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衝突

 エローバは手を伸ばしてフールメイに触れようとしたが、身じろぎもしない女の眼の中にあるものを見て、わずかに苦笑を洩らし腕を下ろした。


 彼はささやくように云った。「……世界をくまなく巡る流浪の日々にも、よもやそなたのような存在がいまだにあろうとは夢にも思わなかった。そなたの噂を最初に耳にしたのはいつだったかな? 〝古井戸の書〟の逸話とともに聞いたのだ」彼は大事そうに書物を懐から取りだした。


「そしてこれを見に行ったのだ。あの暗い部屋の中で、最初にこれを目にした時の驚きといったらなかった。だが触りもしなかったよ。ただ眺めただけだ。それでもそなたの孤独と美しさを感じ取るには充分であったよ。わしの心の奥深い場所を響かせるものに出会うのは、久しくなかったことだった」エローバの緑色の瞳がフールメイを見下ろした。奇妙な眼差しだった。


「銀の森と銀の魔女について、わしは耳をそばだてるようになった。あちこちで質問をし、残り香を追うように行跡を拾い集めたのだ。楽しい探索だったよ。焦らずじっくりと時間をかけて、そなたを隅ずみまで調べ尽くしたのだ。――心が冷え切っているはずの魔族でありながら、そなたこそ愛が似つかわしい」


 彼は前かがみに身を乗り出すと、今度こそというふうにフールメイの顔の輪郭に沿ってゆっくりと手を滑らせた。指先がさわるかさわらないかという儚い触れ合いだった。


 フールメイの身体にぞくりとする感覚が走り、全身に鳥肌が立った。


 これは畏れによるものなのか、あるいは別のものなのか、身体の深奥が疼き、涙が頬をつたう。太刀打ちできない強大な魔力が男の周辺から放射され、フールメイは完膚なきまでに打ちのめされていた。力と知識を求める魔女にとってそれは脅威だ。されど甘美な誘惑でもある。


 古き神は彼女の反応に自信をのぞかせて立ち上がった。


 古井戸の書を小脇に抱えると手を差し伸べた。「わしに逆らうな、銀の魔女よ。おのれの真ののぞみに忠実であれ」


 フールメイは差し出された手をながめて目を瞬いた。涙は乾いていた。ゆっくりと首を左右にふる。


「……あなたを愛していないわ」

「それが大事か? 銀の魔女よ」エローバは一瞬顔を強張らせると、厚い唇を固くむすんだ。

「わしは世界の謎を知っておる。そしてそれを、そなたになら分け与える用意もある。そなたとなら身も心も分かち合い、融けあうことが可能だろう。わしの知識は無尽蔵だ。手に入れたくはないか? この世のありとあらゆる夢まぼろし、煌く不思議を」


 魔女の好奇心が、探究心がにわかに疼いた。身体の火照りが烈しさを増す。それを見透かしたように、エローバは強引にフールメイを立ち上がらせた。彼の繊細な指が髪を撫ぜ、敏感な背中を優しくさする。

「わしはそなたが欲しい。拒めば力ずくで奪うことになるが、そんなことはしたくない」男は身体を押し付けるようにして迫った。冷酷な眼が熱に浮かされたように燃えている。


 女は抱きつかれまいと思わず後ずさりした。


「――わしもかつて恋をしたことがある、遠い昔のことではあるが。愛を知り、憎しみも覚えた。だがその後、わしの心は凍てつく大地のように乾いてしまった。わしは孤独を伴侶としていたが、自分の分身である息子がほしくなった。それを託せる女であれば誰でも良かった。……なれど、今はそんなものに用はない。そなたの唇こそが我が望みだ!」


 男は手を伸ばすとあっという間にマントの中に女を引き入れた。そこには神の身でありながら若い男の体臭があり、息ができないほどフールメイはきつく抱きしめられた。


「そなたはまるで――まるでわしのために作られたもののような気がする。そなたとなら永遠の時でさえ共にどこまでも生きてゆけるだろう。いとしい女とし……」

「永遠に?」フールメイはぼんやりと訊き返した。欲情に身を任せそうになりながら、魔女の直感にふれるものがある。恐ろしい予感だった。


「そう、未来永劫、永遠に、だ。――そなたも覚えていよう、我々魔族がこの宇宙にやってくる以前のことを。それは遺伝子に深く刻まれた記憶として、そなたにも受け継がれているはずだ。

 地球にやってくる前の我々は、電気を帯びた塵の粒が電磁気によって結びついた集合体として大気も水も必要とせず、形も持たず、ただ夢幻として宇宙空間に漂よっていた。しかるに魔法の根源的な力である真空のエネルギーによって無限に広がって行く我々の宇宙では、あらゆる物質が崩壊し、最後に残ったたくさんの古井戸でさえ、やがては消えゆく運命にあった。

 そこで我々は隣の宇宙である、この世界に移住することにしたのだ。生身の身体と引き換えにしてな。それは同時に死を受け入れることでもあった。だがわしには世の理さえも及ばぬすべがある」


 フールメイは身を翻してエローバの腕より逃れ出た。


「ああ! あなたの力の源が分かったわ。あなたは不死に手を染めたのね!」魔女は確信をこめて叫んだ。


「すべてのものは流転する運命なのに! あなたは禁忌に手を出したのだわ!!」

「万物は流転する、それは一面においての話だ。唯一絶対神である我は真理、永久不変のものなのだ。だが――そんなわしでも拭いきれぬ寂しさを感ずる時が或る」

「おわかりのはず。それが不死に手を染めたものの報いだわ」

「……銀の魔女よ、我とともにあるがいい! さすれば――」

「いやです、いやです。わたくしは毎日変わっていきたい、朝には新しい自分に生まれ変わっていたいのです。変化していきたいのです、たといそれが老いという変化でも、無変化のまま留まることは、死ぬのと同じこと。不死とはすなわち死にながら在るということです。わたくしは生きてゆきたいのです!!」フールメイは両手に顔を埋めた。


「……そうやってそなたもわしに逆らい、心焼くのか? 拒んではいけない、逃げてはならぬぞ。そなたにもわかっていよう、わしからは逃れられはしない!」


 古き神は己を抑えるように、拳を握り締めた。伸ばした腕が少しずつ曲がってゆく。突然こらえ切れなくなったように魔女の二の腕につかみかかり、彼女を荒々しく揺さぶった。


「わしを見るのだ!」


 フールメイは操れているかのようにおとなしく男を見上げた。


 彼女の肩にまわされた両手にますます力が加わった。男の声音には皮肉な喜びが満ち溢れていた。


「銀の魔女よ、そなたの眼は乱れている。怯えているのか? なんと美しいことだ!! そなたほどの魔が恐怖するとは! だが畏れは愛の序章でもある。フールメイ……、フールメイ、そなたの愛をわしにそそいでくれ」


 魔女の心は引き裂かれそうになっていた。彼を拒み、怖気、哀れむ気持ちと同時に強く惹かれ、欲望に身を委ねたい気持ちが交錯していた。


 彼女のなかに、あきらめが忍び寄る。男の指が髪をまさぐり、熱風のような吐息が首筋にかかった。二人の身体は熔けそうなほど熱し、ぴったりと重なった。それでもなお彼女は逃れようと必死に逆らった。だが両足がしだいに萎え、支えられないと独りで立つこともままならない。


 唇がおりてきて、開きかけたフールメイのそれを否応なしに覆った。かみつくような激しいくちづけだった。


 二人の間に火花が散った。ギャラクシーとギャラクシーの衝突のようだ。宇宙が共鳴し、空から星屑が降りそそぐ。


 フールメイは無駄と知りつつ、はじめての自分以外の者に助けを求めた。


『ペシャ……、シイタ……助けて!!』



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