百七頁 鳥 拾陸 『ただの高校生』
百七頁
鳥 拾陸
『ただの高校生』
真央のアパートを出てから、暫く無言で歩いた。俯き視線を渡さない真央に、静かに呟いた。
「あの……悪かったな。父親の事、悪く言って……」
「何で謝るの? 私、嬉しかったよ? 自分じゃはっきり言えない事、優子が代わりに言ってくれて嬉しかったよ? ありがとう」
それから会話をする事も無く、家のマンションの前まで着くと、真央は突然立ち止まり、深く深呼吸をして言った。
「ここからは、気持ち入れ替える! ごめんね? 暗い顔しちゃって……きっと一緒に居て、居心地悪かったよね? もう大丈夫だから!」
そんな、一緒にいる人の身になって考えられる奴だったのか……
「別に無理しなくて良いんだぞ?」
「優子のお母さんだって居るし、暗い子って思われて嫌われたく無いもん」
無いもん⁉︎ そんな言葉遣いする様な奴だったか?
「分かったよ。でも侮るなよ? 私のお母さんは、そんな事で、何か暗いなって事くらいで、人を嫌いになる様な人じゃ無いから」
「そうだよね……ごめんね?」
理解してくれたみたいだ。ドアに鍵を挿し開けると、母がリビングから嬉しそうに近寄って来た。
「あっ! 真央ちゃん久しぶり! 今日まだご飯出来て無いの。手伝ってくれるかな?」
「えっ、はい!」
わざとでしょ? 今日泊まり来るって伝えてたじゃん。この間料理教えるとか言ったからわざわざそうしてるんでしょ? 久しぶりって、中二日しか空いて無いんだけど? まぁ、それもこれも、真央を居心地良くさせる為なんだろうけどね。
「優子もお手伝いしてくれる?」
「あっ、私はいいよ」
私はリビングの椅子に腰掛け、携帯でユーチューブのリロ氏の飯テロ動画を見始めた。ヤバいほど食欲が上がって来た。二人が台所でキャッキャキャッキャ言ってる。真面目に調理してるのか? とも思ったけど、真央が無理にでも明るく振る舞う事で、さっきまでの辛さや悲しみが和らぐのなら良いなと思った。
少し気になり近寄って行くと、よく分からない魚の煮付けを作っていた。
「コツはね真央ちゃん! 臭みを消して落とし蓋して煮込みゃなんとかなる!」
「はいっ‼︎」
本当にそうなのか? だとしたらめっちゃ簡単じゃん?
「一回熱湯にさらして霜降りにすれば、臭みなんか無くなるから! 後は醤油だのみりん適当に入れれば美味しくなるのよ!」
本当か⁉︎ 煮込みゃなんとかなるって大丈夫か⁉︎ まぁ今まで、あれっ? って思った事は無いけど。ってかいつもちゃんと美味しいけど。
「落とし蓋って、何でするんですか? 何か……すいません。何の意味があるのか分からないんですけど?」
確かに、あれ何の意味あんの? 蒸気逃してるし、ユラユラするだけで、アイツ何がしたいのか意味不明なんだけど?
「落とし蓋はね、いくつも意味があるよ! まずは、鍋の中! 沸騰したらユラユラ揺らいで具材同士がぶつかって形が崩れるでしょ? 上から軽くおさえる事で形を留める役割があるの!」
「なるほど! だから煮物を作る時には必需品なんですね?」
「そうだね。その他にも、煮立った汁が落とし蓋に当たって材料に満遍なくまわるから、ムラなく味が付くの。それと程よく蒸気を逃がすから、煮詰まる事で味がしみやすくなる。だから、始めから濃い味にしたら駄目よ? ちょっと薄いかなぁ? くらいから煮込み始めるのよ!」
「なるほど、勉強になります!」
真央の表情も、作っていた笑顔がほぐれ、自然体になって来た様に感じる。
「勉強だなんてそんな! 何か、こういうの楽しいね? 優子は料理に興味無いからお手伝いさえしてくれた事無いのよ?」
おい、それは言い過ぎだと思うよ? 今真後ろに居るんだけど気付いて無いのかな?
「将来の事ちゃんと考えてるんですかね? 旦那さんに料理作ってあげないのかな?」
私の方をチラチラと見ながら真央が言った。良いじゃん良いじゃん? そんな戯言ほざける位まで持ち直したって事だよなぁ⁉︎ そろそろキレ散らかしてやろうか?
「真央ちゃん、きっと良い奥さんになるよ? どっかの誰かさんと違って、勉強熱心だもん!」
母がチラチラとこっち見ながら言った。気付いてやがった。くだらねぇ。とんだ茶番だよ。
「チッ」
舌打ちしてその場から離れ、チラッと振り向くと、二人がクスクス笑っていた。その姿を見て、私も少しだけ笑ってしまった。
暫くは大丈夫そうだな。真央をあの家にさえ近付けなければ、何とかやっていけそうだ。でも、それは根本的な解決にならない。私達は、どれだけ仲良く楽しく過ごそうとも、本物の家族にはなれない。牛の二人でも同じ。血が繋がっていない娘の同級生を、本物の家族にする親なんて居ない。
よく分からないけど、もしかすると出来るのかもしれない。養子という形で、真央を私達の本物の家族として受け入れる事。でも、いくらなんでもそれは出来ない。だって、そんな話しなかなか聞いた事無い。血の繋がらない彼女の一生を面倒見る覚悟なんて、家族全員で共有出来る筈無い。じゃあ一体私達は、何をしているんだろう? 今している事は、真央を救う為じゃ無いのかもしれない。自分達の良心を押し付けているだけなんじゃないのか? それで、自分達だけが気持ち良くなっている。結局真央は今、私と牛の二人の家をたらい回しにされている状況だ。毎日変わる環境、常に近くに同級生が居るというプレッシャー。真央の心が落ち着ける空間は、何処にも無い様に感じた。
その上私は、真央の父親に喧嘩を売る様な事を言って、二人の間に亀裂を起こした。真央があの家に、帰りづらくなってしまった。ってか……こうやって! 真央があの家に帰る未来を想定している事自体が! 私が、本気で真央の事を考えていない証拠なんじゃないのか⁉︎
あの家に帰らせたらダメだろ⁉︎ 私は、真央の事を、本気で助けたかった筈だろ? いや違う。軽かったんだ。私の想いは軽かったんだ。ここまで難しい事だと思って無かったんだ。真央が死にたいとさえ思わなくなれば解決するだなんて思ってた。違う。環境を、全て改善しなければ真央は救われたと言い切る事は出来ない。
そんな事が、私に出来るのか? ただの高校生の私に、他の家庭の環境を改善させる力なんて、あるのか⁉︎ 私には、何が出来るっていうの?
「もー優子ったら、冗談通じないなぁ?」
私が椅子にも座らず、思い詰めた顔をしていたせいで、あらぬ誤解を受けた。お母さん、聞こえる様に言ったんだろうけど、別に私は、嫁いだ先の心配なんかしてねぇよ‼︎
「結構単純な所もあるんですね? 優子可愛い!」
真央? お前の心配してんだよ‼︎
「真央ちゃんも、とっても素直で可愛いよ?」
「そんな事無いです……なんか、お姉さんにも真央ちゃんって呼んでもらえるの嬉しいです! 普段、悪魔とか呼ばれてるから……」
「悪魔? どういう事?」
あーそういえば、真央は悪魔って蔑称があるって言ってたな。
「私が悪いんです。……あの? 私の家の話しって、優子から聞きました?」
そういえば、真央に家の事を母に話したとも言って無いし、母に真央の事話した事を真央に伝えたとも言っていない。
「……聞いたよ。とっても、辛かった筈だよね?」
「どうでしょう……私にも、罪があるんです。小学生の頃、私は、周りに居る幸せそうな同級生が憎たらしくてしょうがなくて、無意味に暴力を振るって、自分の鬱憤を晴らそうとしていました。そんな私は、本当は同情される権利なんか無いんです……」
「難しい問題だから……真央ちゃんが、誰かを傷付けた事を正しかったと言う事は出来ない。でも、そうするしか無かったんじゃないかなって、私は思ってしまうんだよ?」
「何故……ですか? 正しく無かったのに……」
「あのね? 真央ちゃん。人は、正しい事だけをして生きてはいけないの。私だって間違った事、ある。それで傷付けた人も居れば、私だって誰かの間違いに傷付けられて来た。だからこそ、もう誰かを傷付け無い様にって、心に決めて生きていけるんだよ」
「私は……今まで沢山の人を傷付けて来たから……」
「それは、あなたがその分、沢山傷付いて来たからでしょう? 過去を悔やんでもしょうがないよ? それならその分、誰かに優しくしてあげなさい!」
真央が死にたいって言うのは、そんな理由もあったんじゃないかと思う。自分の不幸な人生を終わらせる為、そして、今まで傷付けて来た人達への償い。
「あ、ありがとう……ございます……」
真央、今日は本当よく泣く日だな。……やばっ……なんだよ、私も泣いてんじゃん。お前んちのアパートでは気丈に振る舞ってたけど、あんなもん泣くだろ⁉︎ 可哀想でって言うのは可哀想だけど、今はお前の気持ち、ちょっとは分かるからさ、あんなもん泣くだろぉがよ⁉︎
「それにしても、女の子に悪魔なんてあだ名、酷すぎるわよ!」
母の慮りが炸裂した。
「いえ……私の名前のせいでもあるんです」
「名前のせい?」
なんだっけ? 初めて屋上で会った時に言ってたな?
「私、阿久津真央って言うんです。名前の、つとおを取って、悪魔って呼ばれる様になったんです」
そうだ、そんな話ししてたよな。あんまり覚えて無かったけど。
「えっ……」
コツン、という音が聞こえた。母が、手に持っていたおたまを落としてしまった様だ。
「どうか、されました?」
真央が母に聞いた。確かに、どうかしたのか? って程に手が震えている。
「あなた……阿久津……なの?」
「はい。そうですけど……」
そんな、おたま落として手が震える程珍しい苗字か⁉︎ とも一瞬思ったけど、多分違う。どういう事? 阿久津家と何か、私達は関わりがあるの?




