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謎解き博士

「博士、王子たちに変わったところはなかったのですか? あの事件の朝――」


 シイタの問いにすぐには答えず、博士はしばらくの間、杖の頭で器用にあごを掻いていた。


「その点はわしも何度か思い返してみたんじゃが……。あやつらに特に目立ったところはなかった。いつもどおりしれっとして高慢で、わしの頭のてっぺんに視線を向けておった。わしはあまり注意を払っていなかった。もともとあいつらのことは好きじゃない。どうせ慢心なところにつけ込まれ、身体を何者かに乗っ取られたんじゃろう。どうやって検査を潜り抜けたかは分からぬがな」


 黒の穴蔵国からの留学生たちはオータン王子を筆頭に確かに感じのいい学生ではない。けれど、それは珍しいという程でもなかった。学生のなかには同じような顔つきをした者が少なからずいる。自分たちは特別優秀であって、他の人間はみな劣等だと考えている連中だ。


「昔は留学生といえば人質の役割もあったもんじゃが、昨今はなにもかも複雑になりおる。条約があるとはいえ、何が外交特権じゃ、好き放題しおって」老人の怒りはあちこちへと飛び火する。


「で、何者が裏で糸を引いているか、見当はついておるのか?」

「フールメイ殿もそれだけは解らぬようでした……」


 オータン王子の操り人が何者なのか、どういう目的を持っているのか、肝心なことはなにひとつ解っていない。


 頼みの綱だった銀の魔女も森から出てきて助けてはくれない。しばらく前から魔女は人間界に姿を現さず干渉もしなくなっていたが、今回も自分たちの力だけで解決するよう突き放されたのだった。


 深刻そうに話し合っていた治維卿らはようやく結論に達したらしく、二人のもとに近づいてきた。


「どうやらこの部屋に本はないらしい」館長は鼻と口に当てていたハンカチで顔をあおぎ、甘い香水の匂いを漂わせた。


「だからと言って、王子たちが犯人だと決めつけるのはやはり早計というもの」と治維卿。


「そこで大学を封鎖するのと同時に、オータン王子の様子を調べようと思う。これには大学関係者が適任だと思うが?」


 治維卿の終始命令することで筋肉の発達した厳しい口もとから珍しく問い掛けるような言葉がでた。しかしその顔つきは〝他に候補者がいるなら言ってみろ〟といわんばかりである。


「なにをたわけたことを」シュバイクがむっつりと言った。


「たわけたことですとな」治維卿はやんわりと繰り返した。


「ああ、たわごとじゃ! そんなことぐらいお主とて知っていようが。今回のことは最初から気に食わん。なにを企んどる?」

「今回の事件がわたしの企みとでも?」

「それなら良かったのじゃがな、残念ながらそこまであざとくはなさそうだ。なれど、これ以上、大学関係者を巻き込む真似はわしの目が黒いうちはさせんぞ」


 ハラハラする周りにお構いなく、シュバイクは骨ばった指を振りたてて治維卿に真っ向から食って掛かった。都王の相談役として長年、治維卿とやり合ってきたシュバイクは、偉丈夫として有名な治維卿と比べずとも貧相ながら力強い声だけは負けていなかった。


「この事件には魔法がからんどる、それも古代の魔法がな。都王の専従魔術師オダナかイプシロファンを呼ぶべきじゃないのか?」

「あなたに言うべきことではないが、彼らはいま、所用のためアカシヤの都には居ないのだ。無論のこと、魔術師を動かす優先順位の小言は無しにしていただこう。この件を軽々しく扱っているかのような難癖も、大事めいた言いがかりも聞きませんぞ。都王が抱えている重要な案件は他にも山とあるのだ」

「分かっておろうがわしが危惧しとるのは、すべてを政治的な駆け引きに利用するお主のやり方じゃ。魔術、芸術、その上、学術さえ政局のコマにする魂胆がどれだけ人心を惑わすかにそろそろ気づくべきじゃ」

「そのご託宣も聞きあきたわ。耄碌した頭ではお忘れかもしれぬが、ここは政治の中心である都王のお膝元。きれいごとで政は立ち行かぬ」


 国を代表する知恵者の二人が、周りに聞かれて困るような言質は一言も漏らさずに相手を非難し合う様子に、シイタは半ば感心しながら事の成り行きに抗いようがないことも悟っていた。


「あなたがどう言おうと、持てる手駒だけでどんな局面でも指すしかないのだ。そもそも、これぐらいの問題が解決できぬようでは魔法大学の名折れですぞ」

「どうしてもと言うなら、オータン王子の元へはわしが行こうじゃないか!」

「ふん、残念ながら、博士たちには依然としてこの部屋から出ていただくわけにはまいりませんな。王子たちが最有力容疑者なのは確かですが、皆さんの疑いが晴れたわけではありませんぞ」


 二人がにらみ合った隙を見逃さず、シイタは割って入った。


「博士、わたしが行きますよ」

「おお、そうしてくれるか?」図書館長が嬉しそうにすかさず合いの手を入れた。その口調はわざとらしく、彼らの間ではかねてより決定事項なのがうかがえた。


「いかんぞ! フールメイ殿の言葉を忘れたか」シュバイクが慌てて口を挟んだ。


「忘れたわけではありません。何者が王子たちを操っているのか、相手は手強い者に違いありません。ですが、博士は学生寮のどの部屋が王子のものかご存知ですか? ここにいるどなたもご同様なのでは。わたしはその点、学友としても寮生としても顔なじみで、近づくのも容易です。彼らのおかしな振る舞いにも気付きやすいでしょう。そうでしょう、治維卿?」


「――その通りだな」彼はその一言だけを残して身を翻し、その場からすばやく離れていった。


 スメーズ副学長は警邏隊員に近づいてゆく治維卿を目で追っていたが、自分の学生に注意を戻した。


「シイタ、あなたが勇敢なのは知っているけど、無茶はしないでね。確かめるだけでいいのだから。そしてオータン王子の言動や振る舞いにしっかりと注意を払いなさい」

「はい、スメーズ教授。どこか変だなと思ったら一目散で逃げ出しますよ」


 シュバイクは教え子を心許無げに見上げていた。


 シイタにも博士がことの推移を憂えているのがわかる。自分の軽率な決断に、戸惑いと心配を抱いているのだ。博士は立っているのが辛くなったように、椅子のある場所に教え子を導いた。


「なにもそなたが行く必要などどこにもないのだ。そなたは一介の院生の身分なのだぞ。このような仕事はプロの魔術師や外交官に任せればよい。わかっておろう? 治維卿はそなたを……」

「……すみません、博士」


 シイタは、杖に両手を置いて椅子の上に縮こまり、急に年老いたような博士の頭頂部に話し掛けた。シュバイクは縁あってシイタのアカシヤの都での保護者のような立場にあり、ある事情によって権力者と教え子とのあいだに生じている確執に日頃から心を痛めていたのだ。


「博士がいつも、わたしがいいように利用されないよう気遣ってくださるのは知っています。ですが、わたしは最初からこの件に関わっています。……大祖父の代からずっとそうでした。最後まで見届ける義務があるような気がするのです」


 それは勇気と呼べるものではない。あえて言うならば、猫をも殺す好奇心と先刻知った自分の心に巣食う世界の破滅を願う心への、贖罪か抵抗のようなものだった。


「ふー、……仕方がないのう。それではわしから最後の手向けじゃ」

「最後って、縁起でもないなあ」シイタは顔をしかめてみせた。


「縁起なんぞ、どうでもよいわいっ」博士はひとの気持ちなどに斟酌しない生来のたちを発揮して云った。


「こんなこともあろうかと思って、都に結界を張る方策を前にも学長と相談したことがあるんじゃよ。これもわしの先見の明を表すエピソードとして後世に残りそうじゃな」


 大好きな研究に考えが及ぶにいたって、老人の瞳にはふたたび煌きが宿り、内に秘めた炉にふたたび薪をくべたかのごとく背筋がシャンと伸びた。声にもいつもの力強さが戻ってきた。ゴボゴボッと、あちこちから水蒸気やら熱湯やらが吹きこぼれるヤカンの姿が見えるようだ。彼は講義口調になって続けた。


「当時は外からの攻撃を想定して設置したんだが、大概の魔法なら都を襲う被害の余波は結界によって食い止められ、国中に汚染が拡がるのを阻止するはずじゃ。わしが長年、研究を進めていた空気魔法からヒントを得て、というか実は偶然の産物なんじゃがの。まあ空気を丸めて強化しシールド代わりにしたもので、一重目で大学を含む皇居近辺を、二重目で都全体を囲うようになっておる。蟹のあぶくのようにぶくぶくと増えていってだな、それというのも――」

「博士、詳しい内容は今度じっくり伺いますから、先に起動方法を教えてくださいよ」

「相変わらず、せっかちなやつじゃのう」出鼻を挫かれて、博士は不満げにぶつぶつ呟いた。


「そなたのような粗忽者に任せるのは気がすすまんが、まずわしの部屋に行き、窓辺の小テーブルに置いてある錬鉄製の飾り金具がついた木の宝石箱を開けるがよい。なかに小さな石板がひとつ入っておるのでそれを持ち出すのじゃ」

「その石板に呪法が?」

「いや、あれにはたんにやりかけの論文の草稿が入力されとるのさ。なかなか斬新な理論での、発表すれば学会にセンセーションを巻き起こすこと確実じゃろうて」

「――この非常時に、あなたってひとは」

「まっ、それはついでに持ち出してもらうとして」老人は筋張った手をひらひら動かした。


「ここからが肝心なんじゃから、よう聞いておけよ。カラッポに見える宝石箱の底には、七枚のオリーブの花びらが入っとる。部屋の外に出てからそれを一枚ずつ摘み上げ、呪文とともに息を吹きかけてできるだけ遠くに飛ばすのじゃ」


 彼がそこで口をつぐんだので、シイタはしかたなく感想を述べた。


「なんだかとてつもなくロマンチックなやりかたですね。恋占いかと思っちゃいましたよ」

「ほんに深い思索をするものは、いつの世もロマンを解するもんなんじゃよ」


 そう言ってまじないの言葉を朗々と詠唱する老人の姿に、シイタは思わず天井を見上げて首を振った。その呪文は、純潔の乙女は誓いの言葉を交わすまで扉を固く閉ざしておかねばならぬ、と唄う喜歌劇の歌詞だったのだ。


 呪術を一通りやって見せると、老人は真剣なまなざしをシイタに向け、その顔を覗き込んだ。


「シイタよ。お前は自ら重荷を背負う覚悟のようじゃ。ならば失敗を怖れず、信じる道を進むが良い」


 続けて老人は、相好をにやりと崩して云った。


「じゃがな、どうせしくじるなら、うまくしくじれよ」

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