A.イカサマ手相師
四限で授業が切り上げになったのは昨日だけだった。今日はしっかり六限まである。お昼休みにカエ達と集まって弁当を広げているとユミが不意に言った。
「トキ あんたコーサツマと喋ってた?」
あたしはご飯を吹き出しかけた。美少女の意地にかけてそんな不様な真似はしない。
「コ、絞殺魔?!」
な、なんで知ってるの? エスパー!?
慌てふためくあたしをユミは覚めた視線で見る。
「多分漢字が違う。わたしが言ってるのは考察魔、長瀬 直人のこと」
「コーサツマ…… ああ、考察魔か。って長瀬くんが何?」
「やっぱり知らないのか。長瀬ってなんでウチの学校来たんだ?ってくらい無駄に頭よくてね、去年現代文の教師と解釈がどーとかで揉めたんだ」
「へむへむ」
「その教師さ。ノイローゼになって辞めちゃったの。噂だけどね」
うわぁ……
「やたら鼻につく喋りかたするし、あいつ自身が人間より本のが好きみたいなとこがあるからさァ みんなあいつには話し掛けないんだよね。触らぬ神になんとやら ってやつよ」
「考察魔っていうのは?」
「佐藤のあのつまんない化学実験のレポートを文字で埋めたからついた名前。ほら、金属の水溶液になんとかを垂らして色変えるやつやったでしょ。専門知識がびっちり書き込んであって唯一のA評価だって」
そういえばそんな実験をやった気がする。けどあんまり覚えてない。レポートとか三行で済ました気がする。当然の如くC評価で返ってきた。
「ともかくあいつとはあんま関わらないほうがいいよ」
あたしは頷いた。
……のに、
「おい」
六限目が終わって早速話し掛けられてしまった…… 周りの空気が固まる。長瀬が自分から誰かに話し掛けるのはそれくらい珍しいことらしい。
「な、なに?」
別に嫌なわけじゃないけどノイローゼとか聞かされたあとではどうしても身構えてしまう。
長瀬はそんなあたしの態度を慣れてるみたいに気にも止めなかった。
「お前、サッカー部のマネージャーだよな? 宮川一志とその周辺のことを話せ」
……というか命令口調だった。もしかしてこれがデフォルト??? そりゃ友達いないわけだ。
「な、なんで」
「調べる」
……はい?!
「あんなやつが自殺しただなんて噂になってるのは自殺を考える人間に対する冒涜だ。気に喰わん。あれは殺人だって証明してやる」
長瀬の口調には冗談とかそういう響きが微塵も含まれていなかった。あたしと長瀬を置いて時間が動き出す。カエやユミが苦笑いしながらあたしに手を振って教室を出ていった。わたしたちを巻き込まないでね?って意図が透けて見えた。
と、友達って辛いことも一緒にするから友達なんじゃないの!?
「おい。時間が無駄だから早く話せ。ノイローゼにするぞ?」
長瀬は自分の武器をよくわかっていた。それは彼が恐れられてることだ。そう、恐いのだ。教師をノイローゼに追い込んだ誰にでも命令口調らしい彼は。
友達に逃げられてしまったあたしが一人でそれに抗うことはできそうになかった。
つまりは洗いざらい吐いた。姉のコトだけは伏せて。
「お、終わりです」
あたしが言い終わったころには周囲から人が消えていた。みんな火の粉が自分にかかる前に帰ってしまったみたいだ。
長瀬は長く息を吐いた。
「とりあえずその瀬尾って人に会うか」
「へ?!」
「事件前の変化はその人の退部くらいなんだろ? それに一志がその人に戻って欲しいって毎朝頼みに行ってたのも気になる」
「それがどうかしたの?」
「俺だったら死ぬほど一志がウザい」
ツキはそんな人じゃないよ って言ったら長瀬は鼻で笑った。
「お前はその人のことどんだ知ってんだよ?」
「なんでも」
あたしは自信を持って言えた。長瀬はあたしの目を見た。だけどすぐに逸らした。
3―Cの教室にはツキはいなかった。当たり前だ。もう放課後が始まって結構経っている。余談だけど窓が開いてないかとか警備員さんが見て回るまで、六時くらいまでは教室の鍵は開けっ放しだ。
「まっ 仕方ないか。先にサッカー部のほうに当たろう。一応レギュラー何人か捕まえて話を聞きたいな。特に一志が死んであがる予定のやつ」
「サッカー部は今日臨時の休み」
ちっ と長瀬は舌打ちを一つして机に腰掛けた。あたしもそれに倣って長瀬の隣の席に腰掛ける。
「……あのさ。刑事でもないあんたに部の連中が真面目に取り合ってくれるとか思ってる?」
「取り合ってくれるさ。俺じゃなくてお前ならな」
……もう驚くのは止めにしよう。キリがない。
「あたしが協力する理由は?」
「俺の考察に協力しろ」
「その言い方で協力して貰えると思ってるほうが驚きだよ」
「ふむ、じゃあ言い方を変えようか」
長瀬は薄く笑った。
「お前の知ってる誰かの疑いを晴らすために協力しろ」
「っ……」
あたしは言葉に詰まった。
可能性はある。見ないようにしてただけだ。宮川を殺したのが姉じゃない可能性。ツキは? サッカー部の他の部員は? ない、って信じたい。無関係な誰かが通り魔的に殺していってくれてたほうがいい。
でも……、
「やっぱりやめとくよ。疑うのはよくないもん」
「そうか」
長瀬は落胆しなかった。考察魔のこいつは多分そっちの可能性のほうが高いことを予測していたんだろう。
「じゃあもう用済みだ。帰っていいぞ、えーっと……サッカー部のマネージャー」
「あんたもしかしてあたしの名前覚えてない?」
頷く。
クラス替えからまだそんなに経ってないとはいえ隣になった人間の名前くらい覚えようよ……? クラスの男子のほとんどが一番先に覚えたのをあたしの名前だと自負していただけに軽くショックだった。
「天上 時子、一応覚えといて」
「長瀬 直人、覚えなくていいぞ」
十七年生きてきたけどここまで突き放した自己紹介に会ったことはなかった。
「ねぇ 長瀬はなんで宮川のことそんなに調べようとしてるの?」
「動機なら話したはずだが」
「そんなのじゃないでしょ。ほんとは」
「……これだから凡人は。直感で物言うから嫌いなんだよな」
「あんたさァ……、」
呆れるあたしを長瀬の言葉が遮る。
「一年のころにクラスで浮きまくってた俺に最初に話し掛けてくれたのが宮川。それだけだ」
「…………」
「帰る」
長瀬は席を立った。教室を出るときに「アホめ」って呟いた長瀬の横顔が思ってたよりずっと寂しそうで戸惑った。
……なんだかドッと疲れた。片手に傘を持って自転車を押す。雨は降り続いていて空は暗い。後ろのほうでエンジン音がした。振り返ったけどちょっと遅くて水溜まりが跳ねあがる。泥水がスカートに直撃した。最悪。
家に帰ってシャワーを浴びていると扉が開く音がした。多分お姉ちゃんだ。あたしは自分の体が強張るのを感じた。ガラス一枚向こうの部屋に殺人犯がいる。宮川が死ぬまで実感はなかった。宮川が死んで初めて意識してしまった。出ようとしてシャワーを止めたけど足がすくんで動かない。訊きたいことはあるのに、あたしはただ二階へ上がっていくお姉ちゃんの足音を聴いて安堵していた。
どうして……?
二階にいるのはあたしのお姉ちゃんなのに、
あたしを殺すはずなんてないのに、
あたしは何をそんなに恐れているの?
次の日の寝覚めはすごく悪かった。あたしは枕に目を擦り付けた。涙のシミが広がる。真っ黒な顔の誰かがあたしの首を絞めている夢を見た。次に部屋のなかを見渡す。いつも通りのあたしの部屋だった。幾つかのぬいぐるみがベッドの脇に置かれていて、本棚は漫画ばっかり。一番下に秘蔵のボーイズラブ小説が入っていて文字が多いのはそれだけ。
あたし以外誰もいない。お姉ちゃんが入ってきたわけでもない。あたしは胸を撫で下ろす。時計を見るとまだ六時にもなっていなかった。あたしは一番下の引き出しを開けて雑誌を二つ退けた。閉まっておいたはずのボーイズラブ小説がなくなっていて、それだけなのにあたしは凍りついた。
お姉ちゃんはあたしよりも起きるのが早い。それでも家を出たのは七時四十分を過ぎていた。あたしは玄関が開いて閉まった音を確認してからゆっくり一階に降りた。急いで着替えて化粧もそこそこに家を出る。朝御飯を食べる余裕はなかった。
幸い昨日散々降った雨は上がっていて自転車を飛ばすのに支障はない。あたしはグングンスピードを上げた。同じ制服の生徒を何人か追い抜いてようやくサドルに腰を落ち着ける。息が乱れていた。まだ残る雨の匂いと湿気のベタ付きがちょっと不快だ。自転車を止めて教室に行く。軽く息を整えてからドアを開けた。「おはよっ!」近くにいたカエに元気よく言う。カエも笑顔で返してくれた。普通が欲しかった。バッグを置いてカエ達と話す。あたしは普通のお喋りが普通に楽しい普通の美少女だ。それだけだ。
チャイムがなってHRが始まる。数学が少しわからない。今度ツキに教えて貰おう。
お昼休みになってお弁当を持ってきていないことに気付いた。抜きにしようかと思ったけど学食に行く。あたしはカエやユミに声を掛けずに教室を出た。挑戦してみたいメニューがある。その名もビッグランチ、名前でわかると思うけど基本的に女の子の食べるモノではない。あたしはトイレに入って髪型を少し弄る。辛うじての変装だ。
五百円を払ってビッグランチを受け取り席につく。一口、美味しい。
向かいの席に誰かが座った。顔をあげると長瀬が必死に笑い出しそうなのを堪えていた。
「な、なに……?」
「天上がそれ食い終わったら瀬尾 イツキのところに行きたいんだけど」
「イヤ」
「じゃあ瀬尾さんに天上がビッグランチ食ってたことをばらして来ようかな」
「っ……」
「3―C、行くか?」
……そうだ。これは仕方なくだ。あたしはビッグランチのことをばらされたくないから仕方なく長瀬に着いていくんだ。
「うん……」
ビッグランチを平らげてあたしは席を立った。長瀬が「あれって一人で食えるもんなのか……」とか呟いてたけどあたしの耳には全然まったく聞こえなかった。
3―Cの前まで来る。
「とりあえず瀬尾さん呼んでくれ」
心構えをする暇もなくドアが開かれた。慌てたけど3―Cの扉はキリキリと嫌な音がなって却って落ち着いた。
「ツキ」
呼び掛けるとツキは驚いた顔になった。それまで話していた常磐さんに一言掛けてこっちにきた。
「どうした?」
ツキは落ち着いた声を出した。ちょっと怒ってる。そんなに大事だとは思わなかったけど、教室には来ないって約束を破ったから…… かな?
「あんたが瀬尾イツキさんか?」
長瀬が用済みとばかりにあたしを押し退ける。
「そうだけど、」
「宮川一志について少しお話を聞かせて欲しいんだが」
「……あんまり思い出したくないな。あいつが死んだって、ことさら強く意識してしまう」
「ちなみにイヤだと言ったら彼女の大切な秘密があなたに暴露されることになる」
!?!?!?
「それは……、誰かの口から聴くのはフェアじゃないね」
ツキはあたしをちらりと見た。あたしは長瀬をありったけの殺意を込めて見た。長瀬は気にも止めずにツキを見ている。
「わかった。ただ別に変わったことは言えないと思うよ。サッカー部のやつらのほうが一志については詳しいだろうし…… っていうかなんで俺?」
長瀬は感情を込めずに言った。
「俺があんたの立場なら一志を殺すかもしれないから」