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大公  作者: ヨクイ
第5章 洗礼
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議長の決断

 がっしりとした窓枠の向こうに見える議員連合国の首都は、朝日を受けて、白く明るく照らされていた。

 それとは対照的に、特産の木材をふんだんに使った議長の室内は、黒を基調とした重々しい雰囲気のままだ。

 こぼれ入る朝の日差しが、絨毯の上に複数の正方形を描いている。

「愚か者めが」

 議員連合国の議長は一人、届けられた報告書に目を通しながら、吐き捨てるように呟いた。

 諜報活動も兼ねて大公の国へと送り込まれた彼の部下は、今や、大公の国で右大臣として重用されていると聞く。

 暗号文にした報告書こそ送ってくるが、その内容は議長の満足のいくものとは程遠かった。

 大公の国は目覚ましい商業発展を遂げている。

 それは他の諜報員からの報告とも合致していた。

 だが、報告書には、新たな兵器開発も進んでいるとある。

 議長は和平協定を結ぶ時、傭兵の国で一度だけ見た、大公の顔を思い浮かべた。

(油断ならぬ。どこまでも貪欲な男だ)

 送り込んだ部下は、もう少々賢く立ち回るかと思っていたが、見込み違いだったようだ。

 このところ、この国の議員の間では、彼が裏切り、大公側に寝返ったのではないかという噂が流れている。

 議長はその噂を頭から信じているわけではなかったが、もはや彼に対して期待も抱かなくなっている。

(変わりはいくらでもいる)

 使えない男にいつまでも期待を寄せる議長ではない。

 それよりも、注視すべきは大公の国の動きの方だ。

 ――大公の国は少々、太りすぎた。

 女帝はおそらく、賠償金の支払いが終わるまでは動かないだろう。

 このあたりで手を打っておかなければ、肥太った大公の国が、調子付いて、次にその鉈をどこに振り下ろすか――。

 女帝の帝国や、周辺国ならばいいが、いずれこちらに向き直らないとも限らない。

 報告書の存在がそれを示唆している。

 そうでなければ、新しい兵器など開発するものか。

 大公は力を蓄え、次なる獲物を狙っているに違いない。

 届けられた報告書を握り潰すと、議長は苛立ちを隠すことなく、やや大きい足音を立てながら部屋を後にした。

 まもなく、議会が始まる時間だ。


 議会室に議長が入室すると、無駄話をしていた議員たちは慌てたように押し黙った。

 それは、いつもの光景だった。

 議長は室内にするどい視線を走らせる。

 そして、どこか雰囲気が違うことに気がついた。

 何が違うのか具体的にはわからないが、直観が異変を感じ取っている。

 視線があうと、議員たちは慌てたように目をそらしていく。

 それもまたいつもの光景だが、何かが違うと議長は思った。

 議長の違和感をよそに、議会はいつものように始まった。

 議題は大公の国のことだけではない。

 国内の問題もあり、商人たちからあげられた陳情なども多々あった。

 そして、議題が進み、彼の派閥の議員が手を挙げる。

「大公の国について、もはや、和平協定を続けるには無理があることを証言します」

 それはあらかじめ、議長が仕込んだものだ。

「大公の国の経済は、急激な発展を見せ、我が国と並ぶ勢いにあります」

 議員がそう発言すると、「誰かがあいつを大公の国に送り込んだからじゃないか」と誰かが言う声が聞こえた。

 議長は驚いて声のする方を見たが、みんな目をそらして、素知らぬふりを決め込んでいる。

(なにか、おかしい)

 議員は咳払いをすると、発言を続けた。

「帝国に敗北はしたものの、彼らの好戦的な野心に変わりはなく、今や新しい兵器の開発を進めているという情報が入りました」

 そこで小さなざわめきが起こる。

 新しい兵器の開発は、好戦的である決定的な証拠として受け止められたのに違いない。

「彼らに先手をとられる前に、ここで我々が行動を起こすべきです。我々はライフル銃を大量に生産し、さらに、彼らの使う野砲の開発にも成功しました。もはや互角に戦うことができるだけの兵器を手に入れたのです。新しい兵器の装備が終わる前に、我々はこの和平協定を破棄し、開戦に踏み切るべきではないでしょうか」

 議員が発言を終えると、議会内からぱらぱらと拍手が起こった。

「議長」

 そう言って次に立ち上がったのは、老齢の議員だった。

「今、我々が和平協定を破棄するのは得策ではないと存じます」

 堂々と言い放った老議員の言葉に、議会場にどよめきが起こる。

「一度結ばれた協定を我々の側から破棄するというのは、信用問題にも関わる。商売は信頼関係があってこそ成り立つもの。それは国も同じではないかね。自ら好んで渦中に飛び込む必要などない」

 老議員の言葉に勢いを得たのか、別の議員が挙手をする。

「これまでの話では、我々が勝てる保証がないのではないでしょうか。ライフル銃も野砲も、もとはといえば大公の国のもの。それを我が国が配備したからといって、相手も同じものを使うのであれば、確たる勝機があるとはいえません。そのような戦いを起こすのはいかがなものでしょうか。戦争は経済活動に打撃を与えます。国民はそれを望まないでしょう」

 議長はその議員を睨んだが、彼は素早く目をそらした。

「ここで事を起こさなければ、ゆくゆくは大公の国が第二の帝国となり、その我欲のままに、我々の国は侵略されるかもしれないのですぞ」

 最初に発言をした議員が、語気もあらく、周囲に同調を求めた。

 しかし、議会はそんな議員の荒々しい様子とは裏腹に、奇妙な雰囲気に包まれていた。

(やはり、なにかがおかしい)

「議決をとる」

 議長はことさら声を張り上げて、その場の支配権を握ろうと試みた。

 だが、結果は棄権が三名、ほとんどが和平協定破棄に反対にまわった。

 賛成したのは議長派の、それも全員とは言えない人数のみ。

 この状況に議長の苛立ちは頂点に達しつつあった。

 それを堪えながら、自室に戻り、部下を呼びつける。

「どうなっておる」

 怒りを抑えているせいで、声が低く震える。

 部下は、その無駄に大きな体格を、精いっぱい小さくしようとするかのように、縮こまりながら答えた。

「申し訳ございません」

「根回しをしたのではなかったのか」

 思わず怒鳴ってしまった議長は、さっと戸口に視線を走らせる。

 幸い人の気配は感じられない。

「それがその……。実は、近頃、大公の国を擁護しようとする議員が増えておるのです」

「なんだと」

「今や商売上、大公の国との結びつきは大変深いものになっておりまして、やはり戦争となれば、自分たちの商売への痛手は避けられないと……。同じ派閥の中でも、戦争を避けたいと言う者が……」

「ばかな。侵略されれば商売どころの話ではないのだぞ。わかっておるのか」

「それはもう。しかし、目先の商売がどうしても先に立つようで……」

 議長は目の前の大きな部下を睨みつけた。

 彼はひたすら畏まるばかりだ。

 今日の議会の雰囲気――、それには議長自身も少なからぬ違和感を覚えた。

 それがこういう結果につながったのは、もはやただの偶然とはとても思えなかった。

 そこで、議長ははっと思い当った。

「まさかとは思うが……。大公の国から賄賂など、流れておらぬだろうな」

 静かに問うた議長に、部下は視線を泳がせる。

「は……そ、それはもう。そのようなこと……あるはずがございません。し、しかし、他の議員が受け取っておるかまでは……」

 部下の態度が全てを明白に物語っていた。

「すぐに裏を取れ。どれぐらいの議員に賄賂がまわっておるのか、調べるのだ。それもすぐに。よいな」

「は、はい」

 部下は慌てたように部屋を出て行った。

(なんということだ)

 もともとこの国には賄賂を悪とする風潮が薄い。

 むしろ商売人たちの間では、賄賂は物事を円滑に運ぶ為の潤滑油という認識が強かった。

 それがこのような形で裏目にでるとは……。

 賄賂に関する裏はなかなかとれなかった。

 皆、議長の制裁を気にして、口をつぐんでしまったためだ。

 それでも、数十日に及ぶ極秘調査で、かなりの人数に、相応の額がばら撒かれているのは判明した。

 議長は憎々しげに大公の顔を思い出しながら、心の中で毒づいた。

(ただの戦争馬鹿ではないということか)

 報告にあがった部下は、以前ほどではないものの、議長を上目づかいに見ながら、畏まっている。

「処罰か何か……」

「そんなことをしても無駄だろうが。いったいどれだけの議員が金を受け取っておるというのだ。それをいちいち処罰してみろ。議会の人間はいったい何人残る」

 おそらくは、ほとんど残らないだろう。

 今の時期にそれをすれば、議会が混乱し、機能しなくなるだけだ。

 それは賢明ではない。

 こっそりと安堵の表情を浮かべる部下を尻目に、議長は思案した。

 こうなっては、和平協定の破棄の話はいつまでたっても前に進むまい。

 おめでたくも大公の国にいいように買収されてしまった議員たち――、その全てを動かすのは難しい。

 だが、買収されてしまっていると分かった以上、むしろ大公の国が何らかの意図を持っていると考えるべきだ。

「仕方あるまい……」

 動かない議会に対して、ついに議長は、伝家の宝刀を抜く決意を固めた。


 それから議長が臨時議会を招集したのは、さらに一か月後のことだった。

 古いしきたりを調べ、さらには煩雑な手続きを行うのに少々手間取ってしまったせいだ。

 召集された議員たちには事前に、大公の国との和平協定の賛否について話し合うことが知らされていた。

 一部の議員たちからは、そのような議題よりも他の陳情について時間を割くべきだという意見もあがったが、議長からの特別招集とあっては参加しないわけにはいかない。

 いつもと同じ手順を踏み、議会は開催された。

「まもなく、我が国と大公の国との和平協定の期限が切れる。そこで今後、和平協定を継続していくかどうかについて、賛否を問いたい」

 議長はそう切り出した。

 これまで和平協定は幾度となく、継続の手続きが踏まれてきた。

 継続のためには、議員の過半数の賛成が必要であり、前回も問題なく継続の手続きが行われた。

「議長。賛否の話し合いの前に、今回このような形で賛否を問う必要性について、先にお伺いしておきたい。これまで和平協定の継続手続きは通常の議会で行われてきたはず」

 開き直ったように堂々と発言する議員の一人に目をやり、議長は何食わぬ顔で頷いた。

「過日、我が国より大公の国に派遣されておる者より、情報が入った。大公の国では新しい兵器の開発が進んでおる。これは戦争をする意図があることを示す何よりの証拠である。このような情報を入手しながら、我々は手をこまねいておるのか。我々はいつからそのような臆病者になったのか」

 議長の言葉は、それほど議員たちの心を動かさなかったようだった。

 兵器開発については、前回の議会で持ち出された話であり、目新しさに欠けている。

「これより議決をとる。和平協定継続に賛成の者には、挙手を求める」

 やはり議員の大半が、和平協定の存続に賛成の意を示した。

 予想通りとはいえ、議長は心の中で毒づいた。

(先の読めぬ愚か者どもが)

「それでは、ここで国王陛下にご裁断を仰ぐこととする」

 議長のこの一言に、一瞬の静寂の後、議会場は騒然となった。

 この様子を議長は、見下すように一瞥し、控えていた秘書に合図を送る。

 慌ただしく数名の部下たちが立ち動き、やがて議会場の出入り口の扉がゆっくりと開かれた。

 有力な商人たちが貴族を政治の場から追い落とし、議会制が採用されてからおよそ百年。

 以来、貴族および王族がこの議会場に足を踏み入れたことは一度もない。

 少なくとも、残されている文献上においては。

 議長は壇上を降り、この国最高の礼をもって国王を迎え入れた。

 慌てふためいた議員たちも、それを見てようやく、議長に倣った礼をとる。

 国王は周囲を一瞥し、ゆっくりと壇上にあがった。

 そして、議長の促しに従い、ようやく口を開く。

「話は議長から聞いた。余は王として憂慮しておる。この国の行く末を、だ。政治が王族の手を離れておよそ百年……。余の生のあるうちに、再びこのような場に足を踏み入れることがあるとは思わなんだが……」

 そう言って、国王は議会場にいる議員たちをもう一度、見渡した。

「平和は尊い。しかし、このまま波に流されているだけでは、我が国に未来はないのだ。国を導く者は目先の利益に捉われることなく、国の将来にとって有益な選択をせねばならぬ」

 議員たちがごくりとつばをのむ音が聞こえてきそうなほど、議会場は静まり返り、皆、国王の言葉に聞き入っていた。

「よって、和平協定の継続の法案に対し、拒否権を発動する」

 あっと誰かが声を上げるのが聞こえた。

 もはや国王の拒否権というもの自体を忘れている者――、存在自体を知らない者もいるかもしれぬ。

 議長は事前に国王の元を何度も訪れ、少なくない手土産も持参し、ようやくこの拒否権発動が実現したのだった。

 どんな法案であろうと、拒否権が発動されればそれは絶対だった。

 かつての王族が議員たちにその政権を譲る際、たった一つその手に残した権利。

 歴代の王たちが、何があっても絶対に手放さなかったその権利は、この法治国家において絶大な威力を発揮するものであった。

 国王が厳かに退室したあと、議員たちは呪縛が解けたように、それぞれの椅子に力なく座りこんだ。

 その様子を、議長は口を歪めて見つめていた。

 そして、誰もが呆然とする中、再び壇上に戻る。

「和平協定の継続は否決された」

 静まり返った議会場に、議長の声が響く。

 その声に、議員たちは我に返ったように顔をあげた。

 その間の抜けたたくさんの顔を見渡しながら、議長は宣言する。

「これより一週間後、大公の国に対する協定破棄後の動きについて、大案をまとめる」

 もはや、誰も反対の声をあげることはない。

 拒否権を覆すことは、もはや不可能だからだ。

 どの議員も、国に背くつもりで和平を主張していたわけではない。

 こうして議員連合国の議会の流れは、大公の国との戦争へと一気に傾いていったのだった。

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