百三十一頁 犬 拾陸 『夜食』
百三十一頁
犬 拾陸
『夜食』
母との死闘は、深夜一時まで続いた。
「はぁ……流石に疲れたね」
母に問い掛けた。
「私はまだいける」
イッちゃってるのよもう目が! あたしは今日人ん家で火事まで起こして疲れてんのよ。……あっ、そういやあたし、猫宮の家に火つけたんだった……アイツ、今頃どうしてんだろ……あっ、あたしの家に泊まるんだった。そういやお父さんがカレー温めて準備してくれてたな。リビングにはもう、あたしと母の二人しか居ない。
「お腹空いたよ。明日は学校だし、そろそろ寝ないと」
母を嗜めた。
「……そうね。今日はご飯食べて寝ましょう」
分かってくれた。母が食事の準備をしに台所へ立つと、驚きの声を上げた。
「へっ⁉︎」
「どうしたの? お母さん」
母はカレーの鍋の蓋を右手に持ち硬直していた。
「か、カレーが……」
「カレーがどうしたの? って、えっ……」
近付いて見てみると、鍋の中には一人前にも満たないカレーしか残されて無かった。
「あの二人、全部食いやがった……」
残せや⁉︎ 元忍空組一番隊隊長の空助ばりに人の事考えず食いやがったのか⁉︎
「今日、少なめに作ったの? だっていつもは、食べきれない位作るのに」
「少なめなんかとんでも無い。元は三人のつもりで作ってたけど、猫ちゃんが来たから、具はストック無かったから足せなかったけど、水とルー足してかさ増ししてたんだよ」
「それなのに、この有り様って訳?」
「あっ、お父さんからライン届いてたわ。なになに? 二人ともゲームに夢中で聞こえて無い様なのでラインで失礼します。猫ちゃんがウチのカレーをめちゃくちゃ気に入ってくれたみたいで、おかわり、おかわりと求めるものだから、俺もなんか、お母さんの料理が褒められたのが嬉しくて、はいよ、はいよとおかわりを注いでいたら、無くなってしまいました。ごめんなさい……」
「無くなってしまいましたごめんなさいじゃねぇだろ⁉︎ あたしもう……お母さんのカレーの口になってたのに……」
お母さん震えてる。明日、あの二人にマジギレしてやろうね?
「……嬉しいし」
喜んでたァァァァァァッ‼︎ まぁそうか。なんならあたしもお母さんの料理を美味しいって食べてくれたの、嬉しかったりもした。ってかアイツ! 手羽元カレーなんか認めないみたいな事言ってた癖に、なんなんだよ‼︎
「どうするの? お腹空いたよ……」
母に問い掛けた。
「琴子さっき、お母さんのカレーの口になってるって言ってたわよね?」
「うん。でも、お母さんのカレーはもう……」
無いじゃん? 良いんだよお母さん。今日は二人でストックしてあるカップラーメン食べようよ?
「あなたは優しいから、カップラーメンで良いって、思っているのでしょう?」
エスパーか? やっぱ、母は凄え。
「無理しなくて良いよ? 今からカレー作る時間なんて、無いじゃん」
逆に迷惑だわ。今から作り出したら飯にありつけるの午前三時くらいでしょ?
「大丈夫! 任せなさい!」
えっ? マジで? やめて! 明日朝から学校なんだよ‼︎
「あたし、別にもうカレーじゃ無くて良いから……」
その時、母がカレーの入っていた鍋を火にかけた。えっ? なんで……?
「勿論、一から作り直す事なんてしない。そして、カレーの口になっちゃってる琴子を満足させる一品を完成させてあげる!」
「強がらないでよ! 魔法使いじゃあるまいし、そんな事出来る訳無いじゃない‼︎」
「見てなさい!」
そう言うと母は、コップに水を入れ、鍋肌にこびり付いているカレーだったものに満遍なく回し掛け始めた。その姿を見てあたしは、母が狂ってしまったのだと思った。
「……お母さん……もうやめて? これ以上、見てられないよ……」
そんな薄めに薄めたカレーを、ご飯にかけて食べろと言うのか? 嫌だ、嫌だよ。母は、壊れてしまった。マリオパーティー……あれは本当に麻薬の一種だったんだ。明日の朝あたしは、任天堂にクレームを入れてやる‼︎ ……あたしの、あたしのお母さんを返してって‼︎ 泣きながら訴えてやるんだ‼︎
「へへっ、待ってなさい琴子? もうすぐ、出来上がるからね?」
ヒィィィィィィィィィィィィィィッ‼︎ もうすぐ出来る訳無いじゃん⁉︎ ちょっとは残ってたからカレーっぽい色にはなってるけど、ほぼお湯なんだよそれは‼︎ しかも鍋から離れて何かを取りに行った!
ヤバい。絶対ヤバいよこれ‼︎ ペイン戦でナルトが九尾化してる時、カブトの捜索に向かっていたヤマトの掌に八! って出た時くらいヤバいよ‼︎ 木の葉の里が危ない‼︎
「あっ! ちょっと待ってお母さん!」
「なんだい?」
振り向いてさえくれない⁉︎ でも、お母さんの正気を取り戻す術を見つけたんだ!
あたしは、炊飯器を開けて、母に叫んだ。
「お母さん‼︎ ご飯がもう無い‼︎ あの二人が、食べ尽くしたんだよ! もう、カレーは諦めよう?」
本当は、炊飯器にはまぁまぁ米が残っていた。猫宮アイツ、ルーばっか食いやがったな⁉︎
でもここは、ブラフかまして母を落ち着かせるしか手が無い‼︎
「米? ルーが無い時点で、米が無い事に私が気付かないとでも思っていたの?」
「へっ?」
気付いていたの? ってかブラフだったんだけど。米に頼らない? それじゃあお母さんは、一体何を作ろうとしているの?
「すぐ出来るから、琴子は椅子に座っていなさい」
「……はい」
あたしに出来る事は、もう無い。椅子に座り、涙を堪えながら、壊れた母の作る料理を待った。
「さぁ、召し上がれ」
あたしの目の前に、湯気の立つ丼を置いて母は囁いた。その丼の中を覗くとそれは、うどん。カレーうどんだった。
「えっ?」
「カレーライスにしてあげられなくて、ごめんね? これが私の今出来る、最大限のカレー料理だったの」
カレーうどん、だと?
でも、あんなに薄めたスープでうどんを作ったって、美味しい筈が無い。やっぱり母は、壊れているんだ。
「……いただきます」
取り敢えず、出された料理は、文句など言わず食べよう。
「いただきます」
母の分もあったのか? 気が動転していて気付かなかった。あの鍋の残飯みたいなカレーの量から二人分作っただと? でも母も食べる事によって、その間違いに気付く筈。だって辛いよ……美味しく無かったって、伝えるのは辛い。だからせめて、自分で気付いて欲しい。己の過ちに。
箸でうどんを掴み、恐る恐る口に運んだ。
「んっ……? 何だこれは⁉︎」
あたしは、思わず声に出して叫んだ。
「フフッ」
「立派なカレーじゃないか⁉︎ 水で薄めたとは到底思えない! しかし、ただカレーのルーを、茹でたうどんに絡めただけでは無い‼︎ うどんのスープとしても完成されている……これは、一体……?」
「面白いでしょ? 少しは料理に興味持ってくれた? これはね、リメイクレシピなの」
「リメイクレシピ?」
「余ったカレーを変身させたの。水で薄めて、今回は元が少なかったからカレールーを足したけど、めんつゆとか創味シャンタンとかあれこれ入れて味を整えて、冷凍うどんを入れたのよ? それだけで、立派な料理になるものでしょ?」
「うん!」
美味しい。あたしの口が欲しがっていたカレーの味だし、更にワンランク上の料理に昇華している様に感じた。母は、壊れてなどいなかった。あたしは、母の作ってくれたカレーうどんを黙って貪った。
「ウフッ。そうやって美味しそうに食べてくれちゃったら、お母さんそれだけでお腹いっぱいになっちゃうよ」
美味しくて、あっという間に食べ終えてしまった。
「じゃあ、お母さんのもちょうだいよ!」
冗談を言ってみた。
「駄目! やっぱり私も、お腹空いてるかも?」
その時丁度、母のお腹の虫が鳴った。
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……
「アハハハハハハハハハハハハハッ」
二人で高らかに笑った。
「これ、あたしめっちゃ好きだよ! また作ってね? お母さん」
そう言うとあたしは、スープを全て飲み干そうとした。
「ちょっと待って‼︎」
スープを完飲する事を、何故か母に止められた。
「どうしたの?」
母に尋ねてみた。
「元がカレーなんだから、そこにご飯入れたらもっと美味しいよ?」
「あっ」
確かに‼︎ ……でも、さっき……あたし、ご飯もう無いって嘘吐いた。
「琴子? お母さんに、私に嘘吐いてもバレ無いと思った? 分かるんだよ? 炊飯器にご飯、まだ、残ってるんでしょ?」
嘘でしょ⁉︎ ……あたしの嘘、全部見透かされてたんだ。気付いてたんだ。炊飯器にはまだ、ご飯が残っている事。でも多分、あたしの方が壊れてたんだよ。こんなお母さんを疑ってしまった、あたしの方がおかしくなってしまってたんだ。
「ごめんなさい。お母さん」
「良いのよ琴子? たくさん食べな?」
「うん‼︎」
お母さんはきっと、あたし自身が、嘘を吐いた事に対して深く落ち込んでいる事に気付いた。だから、嘘を咎めなかったんだ。ごめんなさいお母さん。そして、ありがとう。
炊飯器の中の米を残ったスープの中に投入し、口の中へかき込んだ。めちゃくちゃ美味しかった。深夜二時のテンションが、母との忘れられない想い出の一つとなった。
「私の分のご飯も、残しておいてね?」
はっ! そうだった。あたし、炊飯器のご飯空にしちゃう所だったよ! ってかあたしの思考読み過ぎなんだけど⁉︎ マジ、予言者かなんかな訳⁉︎
「釘刺されないと、全部いっちゃう所だったよ……」
「フフッ、そうだと思った」
「なんで、あたしの気持ちが分かるの? 行動が読めるの?」
母は少し眠そうに、頬杖をついて応えた。
「琴子の、お母さんだからだよ」
そっか、そうだよね。エスパーでも、魔法使いでも、予言者でも無い。あたしの大好きなお母さんだから! あたしの事を、一番分かってくれるんだね?




