最重要監視対象
朝。
市場の端で、男は大きく伸びをした。
アレク「ふあぁ……」
御者――アレク。
年相応、特徴なし、魔力なし、思想なし。
ただ一つ問題があるとすれば。
アレク「……腹、痛ぇ」
それだけだった。
神殿前。
アレクは馬車を降り、周囲をきょろきょろ見回す。
アレク「……ここしかねぇよな」
彼が神殿に入る理由は、極めて単純。
トイレである。
一方その頃。
大神殿・反聖女派。
反聖女派A「動いたぞ」
反聖女派B「場所は?」
反聖女派A「神殿だ」
反聖女派C「……来たか」
空気が張り詰める。
反聖女派B「神殿に“用事”がある一般人など存在しない」
反聖女派C「つまり、接触だな」
反聖女派A「あるいは神託の受信」
神殿内部。
アレクは早足で廊下を進む。
アレク(頼む……空いててくれ……)
柱の影に隠れ、
警戒するように左右を見る。
反聖女派B(監視を警戒している……)
扉を見つけ、静かに入る。
反聖女派C(密談か)
――そして。
個室の扉が閉まる。
数分後。
反聖女派A「……動きがない」
反聖女派B「長いな」
反聖女派C「儀式か?」
反聖女派A「神と交信するには、それなりの集中が必要だ」
反聖女派B「なるほど……」
全員、深く頷く。
個室内。
アレク「……ふぅ……」
完全に油断した声。
アレク「昨日の豆スープが悪かったな……」
紙を取る音。
水を流す音。
世界の命運とは無関係。
その頃、外。
反聖女派C「まだ出てこない……」
反聖女派B「神の声は、時に人を拘束する」
反聖女派A「やはり……
“選ばれし者”か」
やがて。
扉が開く。
アレク「……助かった」
額の汗を拭き、すっきりした顔で出てくる。
そして、祭壇の前を通り過ぎる。
アレク「……あ」
立ち止まり、軽く頭を下げる。
アレク「お邪魔しました」
それだけ。
反聖女派、戦慄。
反聖女派A「見たか……」
反聖女派B「神前で、余裕の一礼……」
反聖女派C「祈りではない……
“対等な挨拶”だ……!」
反聖女派A「間違いない」
反聖女派B「この男、
神と“同格”……!」
神殿の外。
アレクは空を見上げる。
アレク「……今日、仕事戻れるかな」
腹をさすりながら、馬車へ戻る。
その背後。
反聖女派の視線が、突き刺さっていた。
同日、屋敷。
アカネ「今日、町でアレクさん見ました」
コハル「……何してた?」
アカネ「神殿に寄ってましたけど」
コハル「……」
アカネ「すごく、普通でした」
コハル「せやろな……」
コハルは、遠い目をする。
コハル(普通すぎて、
一番疑われるタイプや……)
遠く。
狐の神が笑い転げる。
お狐様(声)「トイレで世界が揺れるとか、
最高やなぁ!」
アレクは知らない。
自分が今、
反聖女派の組織内で“最重要監視対象”になっていることを。
今日も彼は、
ただの御者として生きている。




