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控えめなノック音と共に消えいりそうな小さな声がした。
「し、失礼します」
食事だろうか。いや、いつも食事の時は、ノックもせずに勝手に部屋のドアを開けてトレイごと床に食事を置いていく。
わざわざ確認するなんておかしい。
返事をせずにいると、声の主はドアの前で待っているのだろうか息を潜めている。
「どうぞ」
私が慌てて返事をすると、ドアノブをカチャカチャさせる音が聞こえた。
返事をするまで待ってくれた。それだけだが、私に敬意を持ってくれている事だけはわかった。
「あ、ありがとうございます」
部屋に入ってきた少女は17歳くらいで、年齢的には私とあまり変わらないような気がした。
赤い髪にブラウンの瞳をしていてそばかすが目立つ。大きな瞳と上向き気味の鼻がとても可愛らしい顔立ちをしていた。
「何の用事ですか?」
「い、今から第二王子様がやってくるんです」
少女はとても言いにくそうに口を開いた。
第二王子とは、この国の王子だろうか。
そんな人がこの家に尋ねてくるから、私に何の関係があるのだろう。
「そう、それが何か私に関係あるのでしょうか?」
「だ、第二王子様は貴女の婚約者になるので、その、支度が必要で」
少女の説明で、ようやく私がこの家に呼び出された意味を理解した。
つまり、私に第二王子の婚約者になれという事なのだろう。何の説明もしないなんて向こうに無礼ではないだろうか。
そんな事を言ったところで、目の前の子はおそらく恐縮して何も言えなくなる気がした。
そもそも、彼女が私に伝えるべきことではない。
「そう」
「私が準備します」
適当に返事をすると、少女が申し訳なさそうにそう言った。
彼女は見るからに見習いの様子だ。支度はさせないといけない。だが、私には手をかけたくない。だから、見習いをよこした。
そんなところだろうか。
「よろしくお願いします」
ここに来ることになった少女に、私は申し訳ない気分になった。
「あ、あの、前髪を……」
少女は長く伸びた前髪を切りたい様子でそう言い出す。
「顔を見られたくないの」
「そ、そうですよね。ごめんなさい」
私のやんわりとした拒絶に少女は申し訳なさそうに俯く。
「ごめんなさいね。私の顔を見たら驚くと思うから。隠したままにしてもらえるかしら」
「それでは、準備をしますね」
「ええ」
少女の手際はとても良かった。名前はアンヌというそうで平民らしく。私の部屋に来たのも上から言われたからだそうだ。
とても申し訳なさそうに教えてくれた。
前髪は切られることもなくうっすらと唇に紅を引かれて、シンプルな若草色のドレスに着替えて準備は終了した。
「ありがとう、一人だったら準備なんてできなかったと思うから助かったわ」
私がお礼を言うとアンヌは驚いた顔をして嬉しそうに微笑んだ。
準備が整うと不機嫌そうな顔をした執事が私の部屋にやってきた。
「時間だ。それにしても、それなりの服を用意してもこんなにも酷く見えるのもなのか」
執事の嫌味に私はため息を吐きたくなる。
彼がここまで私の事を嫌うのは両親に醜いゆえに見捨てられたせいもあるだろう。
「さっさと来い。権力ない第二王子だからって粗相は絶対にするなよ」
粗相をするな。と言うくせに、なぜ私にまともな教育すら施さないのだろう。言い分はあまりにも身勝手だ。
執事は私の歩く速度すら無視して早足に歩いていく。
大急ぎでついていくと。
「マナーがなっていない。お前のようなものに、ヘンウッド家の血が流れているなんて……、ルシンダ様が娘なら良かったのに」
執事は吐き捨てるように呟く。
ルシンダとは誰のことだろう。
彼は私の事など無視して、第二王子は応接室にいる。今日ははじめての顔合わせで、お前は病気療養していたことになっている。と、淡々と状況の説明を始めた。
私は執事が一方的に話す内容を頭の中に入れ込む。
ようやく部屋の前に着くと「粗相だけはするなよ」と執事に低めの声で脅され、関わりたくない。と、言わんばかりに去っていった。
残された私は仕方ないと、自分に言い聞かせて応接室のドアを開けた。
そこにいたのは、ジョンと同い年くらいだろうか物静かそうな少年がいた。
茶色の髪の毛と瞳は貴族の中では珍しく平民に多い。
「はじめまして、僕が第二王子のケネス・ヴァージニアです」
ケネスは、少しだけ緊張した様子で私に挨拶をしてきた。
彼の雰囲気から穏やかな性格なのがなんとなくだがわかる。
笑みも緊張しているものの悪意は見られない。
「はじめまして、私はヘンウッド家のシビルです」
「幼い時から、療養中と聞いたが身体の方は大丈夫ですか?」
私が挨拶を返すと、ケネスは形式的な心配の声をかけた。
彼は真実を知っている筈だ。しかし、知らないふりをしてくれるようだ。
「はい、おかげさまで」
「それならよかった」
私も療養していた事として返事をする。
「僕たちは、政略結婚という事になるけど、友達として仲良くやっていこう。立場上、僕とは白い結婚にはなるけれど」
ケネスは挨拶をするかのように、「白い結婚」というワードを口にした。
しかし、私と子供を作りたくない。という、口ぶりではない。
「僕の母親はただのメイドで立場が弱いんだ。陛下が気まぐれで手をつけてね。寵愛も何もないんだ。結婚後は年金が充てられて田舎で生活することになると思う。だから、僕は子供を残してはダメなんだ」
簡単な説明だが、彼の立場の危うさをそれだけでよく理解できた。
彼がどんな生活をしているのかも、何も不自由する事はないかもしれない。しかし、あまりいい目で見られていない事だけはわかる。
「……そうなんですね」
「本当に何も知らされていないんだ」
ケネスは困ったような顔で笑った。
取るに足らない存在。だからこそ、何も知らない私を充てがう。
誰も彼もが悪趣味で気持ち悪い。
「何も知らされませんでした」
ケネスも同じ事を思ったのだろう「悪趣味だよね」と笑った。
「夫婦になるんだ。顔を見せてもらえない?」
ケネスの言葉に私は身体を強張らせた。
今後の信頼関係のために顔を見せる必要はあるけれど、醜いゆえに軽蔑されたらどうしたらいいのだろう。