雲上人
修正版です。
王都の整備された道という道全てにおいて、馬車の往来が激しくなっていた。
国王軍と周辺諸国の連合軍が大公軍に大敗し、王家の血縁者はすべて”保護”という名目で幽閉された。
有力な貴族たちは命と財産がとられる前に国外に逃亡し、国外につてがなく、財産も少ない下級貴族たちは揃って恭順し、命乞いを求めてきた。
騒がしい外の往来とは裏腹に、国王がいた宮殿はがらんとしていた。
宮殿内を闊歩していた貴族たちは消え、多くの使用人たちが暇を出されて故郷に帰って行った。
オレは、大公領の本拠地に太政大臣以下、主たる大臣たちを残し、宣伝卿と大蔵卿、親衛隊を連れて、王都の宮殿に入った。
大蔵省の者たちには宮殿内にある資財を確認させている。
いずれ王都内の貴族屋敷や資財にも手をつけるつもりだが、今のところは封鎖するにとどめている。
親衛隊の一部は王都の必要な箇所に配備するために人員を割かなければならず、少数を護衛として手元に残した。
「美しい装飾ですなあ」
物欲もあらわに、宣伝卿は宮殿内のあらゆるところに目をやり、さも忙しそうだ。
牢獄にいた頃は中肉中背だった宣伝卿も、今はその肩書にふさわしく、豊かな腹を揺らしている。
顔も随分丸くなり、もはや牢獄にいた頃の面影は薄い。
「こういうところに住んでみたいものですなあ。大公殿下もいずれはこちらへお住まいになるんでしょう」
なにを表現しているのかよくわからない彫刻を愛おしそうになでながら、宣伝卿が言った。
「そのつもりはない」
「まさか。これだけの宮殿を空き家にしちまうんですか」
「有効活用する術は考えてある。だが、住むことはない」
「勿体ないですなあ……」
そう言いながら、今度は贅沢な装飾の施された立派な柱をなでている。
「王はどこにいる」
オレの問いに、背後に控えた親衛隊の一人が前に進み出た。
「この先の居室におられます」
王家の血縁者からも隔離され、王は豪奢な一室にいた。
室外にも室内にも親衛隊はりついている。
「ご機嫌いかがですかな。国王陛下」
オレはそう声をかけた。
憎しみに目を光らせた顔に、懐かしさはない。
長く憎んではきたが、実際に会ったのはあの牢獄に入れられる前のたった一度。
あれから数年が経過し、オレが覚えていたのは、この陰湿な目だけだった。
「貴様、わしをどうするつもりだ。わしの温情を忘れ、このような……。反逆者め」
もはや憎しみは遠い記憶だった。
胸の内を占めるのは、王という位に溺れた哀れな男に対する蔑みの感情だけ。
「国王陛下におかれては、これまでの寛大なお心遣いに感謝しておりますよ」
侮蔑の表情もあらわに、オレは国王に少しずつ近づいた。
そして、持っていた剣を喉元に滑らせて、細く線を描く。
王はがくがくと震え、喉元から赤い血を滴らせた。
王は自分が死ぬことなど想像だにしていないに違いない。
それが感じられることに、オレは苛立っていた。
どこまでも王であるこの男の愚かさが腹立たしく、オレは今すぐにでもそれが間違いであることを証明してやりたい衝動に駆られた。
しかし、ここで殺してしまってはならないこともよく分かっている。
震える王を部屋に残し、次は王の弟が隔離されている部屋へ向かう。
王弟とは初めて会う。
そして何かの間違いでもない限り、これが最後になるだろう。
王弟はあまり王とは似ていない感じがした。
色白でいかにも王族といった感じの装いだが、覇気がまったく感じられない。
むしろ間抜けな感じさえする男だった。
こちらはオレが部屋に入ってきた時点で、神経質に目を泳がせている。
「ここで死にたいか。それとも命だけは永らえ、静かに余生を送りたいか」
オレの要求は簡潔だった。
王弟は迷うことなく、生きながらえることを選んだ。
これがすべてだ。
国を乱した責任を取り、暗愚の王は退位。
かわりに王弟が即位する。
だが、この国を救うべく立ち上がった大公の勇気と英知に感動し、新王は その全権を、大公に委譲する。
やがて、王は国を乱し、他国の兵士を国内にまで導き入れてしまった己の愚かさを悔いて、自殺する。
それが、これから一般に広く流布される筋書きだった。
歴史や事実というものは、大概にして権力者によって上書きされるものだ。
国民は何も知らず、ただ日々の生活にいそしんでいればそれでよい。
王の存在など、国民にとってはるか遠い、雲の上のものなのだから。




