時計の針
時計の針
ゴトンゴトンと、その列車は走る。乗客は二人だけ。窓際の席に若い男。その隣に老いた男が座っていた。若者は無言で窓の外を眺めている。色とりどりの綺麗な花畑がどこまでも続き、澄み切った青空の先には、群れで飛んでいく鳩が見えた。若者はぼうっと窓の外を眺めるばかりだったが、老人は「クイズなどいかがかね?」と、若者に話しかけた。
「ワシの年齢を当ててみたまえ。質問は一切なし。回答は一度きりだ。どうかね?」
「それは無理ですよ。僕はあなたのことを何も知らない」
「いいや、君が大切なことを思い出せたなら、答えに辿り着けるはずだ」
若者は首をかしげた。この老人は、なにを言っているのだろうか。そもそもこの老人は、誰なのだろうか。いいや、そんなことよりも、自分は何故、列車に乗っているのだろうか。この列車はどこへ向かっているのだろうか。若者は自分がいつからここにいるのか、そして自分が誰なのか、全く思い出せなかった。若者は混乱し頭を抱え、老人は優しく「ワシの顔を見なさい」と言った。
「君は全て覚えているはずだ。さぁ、ワシの顔をよく見なさい」
「……あぁ、そうか。そうなんですね」
「思い出したようだね」
若者はゆっくりとうなづき、クイズの答えを言った。
「八十七歳ですね」
「正解だ。よく覚えていてくれたね。褒美にプレゼントをあげよう」
「……今さらプレゼントなんて、なにか意味がありますか?」
老人は若者に目をつむるようにと言い、若者はそれに従った。老人は若者の左手を開き、なにかを握らせる。ひんやりとした、なにか固いものだ。そして汽笛の音が聞こえたら、それを思い切り握りしめるようにと言った。若者は黙ってうなづき、それを待った。ゴトンゴトンと、列車は揺れる。そして若者が、老人になにかを言おうとしたその瞬間、汽笛の音が聞こえた。
次の瞬間、若者は左手に鋭い痛みを感じ、目を開けた。ざわざわと、周囲に人だかりができている。間もなく救急車が到着し、若者は病院へと運ばれていった。若者は全てを思い出した。交通事故だ。信号無視の車にはねられたのだ。左手を開いてみると、そこには彼が幼い頃に、祖父からプレゼントされた、形見の懐中時計があった。事故によって破損し、長針が歪み外に飛び出てしまっている。それが手の平を刺し、その痛みで彼は目を覚ましたのだ。
「享年、八十七歳。ちゃんと覚えていますよ」
おわり