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大公  作者: ヨクイ
第1章 姿なき主
5/80

狼煙

修正第2版です。

 無機質な石造りの壁。

 ぞくぞくとした寒気を誘う、冷たい床。

 そして、廊下とこの独房とを遮る冷たい扉。

 この小さな空間の中で唯一、外とつながっているのが、扉に付けられた小さな確認用の小窓だ。

 小さく開いたその窓が、外の世界へ続く、狭い廊下とこの独房とをつないでいる。


 顔の丸い中年男は、ぼりぼりと背中を掻いた。

 彼がこの牢獄に放り込まれてから、結構な年月がたつ。

 髭も髪も伸び放題。

 恰幅の良かった体も、随分と痩せ細った。

 かつていた場所では、神よ、教祖よともてはやされたものだが、今やこの有様だ

「ここのとこ、かゆくっていけねぇ」

 そうひとりごとを言うと、男は、よっこいしょ……と立ち上がる。

 この牢屋の廊下からは、昼間絶えず、ぼそぼそ何か言っている声や、激しく何かを打ち付けるような音、どうでもいいような話声などが聞こえてくる。

「……ったく、どこのどいつだ。うるっせえなあ」

 そう声を上げるが、壁を激しく叩くような耳障りな音は、全く止む気配がない。

 男はこの独房の中で、比較的古参だ。

 少なくとも自分ではそう思っている。

 この国にいる魔術師によって、この世界へ引っ張ってこられたのだが、大して使い物にはならないと判断されたのか、あっさりこの独房に閉じ込められた。

 オレの顔を見たとき、この国の王は、まるで汚いものでも見るように顔をしかめたものだ。

 全く、失礼にも程がある。

 そもそも使い物にならないと思うのなら、放っておいてほしいものだ。

「ったく、どいつもこいつも、馬鹿ばっかりでしょうがねえ」

 こん、と右側の壁の一か所で音がした。

 右側の壁を隔てた独房にいるのは、どこかの官僚だとかいう男だ。

 まともに話したことはないし、顔もつれてこられた時にちらっと見た程度だが、神経質そうな男だった。

 壁の特定の位置を一回叩くのは、「うるさいから、黙れ」という意思表示のようなのだが、それがまた癪に障る。

「うるせえ、ばかやろぉ」

 男は右の壁に向かって、わざと大きな声で怒鳴ってやる。

 すると今度は、左側の壁が、ざりざりと音を立て始めた。

 左隣の男は、あたりは柔らかいのだが、言うことにはかなり遠慮がなく、一日に何度も体を鍛えるとかで狭い空間で運動をするので、奇妙な音をたてるのだ。

 男は怒る気も失せて、ため息をつき、床にどっかりと腰を下ろした。

 そして、目の前に立ちふさがった、見慣れすぎるほどに見慣れた、扉に目をやる。


 半年ほど前、久しぶりに興味を引くような男が、向かいの独房に連れてこられた。

 見慣れない……おそらくは軍服であろう姿のその男は、そこらの下っ端兵士ではないことはすぐにわかった。

 眼光鋭く、他を圧倒するような体躯。

 その男の眼は、憎しみに強く光っていた。

 暴れるような様子はなかったが、その目に宿っている強い光に興味を覚えた。

 憎しみは人を駆り立て、突き動かすもの。

 ほどなくして、その軍服男は周囲に接触を求めてきた。

 低くよく響く声は、感情を押し殺しているが、何かの欲求に満ちていた。

 奴は情報を欲しているのだ。

 その憎むべき相手をどうにかしてやろうという欲求が、彼を衝き動かしているのに違いない。

 中年男は、その軍服男の問いに丁寧に応えてやった。

 男が知っている限りのこの世界の情勢、制度、異能の力について。

 そしてこの国の、国王について。

 これだけの情報を得て、さて、この軍服男は、この独房で何をしようというのか。

 男はそれに興味をそそられた。

 軍服男は、国王から「大公」という大そうな爵位をもらったらしいが、この独房で一体、その爵位が何の役に立つというのか。

 どうせ、王がいつもの気まぐれを起こしたのに違いない。

 この国の国王は気まぐれで、陰湿な男だということは、この独房中の人間が知っているといっても過言ではない。

 しかし。

 軍服男がこの独房に来て、およそ半年。

「見込み違いってことも、あるわな……」

 男はそう呟いて苦笑した。

 長く独房にいれば、人は皆、退屈する。

 軍服男が何かをしでかすのではないかと、勝手に想像したのだが、どうやらあてが外れたらしい。

 それでも、男は「まあいいさ」と思った。

 半年ほど、儚い夢想をし、退屈しのぎができたと思えば、それでいい。

 そう思い始めた、ある日のことだった。

 突然、大きな笑い声が聞こえてきたのだ。

 その声には聞き覚えがある。

 笑い声などはそもそも、この独房内で聞くことすら珍しいので、最初は何事かと思ったが……。

 やはり、あの軍服男の声だ。

 とうとう気でも狂ったのか。

「一体、なんだってんだ」

 男は重い腰を上げて、小窓から廊下を覗き見た。

 しかし、やはりいつもと変わらない、無機質な廊下がつながっているだけだ。

「おおい。大丈夫か。気でも狂ったのかあ」

 男が声をかけて、ふと、周囲がそれに聞き耳を立てていることに気づいた。

 周囲の者も皆、異様な笑い声の理由が何なのか、興味があるようだ。

 軍服男の笑い声はしばらく続いていたが、唐突にその笑い声がやんだ。

 独房に久しぶりの静寂が訪れる。

「狼煙をあげたのだよ」

 軍服男は、いつもの低い、よく通る声で言った。

「一体どういう……」

「あの男には後悔してもらわなければならん」

 男はたまらず、聞き返した。

「あの男ってぇのは、一体誰のことだい」

「この独房中の人間がよく知っている、あの男さ。オレたちをこの独房に押し込んだ人間だよ」

 軍服男のその答えに、男はしばらく黙りこんだ。

 何かが起こる――それは、あながち的外れではなかったのかもしれない。

 男は久しぶりに、ふやけきった自分の頭に血が巡り、動き始めるのを感じていた。


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