D.バジルの絵
バジルはドリアン・グレイの絵を描いた
「すいません、帰ってくるのを待たせて貰いました」
「長瀬くんが敬語話してるところ、はじめて見たかも」
あたしが言うと長瀬 直人は「たしかに」と苦笑した。隣で妹が目を伏せている。
「歩きながら話しましょうか。荷物は半分持ちますよ」
「ん、じゃあお願い」
あたしは文庫本の束が入った袋を片方彼に渡した。思いの外重かったみたいで一度体勢を崩し顔をしかめる。両手で持ち直した彼は表情を作り直した。不敵っぽく笑む。
「宮川 一志を殺したのはあなたですね。堂島 美沙子さん」
「なんの話?」
形式上しらを切ってみた。
「堂島さんの旧姓は天上だそうですね。結婚生活がうまくいっていないとか。旦那さんは女性関係に奔放だと週刊紙で見たことがありますよ」
「あれ? 同姓同名で通してたんだけどなぁ」
あたしは妹を見る。そっか、あの子が絡んでるならそりゃバレるか。妹が畏縮したみたいな目で見つめ返してきたからあたしは微笑んだ。怒ってないよ、って。
「そういえば瀬尾 イツキさんも大変モテるとか。月白 雪見さんも溝辺 すみれさんもそこの天上も彼のことが好きだった」
「初耳」
「あなたも知っているように月白さんと溝辺さんの二人は非常に微妙ながら宮川の殺人に関与しています」
なんか、
「月白さんは瀬尾さんに好かれようとなんらかの手を打った。瀬尾さんの趣味、思考を考えるに狂気じみた芝居をして見せた。それが筆談に繋がる」
すごいなぁ、この子。
「瀬尾さんはゴミ箱に筆談に使った紙を捨てたそうです。しかし俺が調べたときゴミ箱に紙はなかった。拾ったのは溝辺 すみれ。彼女は単純に二人の筆談の中身が気になった。しかし溝辺さんが持っていた筆談の紙は月曜日に書かれたモノでした。
ならば金曜日に書かれたモノは? 彼らが筆談しているところは溝辺さんが目撃しています。
……というかまあ溝辺さんが金曜日のぶんの紙も拾ったと考えたほうが妥当でしょうか。黒塗りにされていて読めなかったそれを溝辺さんは机の上に広げたままで帰ったそれをあなたが見つける。あなたは興味本意で薄く消しゴムを掛けて元の文字を読み取ることができた。そして中身は宮川 一志の殺害計画だった。とはいえまあ十中八九瀬尾さんにも月白さんにも殺意はなかったでしょう」
ふむふむ。
「ここで一つ疑問が生じる。なぜあなたは宮川を殺したのか。野崎 進一の存在がキーです」
ほんとに、どこまで知ってるんだろう。
「不倫関係、だったんですよね。あなたと野崎は。野崎から学内に恋人がいるとは聞いてました。それがあなたですか」
…………
「連続殺人も野崎に金を貸してた連中や金の無心を断った人間でしょうか。で、宮川もその自殺に絡んでいるとしたら?
なんらかの方法で野崎の借金を知った宮川は野崎を脅した。サッカー部の連中に聞いた限りあいつは野崎が監督をやってることをよく思ってなかったみたいですからおそらくそれでしょう。一方野崎にとってサッカー部での交流は一つの心の支えだった」
子供みたいなキラキラした目でサッカー部の生徒達のことを語っていた彼を思い出す。
「借金のことが学校にバレれば野崎はクビになる。どのみち野崎はサッカー部の監督を降ろされざるを得なかった。生き甲斐と言ってもいいものを奪われて借金に苦しむ野崎の取る道はもう一つしかない」
長瀬くんは一度言葉を切った。「続けて」促すと少し驚いた顔になる。小さく頷く。
「……あなたがそれまで宮川を殺せなかったのは学校があったから。あなたが殺人を起こしていたのはいつも図書館の休館日か日曜日。休館日には宮川は当然授業に出ているし、日曜日はどこにいるか知るよしもない。宮本の家は住宅街の真ん中。出てくるのを待つにはリスクが高すぎた。
これは同時に月白さんや瀬尾さんが少なくとも連続殺人の犯人でないことも示しています」
まあそっちのアホはそんなことにも気づかなかったみたいですけど。
妹に殴られる。殴られた頭を撫でながら長瀬くんが続ける。
「ところが瀬尾さんと月白さんの筆談内容には宮川が日曜日にどこでなにをしているかこと細かに記されていた」
あれを見たときは呆然としたなぁ。
「あなたは二人の殺害計画に則って宮川を殺した。彼らの計画していた日曜日にそのまま実行したのは先に殺されたくなかったから」
…………
「俺の考察はここまでです」
いつのまにか図書室の前に来ていた。「入るよね?」二人は頷く。カウンターに文庫本の入った袋を置く。腕が軽くなる。いままで重いってことを忘れてたのに。
「大事なことを忘れてる気がするんだけど、証拠はあるのかな?」
「ないですね。これはあくまで考察です。そもそも俺は学内に宮川を殺した犯人がいる前提条件で話している。宮川とは何の関係もない連続殺人犯が犯人の可能性を除外しています。
というかそれは警察が当たっていて浮かんでいないんですから、その線はないんだろうと思ってますが」
「ちなみにあたしが犯人だって言ったら長瀬くんはどうする?」
「どうもしません。ただ宮川 一志を殺したのがあなただと認めてくれれば、天上 時子は少なくとも瀬尾 イツキに対する疑惑を解くことができる。それだけです」
「……わかった。うん、認める」
「そうですか」
無機質な声、勝ち誇った笑みも達成感に満たされた高揚もそこにはなかった。
彼は本当に考察しただけなんだろうか。
犯人はお前だ! ってあたしは指差されたわけだけど誰が抱えているなんの問題も解決した気がしない。
「一つだけいい?」
「どうぞ」
「どうしてあたしと野崎が不倫関係だって気づいた? 警察もそれを立証できないから捜査に手間取ってるはずなんだけど」
「イカサマですよ。俺は最初から知ってたんです」
長瀬くんは上着の裏にあるポケットから白い紙を抜いた。
「野崎の遺書です」
「あなた宛?」
「はい。この中には宮川の恐喝のことも書いてあります。強豪とか呼ばれながら全国大会に連れていってやれなかったのが無念だった とか、借金関連の怨み辛みとか」
「野崎はあたしにはそんなもの残してくれなかった。ちょっと悔しいな……」
「あなたが殺人に走る可能性を考えてたんでしょう。激情家の一面を察していた。あなたのことを考えてのことだと思いますよ」
「そう……」
「俺からも一ついいですか?」
「どうぞ」
「一志が野崎を脅してたことにはどうやって気づいたんですか?」
「図書室の右奥の席は知ってる?」
「例の死角ですか」
「宮本くんはあそこで新聞を切り抜いて脅迫状を作ってたんだ。灰色の紙がパラパラ落ちててね、野崎が死んでからすぐに気づけた。遅いけどね」
「迂闊……、いや 後ろめたかったんでしょうか。自分の部屋に一人でそういうことをやってると罪悪感が浮かんでくるものですから」
「あの子は自分のやったことが野崎を殺したなんて思ってなかったんだろうね」
「おそらく。というかそもそも野崎が死んだことを知らないと思います」
「人の死って悲しいよね」
「月並みなことを言わせて頂いても?」
「どうぞ」
「それを知るあなたは人を殺すべきではなかった。あなたのやり方ではまた新しい、あなたのような復讐者が生まれてしまう」
「それでも、」
「殺さざるを得なかった…… ですか」
「ええ」
「…………」
「人の死って、悲しいよね」