取引
修正第2版です。
無機質な壁の一部分に映る、色鮮やかな外の景色。
城壁に囲まれた町。
砦は半ば瓦礫となり、城門があったところからは、まだ細く煙が立ち上っているのが見える。
そこは、この国最果ての地。
補佐官の危な気のない采配に満足し、オレは映像を閉じた。
(予想以上に簡単に落ちたな……)
もう少々手間取るかと思ったが、相手の兵力が少なかったとはいえ、全く相手にならなかった。
先程まで異空間を開いていた壁は、今は無機質な壁へとまた戻っている。
そこにはよく見なければ分らないような、小さな傷が刻みこんであった。
一見すると何の形かは分らないだろう。
それはこの国の地図だった。
東西南北にのびる大地。
中心から、すっと指でなぞって、北の端までたどった。
そして、そのちょうど線が途切れるあたりに、十字形の印を刻んだ。
(ここが、始まりだ)
進むべき場所は、まだたくさんある。
オレは思わず目を細めた。
今後さらにどこを攻めていくか、綿密な計画が既にオレの頭の中には描かれている。
部隊は忠実に動いてくれるだろう。
あとは、人材だ。
これからは軍隊だけを動かしていくのではなく、領地として機能していく体制を整えたい。
その為の人材の目星は既に、つけている。
さて。
ここからが、オレの異能の力の見せ所だ。
オレは自分の独房の壁に、小さな異空間の"窓"を作る。
その異空間が映し出すのは、いつも声だけで話し合ってきた情報通の男の独房だ。
男は背中を向けて、だらしなく寝転がっていた。
「邪魔するぞ」
オレが一声かけると、男は「ふぎゃ」とも「ぶひゃ」ともつかぬ奇妙な音を上げて、飛び起きた。
「だ、お前……どうやって……」
「オレだ。わかるか」
男はしばらく黙っていたが、やがて神妙な顔で頷いた。
「軍服男だな。オレの向かいの独房にいる」
「そうだ」
「なるほど、これがお前の異能の力ってわけか……。驚かせやがって」
オレは口の端を持ち上げて、軽い笑みを浮かべた。
男は思っていたより若い。
髭と髪は伸び放題だが、その間から覗く顔はいかにも狡猾そうに見えた。
「面白い能力だな。なかなか役に立ちそうだ」
「十分役に立っている。そろそろ、この独房での生活も退屈してきたんじゃないのか」
そう言うと、男は肩をすくめた。
「そろそろどころの話じゃねえさ。年中退屈してる。何かいい話でもあるってえのかい」
オレは男をじっと見た。
狡猾そうだが、この独房という狭い空間にいながら、この男はかなりの情報通だ。
それはつまり、それだけの能力があるということ。
うまく使えば、いい人材になる。
「取引をしないか」
オレの誘いに男は一瞬その表情に警戒感を走らせ、次に計算高い顔になる。
「取引、か。そうだな……。面白そうな話なら乗ってもいいが……。まあまず、話を聞こう」
男はそういうと、改めてこちらに向かって座りなおした。
「あるところにオレの軍隊がある。その軍隊がとある町を占拠し、統治するとしよう」
オレが話し始めると、男は驚いて、口をはさんだ。
「ちょ、ちょっと待て。それは本当の話か」
「人の話は最後まで聞いてもらおう。そう言ったではないか」
「そうだが……。わかった。最後まで黙って聞こう」
今度こそ覚悟を決めたように、男は拳を握り、ぐっとオレを睨んだ。
それを見て、オレも気軽な調子で話を進める。
「オレは軍隊を所有しているが、統治するにあたって、部下が不足している」
「政治的な面においてだな」
男はしたり顔でうんうんと頷く。
「そうだ。例えば財務。例えば法務。例えば宗教……。そういう部署を作りたい」
「なるほど。この国にはあまりない分類だが、それをその統治する領地でやるわけだ」
今度は男の言葉にオレがひとつ頷いた。
なかなか話が早い。
「この牢獄には、異能の力を持つ者ばかりが集められているのだろう」
「そうだ」
「オレ自身は他の者がどういう能力を持ち、どういう人間なのかは把握していないが、中には優秀な者もいるのだろうな」
「そうだな。官僚崩れの人間や、そういうのも何人かいるな」
やはり、だ。
この牢獄の人間を使わない手はない。
すべての人間が使えるとは思わないが、やはり何らかの異能の力を持った者たちだ。
それにもともと、この牢獄の人間たちは、この国の者ではない上に、国王には一方ならぬ怨みがある。
そこが良いのだ。
「オレが未来の役職を約束するとして、オレの元で働く気はないか」
「なるほど……。それが本当なら、おもしれえ話だ」
男はしばらく考え込んでいたが、やがて顔をあげた。
「この窓みてえなやつは、ひとつしか作れねえのか」
「いや、小さいものなら、複数作ることも可能だが」
そう聞くと、男はひとりでうんうんと頷き、こちらを見た。
「独房の中の人間なら何人か心当たりがある。まあ噂やなんかもあるが、あたりをつけた人間とまず交渉をしてみるってえのは、どうだい。いちいち全部の独房にこういうことをするのは、効率が悪い」
もとよりそのつもりだ。
口に出して言ったつもりはなかったが、男もそのことに思いあたったらしい。
「なるほど。わしが最初に選ばれたのは、こういう役割で必要とされたからってわけだな」
オレの沈黙を肯定ととったらしい。
男はふん、と鼻をすすった。
小汚い男だが、彼自身が言うには、彼はもともと宗教者だったらしい。
一見、ただの怪しげな中年男だが、この特異な環境における彼の人脈と情報網はなかなかのものだ。
「まあ、わしの本領はこんなもんじゃないんだが……」
「ゆくゆくは、正しい能力が発揮できる地位を用意しよう。それまでは、かなり地道に動いてもらわなければならないが」
男は迷うことなく頷いた。
「よかろう。どうせ、この独房ですることなどない。お前さんのその能力を使えば、今まで話でしか聞いたことのなかった人間も、知ることができるしな」
そう。
そして、いつかはこの独房から抜け出してやるのだ。
「オレには人材を。そして、オレについてきてくれる者には未来を――。そう悪い取引ではあるまい」
「なるほど。それを謳い文句にさせてもらおう」
そう言って男は、汚く笑った。
交渉成立だった。