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大公  作者: ヨクイ
第1章 姿なき主
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敗軍の将

修正第2版です。


タイトルロゴは、蒼崎れい様からいただきました。

 天幕の外では生暖かい風が吹いていた。

 戦況は膠着状態。

 長らく敵軍との小競り合いが続いており、大きく戦況を打開する手立てが見えないでいた。

 そもそも兵が不足している。

 本国はあちこちに手を伸ばしすぎたのだ。

 我が国は、支配地を守るために兵を分散せざるを得ず、その結果、重要な拠点をいくつか失ってしまった。

 オレが任されているのもその一つだが、ここだけは絶対に死守しなければならぬ。

 しかし、本国にある軍本部自体も統制がとれているとは言い難かった。

 負けが込んでくると、本国の有力者たちは国民の人気取りのために無謀な指令を送ってくる始末。

 戦場を知らない本国の無能者たちには腹立たしさを通り越して、既にあきらめに似た感情すら湧いてくる。

 この場ではオレが最高指揮官だが、本国からすればオレは数多くいる将軍の中の一人にすぎない。

 もしも軍の全てを掌握する権力があれば、事態を打開できる自信があるというのに――。

 だが、いくらそう願ったところで、それは仮定の話でしかない。

 現実に目の前に広がるのは、自分が任された戦場のみだ。

 今のオレにできることは、この戦場において不利な戦力で現状を好転させることのできる策をひねり出すことだけだ。

「本部より、連絡です」

 無線機の前に座る通信士が振り返って、言った。

 本部からの連絡に良い知らせなどあるはずがない。

 無謀な作戦、無茶な命令――もう、うんざりだ。

「閣下、そう嫌な顔をしないでください」

 昼夜を同じ指揮所の天幕で過ごす幕僚の一人が言った。

 そう言う彼の表情も、見るからに考えていることにそれほど大差はないだろう。

 しかし、次第に通信士の顔がこわばり、受信機を持つ手が小刻みに震え始めた。

「どうした」

 あまりの動揺ぶりを不審に感じ、オレは通信士の傍によって肩に手をかけた。

 はっと我にかえった若い通信士は、震える声でようやく言葉を発した。

「本国は……本国は、敵の降伏勧告を受諾したと……。直ちに戦争行為を中止するようにとのことです」

 天幕の中が一気に静まり返った。

 まさか。

 敗戦の色は確かに濃かったが、それでもまだ挽回の機会はあると思っていた。

 頭が真っ白になり、部下にかけるべき言葉が出てこない。

 皆が一様に茫然としていた。

 逆境に耐え、ここまで戦い続けてきたというのに……こんな惨めな末路があろうか。

「閣下、無念です……」

 部下の静かな一言に、オレははっと我に帰った。

 男泣きに涙をぬぐう者もいれば、悔しげに歯を食いしばる者もいる。

 しかし、オレまでもが感傷に浸っているわけにはいかない。

 敗戦となれば、敗戦の将としてやるべきことがある。

 オレは、息を吸い込み、腹の底にぐっと力をこめ、わざとよく通る声で言った。

「皆も聞こえたと思うが、我が国は敗戦勧告を受諾した。本国は負けたが、我々の戦いは完全に終わったわけではない」

 皆の視線が一様に、オレに集まった。

「今後どのような状況になるかもわからぬ今、兵器を敵に渡してはならん。全て我々で処置する」

 次第に幹部たちの目に、現実という光が戻り始めた。

「本国の指示を待たずに、そのようなことを勝手にやってもよろしいのでしょうか」

「かまわん。本国も敗戦で、少なからず混乱の渦中にあると推測する。それどころではないだろう。兵器の処置については、オレが責任を持つ」

 幕僚たちは、明確な仕事を目の前に提示され、ようやく理性的な思考が戻ってきたようだ。

「弾薬を一か所に集め、爆破せよ。兵器はすべて海に沈める。沈めることができない物は、勘づかれることのない場所に埋めよ」

 目の前にいた幕僚の一人が神妙な面持ちで頷いた。

「書類はすべて燃やせ。一片たりとも残すな。情報漏洩がないように、緘口令を徹底しろ」

「了解しました」

 小気味よい返事が響き、指揮所天幕の中が再び慌ただしく動き出した。

 まるで止まっていた時間が、再び刻み始めたかのように。

 兵器の処置だけではない。

 本国とも連絡を取り、これから部隊全てを無事に帰国させる手筈を整えなければならない。

 気を張りすぎたのか、疲れが出たのか、どっと背中のあたりが重く感じられた。

 気を利かせた兵士が椅子を用意してくれたので、そこに崩れるようにどっかりと腰を下ろした。

 まだまだやらなければならないことがある。

 だが、頭をめぐらそうとする理性とは反対に、体は言うことを聞かず、オレは徐々に意識が薄れていくのを感じた。

 しっかりしなければ――。

 そうは思ったが、それは抗うことのできない、深い闇だった。


 鈍く背中に痛みが走った。

 手足が重く、体は下へ下へと引っ張られるようだ。

 まるで水中にでもいるかのように、くぐもった声が、朦朧とした頭に響いてきた。

「……こちらなのですが」

「……だな。どうだ、使えそうか」

 どちらも低い男の声だった。

「それが……。力は感じられますが、どうやら……のようです」

「ふむ。まあ、……でも、……なら仕方あるまい」

 何の相談をしているのだ。

 状況を把握しようと、必死に頭を働かせようと意識したが、まるで役に立たない。

 だが、ほどなくして、それほど努力しなくても次第に水に浮上するように、意識が鮮明になってきた。

「目覚めたようです」

 ゆっくりと目をあけると、白く長い顎髭を生やした、見知らぬ老人の姿が目に入った。

 オレはどのくらい眠っていたのだろうか……。

 自分の知る者の中にこんな老人などいない。

 そもそも戦場にこんな長い鬚の生えた老人がいるはずがない。

 その衣服にも違和感を覚えた。

 仮に敵国の者だとしても、オレの知る限り、このような装いは未だ見たことがない。

 暗い色の装束だが、無駄に長い袖と、首から足元まで、すとんと伸びた長い服。

 陰鬱とした目が血色の悪い顔色に妙に調和していて、いかがわしい呪い師のようにも見える。

 しかし、その老人の背後から現れた男を見て、オレは不覚にも背筋に寒気を覚えた。

 情の欠片も感じられない酷薄な瞳。

 だが、身にまとっているのは、まるで子どもが読む童話に出てくる王様のような、場違いな装束。

 一体、何者なのだ。

 言葉や所作から推察するに、老人は明らかに彼の部下のようだ。

 そして、老人は華美なこの男のことを「陛下」と呼んだ。

 どうやら、どこかの偉い人間らしいことは間違いない。

「異国より来る客人よ。遠路はるばる、我が国へようこそ」

 まるで芝居をするように、陛下と呼ばれた男が、オレに向かって鷹揚に言った。

 異国……。

 やはりここは異国なのか。

 本国が負け、オレは不覚にも、どこかの国の捕虜となったのか。

 しかし、敵国でないのなら、一体ここはどこなのだ。

 オレの頭はひたすらめまぐるしく、周り続けた。

「我が国は客人には寛大でな。欲しいものがあれば、何なりと言うがよい」

 そういう男の顔はどう見ても寛大そうには見えなかった。

 これは何かの罠なのか。

 手足の痺れは本物の様に伝わってくるが、どうしてもこれが現実だという感覚が薄い。

 オレは少しでも状況を把握しようと、とっさに周囲に視線を走らせた。

 ここは、石牢というのがふさわしいような、四方を石壁に囲まれた薄暗い空間だった。

 部屋を照らすのは、幾つかの松明の光。

 ふと自分が横たわっているのが、石の台のようなものだと気づいた。

 ひんやりとした感触が背中を伝わってくる。

 敗戦処理はどうなったのだ。

 差し出された椅子に座ったことまでは覚えている。

 幕僚たちは……。

 オレはまだ眠っているのだろうか。

 これはオレの夢なのか。

 それとも、敗戦の混乱の中で、オレは頭がおかしくなったのか……。

 いろんな考えが、頭の中を駆け巡ったが、現状を説明するような、これといった答えは見つからなかった。

 何も言わないオレに痺れをきらした老人が、苛立ったように言い募る。

「ほれ、何とか云わぬか」

 現状がどうとも分からない上では、なんとも答えようがない。

 だが、本当になんでもいいと言うのならば、欲しいものははっきりしている。

「地位が……地位が欲しい」

 オレはまるで、何年も話していなかったかのように、声を絞り出した。

「ここがどこの国なのかよくわからないが、誰にも束縛されぬ地位……誰もがひれ伏す権力を握れる地位が欲しい」

 そんなことが可能ならば、誰も苦労はしないのだ。

 言ってしまった後に、我ながら子どもじみていると思った。

 だが、戦争中、ずっとその思いが頭の片隅にあったこともまた、事実なのだった。

 自分にもっと地位があれば、権力があれば、軍隊をうまく指揮し、勝利に導くことができたのに、と。

 老人は驚いたように、顔をしかめた。

 それが当然の反応だろう。

 そんな望みが簡単に叶うほど、世界はおめでたくないことぐらい、オレも分かっている。

 老人が何か言おうとするのを手で制し、陛下と呼ばれた男は、意外にも笑って見せた。

「面白いことを言う。無謀なのか、愚かなのか……どちらも同じことか。……よかろう、そなたに大公の地位を与えようではないか」

 これにはオレ自身も驚いた。

「大公というのは、どういう地位だ」

 オレが小さな声で問うと、老人が勿体ぶって応えた。

「大公とは、この国では最高位の爵位にあたる。陛下に次ぐ高位といっても良い」

 オレはその答えに驚き、思わず目を細めた。

 こんなに簡単に受け入れられるとは。

 この国にはそれほど人材がいないのか、それともこの陛下という男は、見かけ以上の酔狂者なのか。

「そうだの。面白いついでに、こうしようではないか。そなたが自力で得た領土は、そなたの領土としてよいぞ」

 陛下と呼ばれた男は、澄ました顔でそう言い、いつの間に持ってこさせたのか、羊皮紙を手に取り、そこにさらさらと何かを書きつけた。

「これでどうじゃ」

 嬉しげに、その書面を見せる。

 よくわからないが、オレの爵位と先ほど言った領土に関する取り決めを証明するものらしい。

 初めは実感がわかなかったが、どうやらこれは本当らしい。

 自分が言い出したこととはいえ、あまりにすんなりと全てが思い通りになりすぎて、腹の底から笑いがこみあげてきた。

 その様子を二人が目を細めて見守っていた。

 そして、不意に男が片手をあげた。

「よろしい。束の間の幸福を楽しめたかな。約束通り、爵位も、領土もそなたのものだ。ただし、牢獄という名の領土だがな」

 一瞬ぞっとするような笑みを浮かべた男が、不意に興味を失ったかのように、無感情な口調で兵士に命じた。

「……連れて行け」

 短い一言だった。

 その一言を老人が補足する。

「いつもの牢獄へ放り込んでおけ」

 オレはあっという間に、兵士たちに台から引きずりおろされ、両脇を抱えられた。

 それを、まるでできの悪い生徒を見るような目で見送る老人。

 口元に手を当て、うすら笑いを浮かべる陛下と呼ばれた男。

 二人を凝視するうち、オレは初めて自分の状況を理解した。

――オレはただ、遊ばれたのだ。

 オレは牢獄という、爵位など何の意味ももたない場所へ送られるだけの、ただの囚人。

 牢獄から出ることもできず、領土など手に入れることができないと分かった上で、オレをぬか喜びさせる。

 そして、やれるものならやってみろと……あの男はただ、地位を要求したオレを嘲笑いたかっただけなのだ。

 喜びの先に絶望を突きつけられた、惨めな男の顔――あの男はそれが見たかっただけなのだ。


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