A.イカサマ手相師
ツキはほんとに大したことは言わなかった。宮川が遺体の見つかった近くの空き地でよく練習してたことを話したくらいだ。日曜は暗くなるまでそこにいたそうだ。
ただ長瀬が「こいつの秘密、知りたくないのか?」「知りたいよ」「じゃあなんで答えるんだ?」そう訊いたときに「トキはバラされたくないだろ ってゆーか誰かのためになにかをすることはそれだけで尊いと思わないか?」って答えたツキはなんだかいつもと違う雰囲気でちょっと恐かった。
放課後になってサッカー部の何人かを捕まえて話させたけど宮川が日曜日に公園で自主練をしてることは二、三年生の何人かが知っていた。
「で、どうなの?」
教室に戻った長瀬にあたしは訊ねる。
「しっくりこない」
長瀬は頬杖をついて気だるそうな表情をした。首を振ってパキパキと音を鳴らす。それからトンでもないことを言った。
「実は俺、あの瀬尾って人が犯人だとほとんど決めてかかってたんだよなぁ」
「はい!?」
もう驚かないって決めてたけどこればっかりは無理だった。っていうか決めてかかってた、ってそれでいいのか探偵役。
「けどなんか違う。あの人は多分俺と同じタイプだ。他人を殺すんじゃなくて自分を殺すタイプ」
「先生をノイローゼに追い込んだ考察魔とか言われてるわりに大したことないんだね」
「……は? お前あんな噂、真に受けてるのか?」
「え、」
「俺と野崎、超仲良かったんだんだぜ」
え、野崎……?! ノイローゼになったって噂の現代文教師って、サッカー部の元監督のことだったの?
「あいつは自殺した。理由は借金。けどそのまま発表するとまずいから学校側がノイローゼってことにしたんだとか」
「……あれ なんであんたがそんなこと知ってるの?」
「……図書室の堂島 美沙子から聞いた。ってことにしとく」
思わせ振りな言い方よりもここでその名前が出たことに反応してしまう。我ながら隠し事が下手すぎる。
「? 顔、青いけど大丈夫か」
「平気、」
じゃない。
「……、まっ 今日のところはそんなもんか。図書室寄って帰るわ」
長瀬はバッグを取った。
あたしはまだ帰る気分にはなれなかった。世界が頭の中でぐるぐる回る。なにか思いつきそうなのに引っ掛かって取れない。くしゃみが出そうで出ない感覚に似ている。ぐでぇー と体を逸らして机の上に仰向けに寝転がった。『他人を殺すんじゃなくて自分を殺すタイプ』、ツキのことをそんな風に思ったことはなかった。あたしはツキのことを知らないんだろうか。
「天上」
「ひゃあっ!?」
教室を出たはずの長瀬から声を掛けられてあたしはスカートを押さえた。多分、見られた……
「うぅ…… 最悪」
まだツキにも見せたことないのに。
「……、とりあえず来い」
平然とする長瀬。それはそれでショックだ。かなりヘコみながらあたしは先導する長瀬を追い掛ける。
「なに? どったの?」
「溝辺すみれ」
長瀬は図書室のドアを開いた。先ず貸し出し口でパソコンのキーを堂島 美沙子。それから奥の席で文庫本を読んでる小柄な女の子が目に入る。このところ多かった雨のせいか古書の甘い匂いがした。
「3―Cの溝辺すみれさん。瀬尾 イツキは先週の日曜日の少し前から放課後になると毎日もう一人と図書室に来てたんだな」
女の子は小さく頷いた。
「雪見ちゃんと筆談してた。私に聞かれたくなかったみたい。その紙は入り口のとこにあるゴミ箱に捨ててた」
「ねぇ、長瀬。もしかするけどあんたさぁ……」
「ああ ゴミ箱を漁るつもりだ」
流石に付き合ってられずにあたしは先に帰らせてもらった。バカバカしい。……バカバカしい。好きな音楽を聴いて気持ちを落ち着ける。ツキなはずがない。だって殺したのは…… でも本当に?
メールが来ていた。長瀬からだった。捨てられたはずの紙は見つからなかったそうだ。清掃業者の人が持っていってしまったんだろう。
もう一件。こっちはツキからだった。デートの集合場所の連絡。行くのが少しだけ恐かった。『楽しみにしてるね』の一文がどうしても打てなかった。
ツキはズルい。
「二股だよ。にしても溝辺から漏れるとは驚いたな」
長瀬に問い詰められるとツキはあっさり言った。
「ウソ……?」
「ほんとだよ」
長瀬が顔を逸らす。あたしは泣きそうだった。人前で泣いたのとかいつぶりだろうとか考えてる頭の隅に妙に冷静な部分がある。だけど大部分が熱暴走を起こしていた。
「運命の人だと、思ってたのに……」
ツキは長く息を吐いた。それからすごく褪めた表情を作った。あたしの知らないツキの表情。
「トキ、君は一般的に見て飛び抜けてこそいないがそこそこに魅力的な女性だ。俺でなくても別の相手を見つけることくらいは簡単だろう。もし最初から俺がいなければ? 君は別の彼に笑って言っている。
『あなたに会えてよかった。
たった一人の運命の人。
世界で一番あなたのことが好き』
それだけの話だよ」
「違う……」
「違わないよ。俺に出会わなかったらトキは間違いなく、
「違うよ!」
自分のどこからそんな声が出たのかわからなかった。それぐらい大きな声が出た。
「だって出会ったんだもん……」
「わかった。じゃあはっきり言おうか」
嘲笑するような、それもあたしの知らない表情。
「君に会えて不快だった。
君は俺にとってありふれた人間だ。
俺は世界で二番目に君が、」
「俺はあんたらの色恋沙汰なんかぶっちゃけどうでもいいんだが、」
長瀬が割り込んでくれたからあたしはギリギリで泣かなかった。悲しみの代わりに嫌な感情が胸のうちに広がる。あたしはツキを睨んだ。
「雪見って人のことを詳しく教えて貰えるか?」
ツキは首を横に振る。
「彼女にはアリバイがあるよ。日曜日は俺と一緒にいた。水族館に行った」
「証明できるものは?」
「彼女が半券を持ってる。記念品だから集めるんだそうだ」
この話、君らにする前に警察にもしたんだけどね。と付け足す。
「用がないなら俺はもう帰るよ」
ツキの足音が遠ざかっていく。急に力が抜けてあたしは俯いた。大型車の排気音がどこかで響く。それがなくなったときにはもう何も聞こえなかった。ツキがいなくなっていた。
「…………」
長瀬は仏頂面のままずっと突っ立っている。
「……ねぇ 調べにいかないの? ツキのアリバイとか」
「警察が調べたんなら別に改めて俺達がやるようなことじゃないだろ」
そりゃあそうだけど……
「図書室に行こう。瀬尾と雪見が筆談してた場所を見ときたい」
「うん……」
あたしの足はゆっくりしか動かない。けど長瀬はそれを待っていてくれてあたしたちは並行して歩く。
「あー、そういえばこの話はしたっけ? ゴミ箱から見つからないはずがないんだよ」
「……、?」
「うちの学校のゴミの回収日は木曜日、つまり今日だ。図書室のゴミ箱はゴミの量が少ないから今日の朝に回収されるはずなんだ。溝辺が知ってた」
「あ……」
「ほら、空だろ?」
図書室前のゴミ箱の蓋を開ける。中には何もない。
「最低でも先週の金曜以降のぶんの紙は見つからないとおかしいんだ。それがなかった」
「筆談はなかった……?」
「もしくは第三者が俺より先にゴミ箱を漁った」
長瀬は図書室のドアに手をついた。鍵がかかっている。今日は休館日だった。長瀬の視線が固まる。覗き込むとカレンダーがあった。
「待てよ…… そうか、それなら……」
「な、なに…… どうしたの?」
「いや でも…… 筆談の中身がわかれば……、「筆談の中身がわかればいい?」
溝辺 すみれがこっちを見ていた。「?」手を差し出す。受け取るとグシャグシャになったレポート用紙があった。