これって三十六計、逃げるが勝ちというのか?
夜の帳が降り、静寂が家を包み込む。ツクヨミはいつものように、夕食を終え、神への祈りを捧げ、眠りの準備を整えていた。
だが、その静けさは、突如として破られた。
――ピリリ、と空気が震える。
ツクヨミの張ったホーリーバリアーが、何者かの接近を告げていた。数を数える。ひとり、ふたり……十人以上。気配は鋭く、殺気を帯びている。
(……来ましたか。王子の命を狙う者たちが。)
ツクヨミは静かに立ち上がる。自分ひとりならば、相手が百人いようと恐れることはない。だが、今はグリムンド王子が共にいる。彼を守りながらの戦闘は、さすがに分が悪い。
そのとき、部屋の扉がそっと開いた。
「……ツクヨミ。」
王子が顔をのぞかせる。どうやら、彼も気配を察知していたようだ。
「王子、どうしましょうかねぇ。」
「……どうするのがよかろう?」
ツクヨミは一瞬だけ考え、にっこりと笑った。
「よし、逃げましょう。」
「えっ、この家を捨ててか?」
「いえいえ、我が家ごとトンズラです。」
そう言って、ツクヨミは手をかざし、魔法陣を展開する。
「テレポート。我が家、行き先――ハンブルク。」
光が家全体を包み込み、次の瞬間、家は跡形もなく消え去った。
――ハンブルク郊外の空き地。
そこに、ふわりと家が現れる。夜風が静かに吹き抜け、まるで何事もなかったかのように、家はそこに佇んでいた。
「ふぅ……これで一安心ですね。」
ツクヨミは肩の力を抜き、グリムンド王子に向き直る。
「こういうのを“三十六計、逃げるが勝ち”と言うんですよ。」
得意げな笑みを浮かべるツクヨミに、王子は呆れたようにため息をついた。
「……これって“三十六計、逃げるが勝ちというのか?つくづく、規格外だな……」
その目は、いつものように少し白くなっていた。




