5
その日は、突然やって来た。
「シビルお嬢様。お迎えがきます」
私はミラベルにそう言われて、何を話しているのかわからなかった。
お迎えなんて絶対に来ないと思っていたのに。
「どういう意味?」
「言葉の通りです。貴女は生家であるヘンウッド家に帰るのです」
ミラベルは淡々としていた。
私の事を心配する様子もなくそれも当然だ。
彼女の雇い主はヘンウッド家なのだから。
「い、嫌よ。そんなところ帰りたくない」
「きっと、その方が今よりも幸せになるでしょう。貴女のためなんです」
ミラベルの言い聞かせる言葉に、私は不安で仕方なくなる。
それに、突然のお別れなんて耐えられない。
「……お願いがあるの。私を魔物から助けてくれた人に挨拶がしたいの」
「わかりました」
私のお願いにミラベルは、仕方ないと言わんばかりに頷いた。
最後の挨拶をする日、私はいつも会う場所に彼よりも先に待っていた。
ジョンの顔を見ると、胸が苦しくなる。
「私、遠くに行くの」
「そうか……」
ジョンは意味を理解したのか、俯いて目を伏せた。
わかっている事はただ一つ、もう二度と会えない。それだけ。
『おい、嘘だろ。コイツの子供を産めよ』
「お前は黙ってろ!」
空気を読まない悪魔にジョンは怒り出した。
この二人のやりとりを見るのが楽しかった。けれど。それを見るのも最後だ。
「うふふ、もう、二人の喧嘩も見れないのね」
笑顔でお別れするつもりだったのに、気がつけば涙が溢れ出て来た。
「っ、うっ、つ」
ジョンは泣き出した私に戸惑いながらも、優しく抱き寄せてくれた。
「何かあったら、助けに行ってやる」
なんて、優しい嘘なのだろう。わかっていても縋り付いてしまいそうになる。
「うん、ありがとう。嬉しい」
だけど、私はそれを嘘だとは指摘しない。
辛いことがあったらジョンが助けに来てくれる。そう信じているだけで、きっと乗り越えられる気がするから。
『本当だ!本当だからな!俺はお前のことを気に入ってるんだぞ』
悪魔もジョンに追従するように大きな声を出す。
「ありがとう。悪魔さん」
離れ離れになるなんてとても寂しい。
だけど、呼び戻されるということは何か役目があるのだろう。もしも、それを果たすことができたら、ここに戻ることはできるだろうか?
私はそんなことをぼんやりと考えていた。
ジョンと悪魔との挨拶を終えて、迎えがやって来たのは三日後だ。
馬車にミラベルは乗らなかった。
初めての旅だというのに心は踊らず。ただ、陰鬱な気分になるだけだった。
ヘンウッド家に着いたのは数日後。
その屋敷の大きさに私はポカンと口を開けてしまう。
ドアを開けようか悩んでいると、それを察知したかのようにドアが開いた。
そこにいたのは、綺麗な身なりをした中年の男性だった。
「ここまで汚らしいとは……」
男性は蔑むような目を私に向けて「汚れるから何も触るな」と冷たく言い捨てた。
汚いとは言われたけれど、それなりに身綺麗にしているつもりだ。
着ているものは彼のものほどは上質ではないけれど。
「あの、貴方は?」
不躾だとは思いつつも、私は彼のことを知らない。
家族ではなさそうだということだけはわかるけれど。
「私はこの家の執事です。貴女の部屋に案内します。部屋からは一歩も出ないでくださいね。この屋敷の空気が悪くなりますから」
執事は私に名前すら名乗りたくないようだ。忌々しく、しかし丁寧な言葉で「お前は招かれざる客だ」と伝えてくれた。
「わかりました」
心が折れそうになるのを堪えて、私は返事だけをした。
「さっさと着いてきてください。あと、絶対に屋敷のものには触らないでください」
私は執事に言われるままにその後をついていった。
「ここが貴女の部屋です。身の回りの事は一通りできるんですよね。食事は運びますし、絶対に部屋から出ないようにしてください。そこにある本はいらない物ですから勝手に読んでも構いません。字が読めるなら。無理でしょうけど」
執事は馬鹿にするように笑って部屋からは出ていった。
残された私は、仕方なく部屋のベッドに座った。
私の部屋は広かった。そして、大量の書物が置いてあった。
「書庫かしら?使わない部屋を私にあてがったのね。いらないものだから」
苦笑い混じりに、私は置いてある本を手に取る。
「字くらいなら読めるわよ」
ミラベルは、読み書きをちゃんと教えてくれた。一般的なマナーも恥ずかしくないレベルまでは理解している。
勉強面では少し不安ではあるけれど。
「そうね、いらない本だもの。勝手に読もう」
とりあえず一冊から。と、決めて私は本を読み出した。
食事は意外なことに、ちゃんとした物が用意された。
おそらく粗末なものを出して、飢えさせたら厄介なことなるからだろう。
何のために呼び出されたのか、私は何も知らない。教えてもくれない。
それがわかったのは数日後だった。