1 銀二死亡!
酔いどれ主人公の坂倉銀二くんを、やさしく見守ってあげてください――。
「ギンちゃん、頼まれてた芋焼酎、入ってるよ」
馴染みの酒屋、赤穂酒店の店主が芋焼酎でも高価な『魔王』をドンとカウンターに置いた。
坂倉銀二は既に酔っており、ほろ酔い状態で酒瓶を手に取ると、ラベルの『魔王』という字を恋人でも見つめるようにうっとりとした。千八百ミリリットルの酒瓶は、銀二の細腕にずっしりと重い。
酒瓶を抱えた銀二の腕は、赤子をあやすようにゆらゆらと左右に揺れた。
「おお、これが魔王」
「そう、これが天使を誘惑し、魔界へ最高の酒を運ぶ悪魔にちなんで命名された鹿児島産の芋焼酎だ」
「あー、熟成過程に由来するんでしたっけね」
「お、知ってんの?」
「暇だったもんで、ちょいと調べましてね。熟成が進んでアルコールと水分が飛んだのを、天使の分け前って言うんですよねぇ、おしゃれっすねえ」
「なんだよ、せっかくうんちく垂れようと思ってたのに。言われちまうとつまんねえな」
残念そうに肩を落とす店主の姿に、銀二はひひっと笑った。
この酒は父の誕生日に飲む為に用意してもらったものだが、そこは酒癖の悪い銀二、支払いも済ませぬまま栓を開け、一口だけと店主が用意していたお猪口で一献しゃれ込んだ。
くいっと口に酒を含み、舌全体に染み込ませるようにゆっくりと飲み込む。鼻腔で感じる香りはほんのり甘く、酒が通った喉はじんわりと熱くなり、食道を伝って胃に流れ込んでいくのがよくわかった。
「うん、魔王って言うからもっと強烈なのをイメージしてたけど、想像してたよりクセがないし、ずっと飲みやすいっすね」
「だろ? こいつを誕生日に用意するなんて、お父さんも喜ぶよ。一時より手に入りやすくなったとは言っても、自分用に買うことなんてまあ滅多にないからな。俺の息子に見習わせたい孝行ぶりだ」
褒められて嬉しくもあり、照れくさくもある銀二だったが、そんなに褒められたものではないと頭を掻いた。
「親父に出してもらった金で大学出て、就職もままならずに一人暮らししてる息子は親不孝でしょ。この酒代だって、親父の金だし」
「あれ? たしかバーでバイトしてなかったっけか」
「試飲しまくってたらクビになっちゃいましてね、その後のイタリアンレストランでもワインを試飲してクビになって、その後の居酒屋でもお客さんと飲みすぎてクビになって、まあそんな塩梅で」
「相変わらずだな。でもま、気持ちが大事だって。そのうちちゃんと就職したら、初任給で飯でも連れてってやんなよ」
「どっかに、酔っ払いを雇ってくれる酒屋とかないっすかね? ねえ?」
「……また来なよ、珍しい酒でも探しておくから」
遠まわしに断られたな、と銀二はちゅぱちゅぱと唇を鳴らし、酒瓶の栓を閉めた。
とろんとした瞳で辺りを見回し、日本酒、洋酒、ウィスキーや焼酎などが陳列された棚を眺めた。
ここは銀二にとって宝庫のような場所で、酒屋を真似して部屋の中にも棚を作り、世界中の酒を集めて飾っている。温度管理が難しいワイン等にはまだ手は伸ばせていないが、将来的にはワイナリーも欲しい。なんにせよ、今日もまた、宝物が増えた。銀二は支払いを済ませ、魔王の酒瓶を胸に抱いた。
「じゃ、おっちゃん、またね」
「おう、足元気をつけろよ、酔っ払い」
「うい。よぉし、帰って呑むどぉ~」
ほろよい銀二は店を出て、直後に聞こえた車のブレーキ音に「あ?」と間抜けな声を出し、顔を向けた。
驚く暇もなく車に撥ね飛ばされ、店主のオヤジさんが慌てふためく声を聞きながら、空を仰いだ。
「さ、酒……っぐ」
割れずに転がった魔王の酒瓶に手を伸ばし、ぱたりと、銀二の人生はあっけなく幕を下ろした。
享年二十四歳、八月十日、飲酒運転をしていた軽トラックに撥ねられて死亡。
葬式では、銀二が用意した『魔王』を片手に、「死んじまったら説教もできねえだろうが」と父が息子を偲んで酒を食らった。