「極秘に盗賊たちと接触を図っていたのですが、襲撃の件には首領が絡んでいたそうです。成功すれば、かなりの報酬がもらえることになっていたと。裏がとれました」
やはり、この方面から攻めるしかないか。
今回の襲撃と関係あるかどうかは定かではないが、これで背後に誰がついているのかが分かる。
「許可する。すぐに首領を引っ張って締めあげろ」
盗賊の首領はなかなか口を割らなかったが、首領の側近は拷問に耐えきれずに白状した。
盗賊に金を出すと言って話を持ってきたのは、元貴族だという男で、現在は商人として生計を立てているという。
拠点は帝国にあるが、商いで他国に行くことも多いようで、その男がどこの依頼を受けて、盗賊を雇ったのかまでは知らないという。
「帝国の元貴族か……」
右大臣にそれらしい動きはない。
しかも、動いていたのが帝国の元貴族となると――。
(見当違いだったのか……。しかし、背後についているのは、本当に帝国の関係者なのか)
「男の居場所が特定できました」
部下はすぐに動き、男の居場所を探ってきた。
「男は現在、東の国境付近の商館に滞在しているとのことです」
帝国に近い東にある町の商館。
「気づかれぬよう、突撃隊を派遣しろ。帝国に入ってしまったら、手出しができん」
「了解しました」
さらに調査を続けるうち、今回の襲撃者がこの商館に出入りしていたことも分かった。
商館ならば、ライフル銃を大量に保有していたとしても「商品だ」と言えば、怪しまれることはない。
東の国境付近にある商館に、犯人確保のため、突撃隊が突入したのはそれから数日後のことだった。
しかし、商館にいた関係者の多くがライフル銃を所持しており、激しい銃撃戦となった。
「死んだ……だと」
親衛隊隊長は部下の報告に耳を疑った。
「申し訳ございません」
突撃隊が犯人確保に向かったものの、予想以上の抵抗にあい、銃撃戦の末に犯人だけではなく、商館にいた関係者全てが死亡したという。
「何をやっていたのだ」
親衛隊隊長は、思わず目前の机を拳で叩き、椅子から立ちあがった。
犯人が死んでしまっては、これ以上背後を辿ることはできない。
「重大な失態だぞ。犯人は生きて確保しろとあれほど厳命しておいたというのに」
「申し訳ございません……」
しかし、目の前の部下を責めたところで、犯人が生きて戻ってくるわけではない。
「結局ふりだしに戻ったのか……」
親衛隊隊長の頭の中には、右大臣の存在がまだ強く印象付けられている。
右大臣は本当に関わっていないのか――。
結局、当事者死亡のまま、襲撃事件は幕を閉じることになった。
親衛隊隊長の胸にあるわだかまりだけを、残して。




