表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/20

12

その夜、雪は降っていなかった。


降っていない夜の方が、静かだった。

遠くの車の音。

配管の中を流れる水の音。

冷蔵庫の低い振動。


世界が動いていることが、久しぶりに分かった。


苫小牧に来てから、ずっと抱き合って眠っていた。

言葉の代わりに、体温だけを確かめる日々だった。


でもその夜、はじめさんは私の隣に座らなかった。


テーブルの前に座って、

冷めたコーヒーを両手で包んでいた。


私はベッドの端に座っていた。

同じ部屋なのに、距離があった。


それがもう、終わりの始まりだった。


 


はじめさんが、先に口を開いた。


「ここ、静かだね」


久しぶりに聞く声だった。

懐かしいのに、少し遠い。


「誰も僕たちを知らない」


“僕”。


元教師のままの一人称。


それなのに、声はどこか軽かった。


 


「このまま見つからなければいいのに」


小さく笑った。


その笑いに、温度がなかった。


 


沈黙。


私は何も言わない。


言葉を返したら、

何かが決定的に壊れる気がした。


 


はじめさんは続けた。


「人ってさ、慣れるね」


指先でマグカップを撫でながら。


「最初は毎日苦しかったのに」


「最近、普通に眠れる」


胸の奥で、何かが冷えた。


 


「罪って、最初だけ重いんだね」


 


私は息を止めた。


 


はじめさんは気づかないまま続ける。


「妹のこと思えば、仕方なかった」


「あれで、よかった」


 


その瞬間、分かった。


 


この人は今、

罪に慣れ始めている。


 


逃げることより怖いのは、これだ。


壊れることじゃない。

壊れたまま、生き続けてしまうこと。


 


私は立ち上がった。


音を立てないように歩いて、

はじめさんの隣に座る。


触れない距離。


何も言わない。


 


やっと、はじめさんがこちらを見る。


疲れた目。

少し垂れた優しい目。

私が好きになった人の目。


 


その人が、壊れていく。


私と一緒に。


 


私は手を伸ばして、はじめさんの手に触れた。


とても優しく。


最後に触れるみたいに。


 


その瞬間、決めた。


 


この逃避行は、終わりにしよう。


はじめさんを壊さないために。

これ以上、壊さないために。


 


私は何も言わない。


はじめさんも知らない。


 


でももう、決まった。


明日、私はひとりで警察へ行く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ