実無き爵位
修正第2版です。
オレが「大公」という紙切れだけの爵位を与えられ、狭い独房に放り込まれてから、数か月が過ぎた。
最初こそ、まだ夢を見ているような気分が残っていたが、すぐにそんな感覚もなくなった。
今いるこの世界は、傷があれば痛みが走り、腹が減れば空腹を感じる――少なくともオレにとって、現実の世界であることを悟ったのだった。
そして、現実感が増すほどに、あの陛下と呼ばれたこの国の王に対する憎しみもまた、日に日に増していく。
独房は、石壁を隔てて、いくつも部屋が続いている。
看守の目の届かない時間を利用して、オレは姿の見えない独房の隣人たちへの接触を試みた。
姿は見えないが、声は届く。
そこでオレは、驚くべき情報を手に入れたのだった。
ここに集められた者たちは皆、この世界とは異なる世界からあの老人によって集められたのだという。
オレもその一人というわけだ。
最も驚くべきは、我々……ここに集められた者たちが、普通の人間にはないような力を持っているという話だった。
別の世界からこの国にやってくるときに、何か特異なものを身につけるのか、もしくは、そういう潜在的なものを持っていたから、呼び寄せられたのか――どういう仕組みになっているのかは誰も知らないが、事実この独房にいる者たちは皆、変わった力を持っているという。
「だが、おれたちは用無しなんだよなあ」
どういう訳か内部事情に詳しい男はそう言って、黙った。
王は、自分の使いたい能力を持っていた者以外は、すべてこの牢屋に押し込めているのだという。
「なぜ処分しないのだろうな」
「さてねえ。そんなのはこっちが聞きたいぐらいだ。この先何かで使おうと思っているのか……、何だろうね。まあ、生きていられるだけましってもんさ。そう思わない連中もいるようだがな」
未来のない牢獄にいる生活に、絶望する者もいるのだろう。
「元の世界には戻れないのか」
「さてね。やってやれるのなら、誰かがもう試しているだろう。そういう噂は聞いたことがねえな。独房で誰かが死んだって話は聞くが、消えたって話は聞かねえ。あの魔術師なら何か知っているかもしれねえが……。少なくとも、自力では無理なんだろ」
自力で帰れないとなれば、少なくともここを出ることを考えなければならない。
オレたちが持つこの特殊な力のことを、男は「異能の力」と呼ぶので、オレもそう呼ぶことにする。
他の者たちが、どういう力を持っているのかは未だ知らない。
だが、オレは自分の力をすぐに自覚することができた。
オレが思う故郷の映像が、ある日突然、手のひらに映像として映ったからからだ。
それはとても小さなものだったが、オレを驚かせるには十分なものだった。
最初は幻かと思ったが、それは確かに、現実の映像だった。
それは、実際に見たことのある場所もあれば、全く知らない、どう見ても故郷ではない場所であることもあった。
思ったような映像を見るためには、かなりの試行錯誤が必要とした。
集中するため、同じ映像を安定的に長く見ようとすると精神的に疲れる。
しかも、それは精神的疲労だけではなく、続けて長時間行うと、まるで外を全速力で走ったような疲れが体を襲う。
だが、そんな疲労など、軍隊時の訓練に比べれば、それほど過酷ではない。
オレは出られないと分かったこの牢獄にいる時間の全てを賭けて、この能力を鍛えあげることにした。
役に立つのかどうかは問題ではない。
今のオレにできることは、それしかないように思われたのだ。
そして、それがオレに唯一残された何かの可能性の様な気もしていた。
日々の鍛錬によって、オレは少しずつ、見ることのできる映像の大きさを拡大することに成功した。
そんなある日、オレがその広げた空間から、花弁がはらりと舞い込んできた。
「これは……」
思わず、オレはその花弁を手に取った。
冷たい牢獄に舞い込んだ、一枚の花弁。
(オレが見ているこの映像は、やはり現実の映像……いや、実際に存在している"場所"なのだ)
それは大きな衝撃だった。
だが、試しに空間にのばしたオレの左手は、その空間を通過しなかった。
(オレ自身はその空間を通ることはできない……)
その事実は、オレを少なからず落胆させたが、すぐに、それでも、と思いなおす。
そこで、オレは空間の特性を探るため、思いつく限り、いろんなことを試してみた。
独房から投げ込んだ、塵や埃の類はすべて向こう側へ通り抜けた。
(こちら側から、物を送ることもできるということが証明されたわけだ)
だが、こちらから空間内に手を伸ばすことができない上、この独房内にある物などたかが知れている。
何度も試行錯誤を繰り返していたある日、偶然通りかかった鼠が、この空間を通りぬけてきた。
(生物も通り抜けられる……)
それはつまり、おそらくは、オレ以外の人間も通り抜けられるということではないのか。
どういう原理なのかは分らないが、おそらく、オレ以外の人間や物質は通り抜けられる――、オレはそう仮定する。
そして、次第にオレは大きさだけでなく、複数の空間を広げることができるという事実にも、程無く気づいた。
うまくやれば、その空間同士を直接つなげることもできた。
試行錯誤する中で、空間と空間につなぎ、とある国の猫を別の世界に渡らせることに成功した。
これはオレにとって、ひとつの大きな可能性だ。
思い立ち、オレはかつて自分のいた世界を覗き見た。
そこには、予想に反して、かつてのオレがいたのだった……。
最初は、過去の幻影を見ているのかと思ったが、オレが映す世界は現実の世界。
(時の流れが違うのか……)
そうとしか、考えられない。
そこには、敗戦をまだ知らないオレがいる。
だが、今のこの世界にいるオレが、そこに辿り着くことはない。
それはとても奇妙な感覚だった。
(だが、急がねばならん)
オレは、ある計画を立てた。
オレを独房へと送ったあの男……あんな男が国王だとは。
戦場を知らず、人気取りだけのために無茶な作戦を送ってよこした、かつての本国の有力者たちの姿が重なる。
(……愚か者どもめ)
力を持ちながら、それを生かすことのできない馬鹿どものために、なぜ、オレの軍隊が疲弊していかなければならないのだ。
オレは生まれ育ったあの国では、"持たざる者"だった。
しかし、今度は違う。
愚かな王のおかげで、地位だけは手に入れたというわけだ。
(王よ、待っているがいい。あとで驚きと恐怖に突き落とされるのはお前の方だ)
入念に練った計画を、オレは小さな鼠に託すことにした。
いずれ敗戦を知る彼らは、オレの計画を受け入れてくれるだろうか。
小さな鼠は託された書簡を背負い、異空間の先に消えていった。