兵部卿
追加版です。
広大な敷地に展開する部隊を、兵部卿は腕を組み、目を細めながら見ていた。
「国王軍に勝ったことで、部隊の士気は非常に高くなっております」
兵部卿の隣で、同じように部隊に目をやりながら軍団長の一人が言った。
実戦さながらに、二手に分かれた部隊が、それぞれの陣地に分かれて出された現場の指示に従って動いていた。
片方の部隊はさらに二手に分かれ、背後から挟みこむ。
「天幕まで足を踏み入れた騎士を覚えているか」
兵部卿がよく通る低い声で言った。
「は……単独で天幕までたどり着いた者ですね。大公殿下が眉間を一撃で撃ち抜かれた」
思い出すとぞっとする。
あのまま捕える事が出来なければ、戦況はまったく違うものになっていたはずだ。
「今までの訓練を繰り返していたのでは、同じことがまた起こるぞ。あれが我々の弱さの表れだ」
平民を中心とした即席部隊の弱さ。
訓練や経験が少ないために、咄嗟の判断が遅れた。
遅れただけでなく、あの気迫に気圧されたところもあるだろう。
「しかし、あのように死を覚悟で突進してくるとは……」
「だから質が悪い。死ぬ気で突っ込んでくる馬鹿が一番危険だからな。だが、それを止められなかったのは我々の不備だぞ。前衛が易々と突破された為に、親衛隊ですら、天幕まで来ると判断できずに間に合わなかった」
「は……」
「経験しなければ培えないものもあるが、そんなことではこの先勝てん。相当数の訓練で補うしかないのだ」
「仰る通りです」
軍団長たちは一様に畏まった。
「わかっているなら、絞りなおせ」
「は……」
ここまで仕上げたという自負があっただけに、軍団長たちの表情は硬い。
「あれではだめだ。もっと底上げしろ。実践に即した訓練も増やせ。あらゆる状況に備えさせろ」
「はっ」
それだけ言い残すと、兵部卿はその場を後にした。
これ以上見ていても無駄だと判断したからだった。
勝利を確信していたあの状況で、騎士を天幕まで踏み込ませたという出来事は、兵部卿の自尊心を傷つけた。
自分自身も盾になろうとしたが、大公が拳銃を抜き放つ方が先だった。
だが、問題はそこではない。
前衛が考えていた以上に脆かったのだ。
やわらかな風に頬をなでられながら、兵部卿は険しい顔で執務室に向かって歩いていた。
「厳しい顔だな」
涼やかな声に気付くと、情報卿が前から歩いて来るところだった。
一見痩身に見えるが、その服に隠された肉体は、情報卿にしておくには勿体ないほど鍛えあげられている。
「おう、相変わらずご盛んらしいな」
開口一番そう言われて、今度は情報卿の方が渋面を作ることになった。
「貴殿にまで話が届いたのか」
情報卿はうんざりしたように言った。
情報卿の女性絡みの話は、兵部卿の耳にまでしっかり届いていた。
軍隊というと一見硬派そうな感じで受け取られがちだが、意外とそういう噂話が好きな人間が多い。
「情報卿ともあろう者が、噂に翻弄されるとはな」
兵部卿が口をゆがめて笑う。
「それとこれとは別だろう。私生活ぐらいそっとしておいてほしいものだが……」
「大公殿下の御耳にまで届いてそうだな」
「真顔で恐ろしいことを言うのはやめてくれ。それでなくてもあちこちから突き上げを食らってまいってるんだ」
そう語りながらも、情報卿はそれほど弱っているようには見えない。
情報卿は普段は隙がなさそうに見えるのだが、時折こういった面を見せる。
そういうちょっとした隙が女性を惹きつけるのだろう。
兵部卿も十分整った顔立ちをしているのだが、強面の彼をうっとり見つめているのは大抵が男だ。
「うまくいってないのか」
情報卿の問いかけに、兵部卿がまぜっかえす。
「話題を変えようってわけか。まあいい」
一呼吸おいて、兵部卿は周囲に目を走らせた。
幸いこちらに近づく者は誰もいない。
「俺は軍人だが、一から組織を立ち上げるのは初めてでね。親衛隊から教育にまわっている者も多いが……難しい。もちろん大公殿下のご指示もあるんだが、全てではない。この世界独特のしきたりもあるしな」
「確かにな。だが、むしろ何もないところから立ち上げる方が私は楽しいが」
情報卿が言うと、兵部卿も頷いた。
「お前はそうだろうな。……まあ、面白いといえば面白い。だが、部隊が仕上がっていないからと言って大公殿下は待ってはくれん。次の戦いが始まるまでに、前回の欠点は克服しておかなければならん」
「ああ」
応えた情報卿も、件の騎士を思い浮かべているのだろう。
誰もが知っていることではないが、大臣連中や軍幹部は全員耳にしていることだ。
屈辱的な思いが、また兵部卿を襲う。
そこに情報卿を呼ぶ声が響く。
「おっと。長話をしている暇はないんだった」
情報卿は情報卿で多忙だと聞き及んでいる。
「引き留めて悪かったな」
「いや、私が引きとめたんだよ。……ひと段落ついたら、一緒に一杯やろう」
軽妙な切り返しに兵部卿も頷く。
「そうだな」
情報卿が部下と共に歩み去るのを見送ることなく、兵部卿も歩き始めた。
まだまだやらなければならないことが山ほどある。
立ち止まっている暇などないのだ。




