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創生術といかづち

 妙な音とともに足元がゆれ、床板の割れ目という割れ目から草花が芽吹いた。


 それはたちまち巨大に成長し絡み合い、二人の四方に蔦の屏風を築く。その場は一瞬で危険な棘の檻と化した。蔦はあらゆる障害物を伸び上がるための支柱にし、一気に王子に迫った。驚く王子の手足を茨の蔦がすばやく捕らえる。刺草はぎりぎりと王子の華奢な身体を締め付け、空中に持ち上げた。鋭い棘は白い皮膚を傷つけ、赤い血を滴らせる。ついには王子の頭をバール代わりにドーム型の天井を突き破って上昇した。


「……なかなか……やるな」蔦の檻の上空から辛うじて王子の声が届いた。その顔に茨が絡まる。目をふさぎ、口を覆い、最後に首に巻きつきギリギリと締め上げる。神といえども息をする生き物ならばさすがに苦しいはずだ。


 シイタの胸の隠しに仕舞われていたのは古びてへしゃげた小さな横笛だった。彼はその笛を口にあて一心不乱に演奏した。そこから人間の耳に聞こえる音は洩れてこない。彼が奏でる無音の曲にあわせて植物たちは意思あるもののようにうごめき、どこまでも伸びてゆく。


 突然、植物たちが凍りついた。


 腹の底がズシリと沈み込むような雷鳴がとどろき、シイタの笛の音を打ち消したのだ。すさまじい轟音に気を取られ口もとから笛を放した刹那、シイタの身体になぜか音よりも遅れて雷そのものが直撃した。


 衝撃で、奥の部屋まで吹き飛ばされる!


 そこはオータン王子の寝室で、重厚な木彫りの大きなベッドがあった。シイタはベッドの縁にしたたか背中を打ちつけた。


 魔法によって出現した茨の森はシュウシュウと白い煙を噴き上げながらいぶる小さな灰の山になっていた。天井に開いた穴からは、眩しい夏の光線が差し込んでくる。雲ひとつない好天がさきほどのイナズマとの落差を強調していた。


「すばらしい名曲だが、奏者の腕前がいまいちといったところかな。だいたい、僕を相手に古臭い創世術では力不足であろうよ」王子は腕に絡みついた枯れた蔦を払いながら陽光とともにゆっくりと床のうえに降り立った。


 シイタはショックで動けない。


 彼の目の前に軽やかな足取りで古い神が近づいてくる。王子の全身にはトゲによる穴があき、血が幾筋ともなって流れている。それは指をつたって寄木細工の床を汚した。王子は赤い舌をのぞかせ、掌から指の先まで滴る血を丁寧になめ上げた。するとすべての傷がみるみるうちにふさがり、滑らかな肌になんの痕跡も残さなかった。


「おや? 神のいかずちを浴びたにしては元気なようだね」王子は冷然と見下ろしながら、仔山羊のなめし皮でつくった華奢な室内履きで、うずくまっているシイタの胸を鋭く蹴った。


「グッ……」うめき声をあげて転がったシイタは、朦朧としたまま、壁際にある床板の黒くねじれた節目を覗きこんだ。


 首を振ってスパークしたままの頭をはっきりさせようとしながらも、彼自身、自分が生きている幸運が信じられない。目に見えぬイナズマの一撃に打たれ、身体じゅう黒焦げになったと覚悟したのだが。確かに電流が頭から足もとに突き抜けていった。それなのに打ち身による痛みが徐々に回復すると、あとには鈍い痺れが残されているのみだった。彼の懐からシュバイク博士に頼まれて持ち出してきた石板の、割れて焦げ付いたかけらが滑り落ちた。


「なるほど……、その石板には身代り術が施されていたんだね。命拾いをしたな、シイタ殿」


 シイタは恩師の老獪な策に感謝しつつ、肘をついてなんとか身体を起こした。


 だがその時になって、さきほどベッドにぶつかったさいにシーツからはみ出した異様なものの存在に気がついた。そこには皮を剥がされ皮下組織を剥き出しにし、まるで調理前の下処理された羊かウサギのようなピンク色の死体が転がっていた。夏だというのにどんな防腐処理をされているのか、かすかな腐敗臭さえしない。引きつった笑いを浮かべたような口腔と、虚空を見詰めるまぶたのない眼窩のなかの濁った目玉は、じぶんの境遇にいまだ驚愕し〝こんなひどいことってない!〟と訴えていた。


「なんということを!! あなたは王子を殺したんですね!?」

「それがどうだというの?」王子の皮を被った神は美しい赤い唇で云った。「オータン王子がどんなに下劣な奴か、君だって嫌になるほど知っていたじゃないか。この思い上がったくだらぬ小僧は、僕の身を覆うぐらいがちょうどいいのさ」


 そう言う古き神の身に王子の皮はよほど性に合ったとみえ、彼の瞳には王子の底意地の悪さや他人を嘲笑う時に一段と増す輝きが、不気味にも生前の王子そっくりに宿っていた。


「彼はまだ子供なのです! それを……」シイタは無残な姿を晒す王子の遺体を再び見下ろしながら、生前彼をまったく理解できなかったことやその機会を永遠に奪われたことに、思いがけず深い悲しみを感じていた。


「きみとたいして変わらぬ歳のはずだろ、そんなものが言い訳になるとでも? だいち、ああいう性格は一生直るものではない」

「……二人は、ルックンとエテンはどうしました? やはり殺したのですか」

「彼らなら君の後ろにいるよ。紹介しよう、僕の忠実なる使徒だ」


 王子の言葉に反応し、カーテンのひかれた薄暗い寝室の片隅が、いきなりぞっとするような異様な空気となって膨張した。隅に固まっていた暗闇から唸り声ともつかぬ不気味な音が洩れる。


 そこはさきほどまで背景の一部として、生き物の気配など微塵もなかった空間だ。それは深い闇色をしたかたまりで、影のなかからどろりと溶けだしたかのようだった。液体が固形と化すように徐々に肉体を持った生き物へと変化を遂げ、ルックンとエテンの外見を次第に現してゆく。彼らは手足を下手な操り人形のごとく奇妙に動かしながら前に進み出た。顔は蝋人形よりもさらに無表情なままだったが、薄皮一枚だけが彼らの面影を宿していた。


「古き神の得意技が、死人の生皮剥がしとは……」シイタは声の震えが皮肉な調子に取って代わることを願いながら云った。


「まあ、そうとも言えるかもしれないね。君の大事な銀の魔女も、生皮剥がしが得意なようだから」

「なんのことです?」

「おや、では気づいていないのかい? 君たちが探していたあの本さ。古井戸の書は人皮装丁本なのだよ。いったい誰の皮でこさえたんだか」

「嘘だ!」

「何を根拠にした思い込みなんだい? あの魔女は人間にとって危険だと言っただろう。 あれほどの魔力を一箇所に閉じ込めるのだもの、人の生皮ぐらいは使うだろうさ。他の動物より呪術が効きやすいのが、人間の唯一の使い道なのだから」

「フールメイがそんなことをするわけない! 彼女はお前なんかとは違う!!」シイタは思わず叫んでいた。


「きみの忠誠心には敬服するが、まあ、盲目的信頼というのは我々古神の専売特許だからね。だが、きみには打ち明けるが神にとっては人間も牛も豚も羊も変わりはしないのさ。魔女にとってもそれは同じことだ。君などかわいい子羊ってところだよ」


 シイタが反論しようとするのを、神は片手をあげて制した。「おっと、おしゃべりがすぎたようだ。きみのことは彼らに任せよう。残念ながら僕はこれ以上、きみと遊んではいられない。これからのスケジュールはぎっしり詰まっていてね。人間を救ったり魔女を殺したりで、めちゃ忙しいのだ」


 茶目っ気たっぷりな笑顔をみせた神はシイタに止める暇も与えず、身体をほぐすようにして微細な粒子に変化した。それはあたかもつむじ風のような動きをみせ、部屋の空気をすべて吸い上げるような勢いで天井の穴に消えていった。




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