御者
街外れの厩舎。
馬車が一台、ゆっくりと戻ってくる。
御者「……ふぅ」
手綱を外し、馬の首を軽く撫でる。
御者「今日はよく走ったな」
それだけの、ありふれた所作。
彼の名は――
誰も覚えていない。
同時刻。
大神殿・反聖女派の密室。
反聖女派A「例の馬車の御者だ」
反聖女派B「調べはついたのか?」
反聖女派C「……それが」
資料を机に置く。
反聖女派C「神官名簿に名前なし。名はアレク
戸籍あり。
妻子あり。
借金あり。
信仰心、薄い」
反聖女派B「……薄い?」
反聖女派C「神殿への寄進、年一回。
しかも最低額」
反聖女派A「そんな男が、神の使いを守ったと?」
反聖女派C「守ったというより……
“結果的に邪魔になった”」
沈黙。
反聖女派B「偶然……か?」
反聖女派A「偶然にしては出来すぎている」
反聖女派C「だが、こいつ自身に“力”はない」
紙をめくる音。
反聖女派C「魔力反応なし。
祝福痕跡なし。
聖印なし」
反聖女派B「……本当に、ただの御者?」
反聖女派A「だからこそ不気味だ」
厩舎の裏。
御者は腰を下ろし、干し肉をかじっていた。
御者「……」
空を見上げる。
御者「最近、変なこと多いなぁ」
通った直後に石畳が崩れ、
怪しい奴に絡まれたら衛兵が現れ、
声をかけて客引きした娘から礼を言われた。
御者「運が良すぎる」
彼は苦笑する。
御者「まぁ……
悪いよりは、ええか」
信心深くもなく、
特別な願いもなく、
ただ、その日を生きているだけ。
一方、屋敷。
サナ「……」
紅茶を飲みながら、視線を宙に泳がせる。
ゴードン「どうされました、聖女様」
サナ「うーん……」
首を傾げる。
サナ「なんぜか、
神託が“静か”なんです」
ゴードン「静か……ですか?」
サナ「普段なら、
『ここやで』『今やで』って
うるさいお狐様がな」
少し笑う。
サナ「今回は、
何も言わなかった」
ゴードン「……それは」
サナ「つまり」
カップを置く。
サナ「神様的にも、
“問題ない出来事”だったってことです。」
ゴードン「では、あの御者は……」
サナ「普通の人です。」
即答。
サナ「びっくりするくらい、普通」
翌日。
市場。
御者は、いつも通り客待ちをしていた。
御者「……」
そこへ、別の客が声をかける。
商人「おい、空いてるか?」
御者「はい、どうぞ」
馬車が動き出す。
その背後。
反聖女派の者が、遠くから睨んでいた。
反聖女派B(……本当に、ただの人間か?)
その疑念に、
答えは返らない。
なぜなら。
神は、何もしていないからだ。
屋敷にて。
アカネ「この前の御者さん、
今日も見かけました」
コハル「……ほぉ」
アカネ「相変わらず、
優しそうな人でしたよ」
コハル「せやろな……」
コハルはため息をつく。
コハル(優しさだけで、
世界が守られる日もあるんか……)
遠く。
狐の神は、寝転びながら尻尾を振る。
お狐様(声)「人間が勝手に勘違いしとる時が、
一番おもろいんよ」
御者は、今日も知らない。
自分が
陰謀論の中心に据えられていることを。
そして明日も、
何事もなく、
馬車を走らせる。




