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大公  作者: ヨクイ
第6章 閑話
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見えない敵

 それは、郊外にある工廠を視察した帰り道でのことだった。

 馬車は決められた林道の脇を通って、町を通り抜けようとしているところだった。

 傍目にも高級な馬車には、大公と関係役人が乗っている。

 その後方から一定の間隔を保ちながら、親衛隊隊長の騎乗する馬はゆっくりと進んでいた。

 馬車の前後左右には、親衛隊の兵士が馬車を取り囲むようにして護衛にあたっている。

 そこに、乾いた銃声が一発。

「ちっ」

 隊長が舌打ちして馬上に身を伏せたのと同時に、続いて二発、三発。

 周囲から通行人の戸惑う声と悲鳴があがった。

 馬車の右側で楯のようになっていた兵士が、どさりと馬から転がり落ちる。

「早く馬車を……っ」

 大公を乗せた馬車を先に行かせようとして、隊長は自分の目を疑いたくなった。

 馬車の前を横切るようにして、狂ったように牛の群れが走ってくる。

(なんだってこんなところに牛が……)

 理由はどうあれ、こうなってしまっては、大公の馬車だけ先に行かせることはできない。

 この場でどうにか死守するしかない。

 道の左側は工廠の大きな建物が続いているが、左側は小さな林になっていた。

 そのむこうは、確か、農場が広がっているはず。

 賊は林の中に複数、武器はライフル銃だ。

 銃声はさらに続いた。

(かなりの人数がいるな)

 隊長は地面に降り、馬車の護衛を部下に任せて、携行してきたライフル銃で応戦する。

 しかし、相手は林の中。

 こちらには身を隠せる物が馬ぐらいしかなく、圧倒的に不利だった。

 そこに背後から飛んできた弾が、肩をかすめた。

「反対側にもいるぞっ」

 声を張りあげて振り返ると、建物と建物の間、路地裏のようなところでライフル銃を構えていた男と目が合った。

 顔は布のようなもので覆面している。

 男が一発放った直後、反対側から後方の親衛隊の兵士が男を射殺した。

 突然、馬は鋭い嘶きをあげて倒れた。

「やられたか」

 男の放った最後の一発は、隊長の馬に命中したようだった。

 しかし、激しい銃撃戦は、それほど長く続かなかった。

 馬車に近づくこともできないまま、賊は弾を撃ち尽くしてしまったようで、その身をひるがえして林の中に消えてしまった。

「深追いはするな」

 できれば捕えたかったが、今は大公の身の安全が最優先だ。

 この上さらに追い打ちをかけられれば、守りきれるかどうか分からない。

 道をふさいでいた牛はまだ前方にいたが、先程のように走っている牛はおらず、ただ鳴き声をあげながら群れているだけだ。

 一部の兵士を残し、ひとまず馬車を先に進ませることにした。

「その牛どもをどうにかしろ」

 襲撃が治まったと判断し、兵士たちは牛を追い始める。

 そこへ、牛飼いとやらが恐縮しながら名乗り出た。

「放牧している間に、いつの間にかいなくなってしまって」

 牛の飼い主も、被害者の一人というわけだ。

 宮殿までの道のりは、残り半分。

 親衛隊隊長は緊張感と苛立ちを漂わせながら、部下が用意した代わりの馬に乗った。

 幸いなことにそれ以上の襲撃はなく、隊長は無事、馬車を宮殿まで送り届けることができた。


 親衛隊は大きく三つの部門に分かれている。

 軍内部の規律維持を目的とする憲兵隊、武力衝突を主な任務とする突撃隊、そして大公直下で特殊な任務をこなす特務隊。

 親衛隊隊長は、それら全ての部門の長、大隊長にあたる。

 賊は、結局、生きたまま捕えることはできなかった。

 残してきた部下から報告では、賊の死体に、これといった特徴は見当たらなかったという。

 首謀者は、誰か。

「今回の襲撃ではっきりしたのは、これが単なる賊の仕業ではないということだ」

 親衛隊隊長は、そう口火を切った。

 その日開かれた、親衛隊の隊長会議でのことだ。

 およそひと月前にも、同じように大公の馬車を襲撃する事件があった。

 しかし、それは剣と弓を用いた襲撃で、捕えられた犯人は、周辺で活動していた盗賊の人間だった。

 そのため、それは金品を狙ったものか、大公を狙ったものかがはっきりしなかったのだった。

 盗賊の首領は部下の独断の行為であるとして謝罪し、関わった部下を自ら出頭させて、その処分を親衛隊に委ねた。

 当然、全員死罪になったが。

「ひと月前のあの襲撃も、関係しているとお考えですか」

 憲兵隊隊長が問うた。

「可能性はあると思っている」

 そもそも親衛隊隊長は、あの盗賊の首領は怪しいと思っていたのだが、部下がやったものだという一点張りで、それ以上尻尾をつかむこともできなかったのだった。

 首領を引っ張ることもできたが、もし背後に誰かがいるのならば、泳がせておいた方がいい。

 そう判断した。

 このあたりの者であれば、大公の馬車かどうかはすぐにわかる。

 傍から見ても目立つほど、大勢の親衛隊の護衛がついているのだから。

 それが分かった上で襲撃してくることに、どれだけの利益があるか――。

 やはりどこかの国か、要人から、大公を襲撃するよう依頼があったと考えるのが自然だろう。

 そして、今回の襲撃ではライフル銃が使われた。

 しかもそれは、一丁、二丁の話ではなかった。

 高価なライフル銃を惜しげもなく打ちまわる賊など、そういない。

「気になるのは、あの時の牛ですね」

「そうだ。あれは偶然のものではない。牛は異様な興奮状態にあった上、牛飼いは、きちんと施錠したはずの柵の扉が壊されていたと言っている。つまり何者かが工作したのだ。殿下の馬車が通るのに合わせて」

「殿下の馬車があの道を通ることを知っていた者が関わっている……」

「今回の工廠の視察の件について、どれほどの者が知っていたか。知っている者の中に、外部と接触している者がいなかったか、洗い出す必要がありますね」

 憲兵隊隊長が言った。

 親衛隊隊長はそれに頷く。

「憲兵隊は内部調査にあたってもらう。監視も怠るな。今回の襲撃についての調査は引き続き、特務隊で行う。付近の住民にあたって、奴らの逃走経路を探れ。必ず目撃者や協力者がいるはずだ。あと、前回の盗賊の首領の周辺をもう一度、調べあげておけ。何か動きがあるかもしれん」

「わかりました」

「それから……。右大臣の監視を強めておけ」

 親衛隊隊長は右大臣が黒幕ではないかと目星をつけていた。

 この国の要人で、大公の予定を知ることができ、外国とも接点のある人物。

 右大臣はその全ての条件が当てはまるではないか。


 予想以上に相手の動きは早かった。

「国外逃亡だと」

 報告に来た部下の言葉に、親衛隊隊長は眉をひそめた。

「はい。殿下を襲った賊らしき者の足跡を辿ったのですが、奴らは、襲撃の後すぐに国外に出ています」

「手際が良いな」

「陸路を使って南東の小国に入ったことまでは確認できましたが、その先の足取りまでは……」

「問題はその先、だな。右大臣には未だ動きはない……」

「やはり、議員連合国か帝国でしょうか」

「どちらにしろ、足がつかめないことには動きようがない」

 そこへ別の部下が、飛び込んできた。

「盗賊の首領を引っ張る許可をください」

「何だと」

「極秘に盗賊たちと接触を図っていたのですが、襲撃の件には首領が絡んでいたそうです。成功すれば、かなりの報酬がもらえることになっていたと。裏がとれました」

 やはり、この方面から攻めるしかないか。

 今回の襲撃と関係あるかどうかは定かではないが、これで背後に誰がついているのかが分かる。

「許可する。すぐに首領を引っ張って締めあげろ」

 盗賊の首領はなかなか口を割らなかったが、首領の側近は拷問に耐えきれずに白状した。

 盗賊に金を出すと言って話を持ってきたのは、元貴族だという男で、現在は商人として生計を立てているという。

 拠点は帝国にあるが、商いで他国に行くことも多いようで、その男がどこの依頼を受けて、盗賊を雇ったのかまでは知らないという。

「帝国の元貴族か……」

 右大臣にそれらしい動きはない。

 しかも、動いていたのが帝国の元貴族となると――。

(見当違いだったのか……。しかし、背後についているのは、本当に帝国の関係者なのか)

「男の居場所が特定できました」

 部下はすぐに動き、男の居場所を探ってきた。

「男は現在、東の国境付近の商館に滞在しているとのことです」

 帝国に近い東にある町の商館。

「気づかれぬよう、突撃隊を派遣しろ。帝国に入ってしまったら、手出しができん」

「了解しました」


 さらに調査を続けるうち、今回の襲撃者がこの商館に出入りしていたことも分かった。

 商館ならば、ライフル銃を大量に保有していたとしても「商品だ」と言えば、怪しまれることはない。

 東の国境付近にある商館に、犯人確保のため、突撃隊が突入したのはそれから数日後のことだった。

 しかし、商館にいた関係者の多くがライフル銃を所持しており、激しい銃撃戦となった。

「死んだ……だと」

 親衛隊隊長は部下の報告に耳を疑った。

「申し訳ございません」

 突撃隊が犯人確保に向かったものの、予想以上の抵抗にあい、銃撃戦の末に犯人だけではなく、商館にいた関係者全てが死亡したという。

「何をやっていたのだ」

 親衛隊隊長は、思わず目前の机を拳で叩き、椅子から立ちあがった。

 犯人が死んでしまっては、これ以上背後を辿ることはできない。

「重大な失態だぞ。犯人は生きて確保しろとあれほど厳命しておいたというのに」

「申し訳ございません……」

 しかし、目の前の部下を責めたところで、犯人が生きて戻ってくるわけではない。

「結局ふりだしに戻ったのか……」

 親衛隊隊長の頭の中には、右大臣の存在がまだ強く印象付けられている。

 右大臣は本当に関わっていないのか――。

 結局、当事者死亡のまま、襲撃事件は幕を閉じることになった。

 親衛隊隊長の胸にあるわだかまりだけを、残して。


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