3
その夜は、少し遅かった。
ゼミが長引いて、帰る頃にはもう街灯が点いていた。
スマホを見ると、
はじめさんからメッセージが来ていた。
「今日は少し早く帰れたので、家にいます」
それだけの短い文章。
私は迷って、でもすぐに返信した。
「寄ってもいいですか?」
珍しく返事はしばらくなかった。
家に着く直前にもう一度連絡をすると
焦ったように返事が来た。
「もちろんです」
⸻
駅から少し歩いた静かな住宅街。
何度も来た道。
インターホンを押すと、すぐに扉が開いた。
「寒くないですか」
いつもの敬語。
いつもの穏やかな声。
私は小さく頷いた。
⸻
部屋の中は、いつも通りだった。
本棚。
静かな照明。
コーヒーの匂い。
「コーヒー、淹れますね」
彼はキッチンに向かう。
私はソファに座って、ぼんやり本棚を見ていた。
⸻
「最近、学生に聞かれたんです」
キッチンから声がする。
「人って、どうして悪いことをするんですかって」
少し間。
「難しい質問ですよね」
⸻
私は笑った。
「先生っぽい質問」
⸻
彼は少しだけ笑った。
「答えられませんでした」
それから、静かに言った。
「結局、一番怖いのって人だと思いません?」
その言葉に、なぜか少しだけ胸がざわついた。
⸻
コーヒーを持って戻ってくる。
テーブルに置く手が、少しだけ震えている気がした。
⸻
「どうしました?」
私が聞くと、彼は首を横に振った。
「大丈夫ですよ」
⸻
その時だった。
風呂場の方から、音がした。
小さな音。
何かが、落ちたような音。
⸻
「……あ」
彼が、小さく声を漏らした。
初めて聞く声だった。
⸻
「はじめさん?」
私が立ち上がる。
彼が止めようとした気がした。
でも、もう遅かった。
⸻
廊下の先。
開いたドア。
赤黒く伸びてくる液体。
鼻につく鉄の匂い。
そして、
えぐれて脂肪の見えている生首
⸻
時間が止まった。
呼吸の仕方が分からなくなる。
何も理解できない。
理解したくない。
⸻
振り向く。
彼が立っていた。
静かに、立っていた。
⸻
私は、やっと声を出した。
「それは……あなたが……?」
⸻
沈黙。
否定は、なかった。




