策謀
青く澄み渡る空の下に広がる、大きな港。
そこには何隻もの大型船が停泊しており、また、たくさんの荷物を積み込んで、これから出港する船の姿もあった。
港は、かつての港とは明らかに様子が違っている。
往来する船の数が増えた。
貿易で取引される品数も増え、事業に新たに参入する商人たちもまだまだ増えつつある。
右大臣が打ち出した経済政策は着実に成果をあげていた。
港だけではない。
右大臣は商業の仕組みにも、大幅な改革を行った。
最初こそ戸惑う声が聞かれたが、現実に大きな利益があがるとわかると、商人たちはこぞってこの制度を褒め称え始めた。
国が女帝の帝国に敗れ、和平を結んでから数年が経過した。
議員連合国との和平協定も継続され、国民は平和に安堵し、経済活動に専念することができている。
女帝に賠償金は支払い続けているが、それ以上に我が国はかなりの税収をあげ、その懐を肥やしつつある。
「予想通り……いや、それ以上の成果だな」
オレは異能の力によって開いていた小さな"窓"を閉じた。
眼前に広がった青空も、港から漂う独特の香りとともに消え去る。
商人たち――特に、この国の議員たちから直接称賛の声があがると、閣僚たちも右大臣の能力を認めないわけにはいかなくなっている。
一方で、親衛隊の特務隊による護衛という名の右大臣の監視も、続けられてはいたが。
国民はこの束の間の平和に酔いしれているが、これは表面上だけのものにすぎない。
水面下では多額の賄賂が動き、その平和を維持していることを、国民たちは知らないだろう。
右大臣をこの国に招いてから後、オレは議員連合国の議員たちの買収を始めていた。
そしてそれは着実に浸透しつつある。
特別彼らに国に背くようなことをさせるわけではない。
賄賂を渡し、少々我が国に対して好意的になってもらうのだ。
国家機密とまではいかなくても、議会の流れや、方向性などのささやかな情報提供――。
賄賂の見返りといっても、それぐらいならば、彼らの良心もそれほど傷まない。
そして、いざ我が国を害するような流れがあれば、できるだけ回避するように動いてもらう。
その程度のことだが、この世界で不確実な和平を持続するためには、必要な措置だ。
「失礼いたします」
部屋に訪れた情報卿は、いつものように、多くの書類を抱えてやって来た。
彼に椅子を勧め、オレも向かい側に座る。
「お時間を作っていただき、ありがとうございます。こちらを」
そう言って情報卿は、一枚の紙を差し出した。
それは右大臣が月に一度、本国である議員連合国の議長宛てに提出している、報告文書だ。
それらはすべて、当初から秘密裏に中身を複製させ、保管してある。
右大臣の報告文書は、主に自分が手がけた経済政策の内容や、その進捗状況などが中心だ。
「前に見たのと同じだな」
「はい、先月の写しです。そして、こちらをご覧ください」
並べて置かれたそれは、全く別の文章だった。
この国における経済の目覚ましい発展。
経済政策は斬新すぎるものであったが、それは右大臣の予想以上に受け入れられ、この国で爆発的な成功をおさめてしまったこと。
未知の兵器が開発されつつある現状。
さらに文章は、叩くのなら早期が望ましい、と結ばれている。
「これは……」
オレはその文書を見て、思わず目を細めた。
「ようやく解読に至りました。当初は問題のない内容だと見過ごしていたのですが……暗号文になっておりました。もっと早く気付くべきでした」
「なるほど……」
さらに解読が終わった文書もすべて読み進める。
「右大臣を拘束致しますか」
情報卿が声をかけた。
オレは、ざっと目を通した文書を机に放り投げ、腕組みをして思案する。
文書の内容は、確かに処罰に値する。
しかし、それはある程度予想していたことでもあり、そして何より、右大臣の能力は処分するにはあまりに惜しかった。
「引き続き監視を続ける。逃げるような素振りを見せたら、こちらの指示を待たずに拘束せよ」
「すぐに拘束せずとも、よろしいのですか」
情報卿が驚いた声を上げた。
「議員連合国内には『右大臣は裏切った』という偽情報を流せ。右大臣が二度と本国に戻れぬよう、工作するのだ」
「なるほど……。やってみましょう。しかし、右大臣にそこまで惚れこみましたか」
「使える人材は嫌いではない。……あの者にはこのまま、我が国の経済の主柱となってもらう」
オレの言葉に情報卿は、ただ頷いた。
「この文書が議長に渡っているならば、議長は会戦へ舵をきる可能性が高い。買収した議員連中にも、ひと働きしてもらわなければならんな」
「議会の流れを反戦に向けるのですね。この時間稼ぎがどれだけ議長に通用するかですが……」
できれば、もう少々時間が欲しい。
買収した議員たちには、もうしばらく、議長の動きを抑える重石になってもらわなければならない。
その日、日が落ちて建物内の人も疎らになる時刻。
三人の人影が、静かに執務室に滑り込んできた。
太政大臣、兵部卿、情報卿の三人だ。
「始めるか」
オレは口にしていた葉巻を潰し、自分の椅子からゆっくりと立ち上がった。
執務室の中央に据えられた大きな机の上には、周辺国を網羅した地図が用意されている。
三人がすっと頭をさげて、控えた。
「情報卿、進捗状況を」
太政大臣の促しに、情報卿が兵部卿にちらりと眼をやりながら頷いた。
「は。兵部卿は今回初めて同席されるので、最初の経過より簡単にご説明たします」
同意をこめて、オレも頷く。
「現在、帝国国内を不安定にさせるため、下級貴族に対する援助を極秘に行っております」
帝国国内の潜在的な不穏分子は元々多かった。
女帝が勝手気ままな政治を行ってきたせいだ。
だが、彼女自身、そんなことを意に介する様子はない。
下級貴族や平民ができることなど知れている――、いつでも容易に叩きつぶせると踏んでいるのだろう。
「工作員を裕福な商人としてもぐりこませ、資金援助と武器の援助を行っております。もともと不満のあった下級貴族たちは、圧政を強いられる平民と同調し、反乱計画を進行中です」
そう言うと、情報卿はどこからか複数の赤い駒を取り出した。
「この地点と、この地点……。あとは……ここになります」
主要都市のほとんどに、その赤い駒が置かれる。
「今、反政府運動の拠点となっているところです。全てに工作員が関わっているわけではありませんが、大体の動きは把握しています」
その駒を見ていた兵部卿が眉をあげた。
「これは……。結構な数だな。それぞれの規模は」
「まだ、それほど大きなものではありません。一度に大量の武器や資金が動くと、女帝に感付かれる恐れがありますので」
用意してあった資料から、情報卿は反政府運動の規模を記した紙を机上に置いた。
「確定的な数字ではなく、あくまでこちらが把握している規模ですが。ぎりぎりまで力をため込んで、一気に動き出すよう働きかけています。このまま力を得ていけば、いずれ暴走する可能性もあります」
情報卿の発言に、太政大臣が腕組みをしながらひとつ頷いて言った。
「同時多発的に大規模な反乱を起こす方が、効果はあがるな」
「そう願いたいところですが。工作員はあくまで干渉しているにすぎませんからね」
情報卿が工作員に見立てた白い駒を、赤い駒の隣に置く。
「これだけの規模ということは、平民もかなり動いているな」
置かれていく白い駒を見ながら、オレは静かに言った。
平民が動けば規模が格段に大きくなる。
下級貴族の数など所詮知れているが、要はどれだけ平民を巻き込めるかだ。
「そうですね。今は下級貴族が主導的に動いていますが、さらに物資や武器が普及していけば、加担する平民達もさらに増えるでしょう」
情報卿の応えに頷き、オレはさらに言葉を募った。
「くれぐれも気取られることがないように。右大臣の動向にも注意を払え」
オレの言葉に情報卿は、やや緊張した面持ちで頷いた。
事は順調に進んでいるが、少しの油断が全てを無駄にしてしまうことになる。
「兵部卿、部隊の準備は」
急に話を振られた兵部卿だが、動じることなく、低い声で応えた。
「は。兵士、物資ともに問題ありません。造兵局で開発した兵器を、現在、工廠をあげて増産中です。来月には必要最低限の数が揃う手筈になっております」
「太政大臣、北東の傭兵国との調整はどうなっておる」
「はい、全てご指示通りに。現在は、こちらが要請した数を確保する為に動いているようですね」
今回の作戦には、傭兵国の騎士団が欠かせない。
その為に少々高い金を積むことになったが、それは致し方ない。
準備は着実に進んでいる。
「引き続き作戦を続行せよ。すでに戦いは始まっている」
三人の閣僚たちは、揃って敬礼をする。
――決戦の日は近い。




