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神の使徒

 あとに残されたのはシイタもよく知っているルックン・トランゼンと、シイタより三つ年上のエテン・ヘロンだ。シイタは二人が操られている可能性を信じたかった。だがそれがあり得ないことも、本能からとうに悟っていた。彼らは目的ありげにじりじりとシイタに近寄ってくる。と、立ち止まって瘧のように身体を震わせはじめた。ピシリッと皮膚が裂けるような音が響く。


 ルックンの顔が縦に裂けた!


 人間の皮膚が紙のようにたわいなく破れ、そのなかからルックンによく似た顔がふたたび現われた。それは蝶がサナギから孵るときに似ていなくもない。髪も肌も濡れそぼったようにじっとりと光り、眠りから目覚めたばかりというふうにゆっくりと目を開けた。シイタは一瞬希望をもったが、そこには後輩の面差しをとどめながらも人間とは別の生き物がいた。背には白鳥さながら真っ白で豊かな翼がたたまれている。


 エテンのほうも人間の皮が蛇の抜け殻のようにきれいな形を保ったまま足もとに脱ぎ捨てられていた。二人の顔は両性具有者のように性別を越えて以前より端正だったが、表情といったものがいっさい見当たらず、捉えどころがなかった。シイタが戸惑ったように身動きすると、エテンの閉じていた瞳が素早く動きシイタを捉えた。


 途端にエテンの左腕が閃き、床を切り裂く!


 シイタは危ういところでベッドに転がった。ぐにゃり、と薄い布地越しに厭な感触が伝わってくる。彼はルックンの攻撃がくる前にからくも廊下に躍り出た。


 二体も彼のあとを間髪をいれず跳び出してくるっ。真っ白な薄い衣をたなびかせ、彼らは迫る。その手には長く輝く光の刀を携えていた。


ブウン!! 長剣が唸る。


 さいわい翼はまだ乾ききっておらず、飛ぶことは出来ないらしい。狭い廊下を低い姿勢で迫る!


 シイタは剣の切っ先が触れる直前、〝小枝の笛〟を振った。


 二体は出現したイバラを気にするふうもなく光の剣で薙ぎ払う。ところが剣が蔦を両断できないように、蔦のほうも刀を捕らえることが出来ない。巧みに絡みつく蔦をよけるルックンをしり目に、エテンがその脇をかいくぐってシイタに突進した。


「チッ!」シイタは思わず舌打ちを洩らし、敵に背を向けて一散に逃げだした。この人間もどきにどう立ち向かえばよいか皆目見当がつかない。


 狭い廊下を階段室に向かってしゃにむに走った。


 どこからか甲高い犬の鳴き声が聞こえ、開け放したままの部屋から彼らのいる廊下に小さな姿をあらわした。飼い主に置いていかれた小犬が騒ぎを聞きつけ、廊下に飛び出してきたのだ。気にする余裕もなく走り過ぎるシイタに向かってキャンキャンと愛玩犬はけたたましく吼える。


 その吼え声がいきなり途絶えた。


 不気味な静寂に振り返ったシイタは、彼を追って間近に迫っていたはずの二体が、死の予感に怯えて吼え止み震えながら後ずさりする不運な小犬に向かってゆくのに、遅ればせながら気が付いた。


「やめろっ!」

 シイタが咄嗟に伸ばした蔓は、小犬の身体を捕らえたかに見えた。


 一瞬遅かった。

 光の剣がきらめく尾を残して弧を描き、小さな身体は宙を舞った。小犬は内臓をぶちまけながら、ぼろきれのように壁に叩きつけられた。白い毛並みはそれとわからなくなるほど血みどろになった。だが二体は平然としたまま、ひくつく身体に剣を打ち下ろすのをやめない。


 シイタはこぶしを口元に押し当て、洩れそうになる悲鳴を辛うじて飲み込んだ。なんて奴らだ! なんで小犬まで殺す必要がある? シイタは無益な惨劇から目をそらし、階段を必死に駆け下りながら自問した。


 そこに何かありそうだ。考えろ、考えるんだ!


 小犬の返り血を浴びながら眉一つ動かさないルックンとエテンの静かな姿は、凄惨で荒々しい行為と著しいコントラストをなしていた。それは見知った顔にそっくりなせいもあり、シイタにむかつきとともに抑えていた恐怖心を解き放つきっかけとなった。足を前に出す簡単な動作だけでも、怖れにより麻痺寸前の頭には手一杯だ。通いなれた螺旋階段にも足がもつれ、転びそうになる。


 飛び降りるようにして着地した床に、我にもなくよろめき膝を付いた。クソッ! シイタは震える足を手で押さえながら、自分自身に対して毒づいた。さっき神を相手にした際にもこんなふうに情けなく怯えてはいなかったのに!

 

 その時、上空からの奇妙な音にぎくりとし、頭上を仰ぎ見た。


 それは大きな羽音だった。最上階の吹き抜けから翼を広げたルックンとエテンが飛び降りてきたのだ。手摺の間の空間は広がった翼には狭すぎ、壁を擦って煌く羽が散らばる。二体は途中を塞いでいた落下防止のネットを簡単に切り裂いたが、バランスを崩し互いにぶつかり合った。軌道を乱して絡み合いながらも二体はシイタに向かって降下した。


 その姿は力強いくせにどこか空虚で意思というものが感じられない。まるで下手な彫刻のようだ、とシイタのへんに冷めた部分が分析した。


 ――そうかっ、奴らはただの操り人形なんだ。動くものを攻撃しろと命令されているに違いない!

シイタを認めたルックンの右手がさっと閃いた。


 きゅん! 空気が鳴った。


 頬を発光が掠める。


 シイタは空中から突き出された光の剣を紙一重でかわした。新たな認識が彼の身体に自然な力を生んでいた。


 二体の使徒は、派手な羽音をたてながら手摺のうえに飛び乗った。仲の良いつがいの巨鳥が止まり木に捉まっているようだ。真っ白い衣と美しい翼は光り輝いて神々しくさえある。だが絡み合った大きな羽が邪魔をして、思うように動けないらしい。


 シイタは二本の腕から切りつけてくる二の太刀、三の太刀を辛くも避けた。連携の取れてない二体はお互いがお互いの邪魔をし、シイタには都合のよい遮蔽物になってくれる。背中が癒着した双生児が喧嘩するように二体は意思の疎通もなく勝手に暴れ回った。


 狭い階段室も小回りとバネのきくシイタには有利に働いた。彼はエテンの小手を狙って小刀を目一杯打ち下ろした。


 ザシュッ!


 不気味な音が響く。


 皮一枚で繋がっている手首から剣をもぎ取りシイタは腰だめで使徒の身体の両断を狙ったが、わずかにかわされ片方の翼を横に薙ぎ払った。確かな手ごたえとともにいちめんに千切れた羽が舞った。


「ぎゃ、ぎゃっっ!」


 耳障りな鳴き声を洩らし千切れかけた翼にバランスを崩したエテンを、シイタは思い切り突き飛ばした。吹き抜けへと落ちかけた使徒は、それに気がつかずシイタに攻撃を仕掛けてきたもう一体を引きずった。


「ぎゃあ……!!」


 エテンはルックンを道連れにしたまま階下へと墜落してゆく。彼らは轟音とともに床板を突き破った。吹き抜けを覗き込むシイタの視界は舞い上がった埃によって遮られた。


 やったか? 

 いや、神の使い魔に油断はならないっ。


 彼はしばらく手摺につかまって息を整えていたが、その場からなるべく早く離れたいという一心でとりあえずその階の廊下に向かった。


 そこは偶然にも彼がかつて住んでいた馴染み深い場所である。そのフロアには右棟と左棟を繋ぐ連絡通路があり、最上階よりずっと開放的で男子学生のだらしなさで雑然としていた。廊下の一画にあるタバコの匂いが漂う休憩所には、いましがた席を立ったばかりのように椅子に上着が放ってあったり、読みかけの雑誌が投げ出されている。そんな見慣れた日常的な光景により形にならない漠然とした計画の糸口が、寮生時代の思い出とともにシイタの頭の片隅をよぎる。


 そこへ、入り組んだ廊下の曲がり角から勢いよく飛び込んできた思わぬ人物によって、シイタは危うく倒されそうになった。

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