百十七頁 鷹 参 『教えてください』
百十七頁
鷹 参
『教えてください』
トイレに隠していた英治が出て来た。狭い部屋だから、会話も聞こえていただろう。鈴香から、最低な言葉を引き出すつもりだったけど、当てが外れたな。いや、本当は分かっていた筈なんだ。この女は、嘘なんか吐け無い。その純粋な心のまま言葉を紡ぐ。私とは、備わっているモノが違うって事に、気付いていた。
姿を現した英治が、神妙な面持ちで私達に言った。
「二人共、落ち着いて欲しい……」
誰が言ってんだよ⁉︎ マジ、二人掛かりでボッコボコにしてやろぉか⁉︎
「落ち着いてるよ。英治? 私と鈴香、どっちにするの?」
平常心平常心。苛つくな、鎮まれ……焦っているんだと、気付かれるな。
もう、分かっているけど、諦めるな。分かってても、少しくらいやり様あるでしょ? 表情を変えたり、涙を零してみたり、それだけで結論は変わるかもしれないのに。こういう時に縮こまって、幸せになる為の努力を怠って、そうやって生きていくのか? それを、いつまでも後悔していくのか?
「俺は……」
…………
勿体ぶってんじゃねぇよ‼︎ さっさと言えや‼︎ ……ってか、悩むのかよ。私が妊娠したってなって、鈴香と一時的に関係切った後、すげぇ優しかったじゃん? 毎日一緒に居てくれたし、優しかった。あれは、全部嘘だったの?
「……私、英治が浮気しても、許してあげるよ。その事を、咎め無いって約束する」
はっ?
「お前、何言ってんだよ?」
マジで嫌い……そんなので釣ろうとして来るこの女も、それでホイホイ引っ掛かる様な男も、大嫌い。私は、絶対に嫌だ。そんな結婚、絶対に嫌だ。そんなものが決め手になるくらいなら、この男も高が知れてる。
「……俺は、鈴香と結婚する」
………………
「英治……選んでくれて、ありがとう」
「ごめん……涼子」
「あっ、そ……」
「涼子……?」
鈴香、話し掛けんな…………
「あなたと英治との子供は、ちゃんと私達で育てるから」
アァァァァ?
「はっ、はっ、ハァァァァ? ……ざけんな。マジで言ってんのか? 私の子供を、取り上げるのかお前等?」
「違う! だって……負担には、なると思うよ? その子の将来が心配で私は……」
「舐めんな……嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌いなんだよテメェら‼︎ 何で嫌いなテメェらに、腹痛めて産んだ我が子を預けなきゃいけない⁉︎ 苛つくんだよ。出てけよ‼︎」
「俺も、その方が良いと思う……君一人で育てて行くのは骨が折れるだろう? 俺達に、任せなよ」
んだよそれッ⁉︎ 昨日まで、私の事だけ見ててくれた癖に……英治? お前もただ流されてるだけなんだろ? 自分の意志、そこにあんのか? こんな事……こんな地獄、あんまりだよ。
「……………………」
私は、言葉を失っていた。
「……英治、行こう?」
鈴香は、きっと分かっていた。選ばれなかった者に、これ以上、何の言葉も届かない事に気付いていた。
「……あぁ。涼子、さよなら」
なんとか抑えたけど、近くにあったワインの空き瓶で、その頭をカチ割ってやろうかと思った。でも、別に抑え無くても良かったかな? だって、イライラする。イライラするイライラするイライラするイライラするイライラするイライラする。イライラすんだよ‼︎
一人きりの部屋で、ただ、ただただ蹲ってた。電話が、掛かって来た。相手は、鈴香だった。私は、その電話を取った。
「…………」
「涼子?」
「死ねばいいのに」
「えっ?」
「お前ら、死ねば良いのに‼︎ はっ、アハハッ」
どうでもいい。人生もう終わり。だって、つまんないんだもん。私、何に期待して生きて行けば良いの?
「ねぇ? 涼子? 約束して欲しいの」
「アッ? 何を?」
「産まれて来る子供を、幸せにしてあげる事を、約束して欲しいの。それが出来ないのなら、その子を、私に預けて」
「なに下に見てんの? 苛つくなぁ⁉︎ 聖人でも気取ってんのかテメェ⁉︎ 私が、幸せに出来ないって決め付けてんだろぉが⁉︎」
「今のあなたにそれが出来ないって、誰が見ても思うよ‼︎」
「大丈夫。私、出来るよ? ってか、お前達の力なんて絶対に借りない。話しはこれで終わり、じゃあね」
「まだ話しは終わって——」
「私には、もう話す事なんて無い」
そう言って、通話を切った。
暫くは何のやる気も起こらずフワフワしていたのだが、そろそろ、生きて行く為の策を講じなければならない。もしも英治が私が選ばなかった時の事を、私は想定していた。
英治が私に種を蒔いた同時期に、体の関係を持った男が居た。その男は、ゴムを着けてと言ったのにも関わらず、途中で外してその続きを楽しんだ。
私はすぐに気付いたのだが、クライマックスまでは気付かない振りをした。
「ねぇ? 中にだけは絶対出さないでね?」
彼の動きが早くなった時に、念を押した。
「あぁ、あぁぁ、そうだな……」
彼は、言われた通り外に出した。
「……ねぇ? 何でゴム外したの?」
彼を問い詰めた。
「なんていうか……俺のモノを刻み付けたくて……」
「……」
マジでキモいと思った。でも、そのすぐ後に、英治に乱暴にされた。もしかしてって、思った。妊娠していたとしたら、英治が責任を取ってくれないのなら、この男に頼るしかないと思った。
だから、連絡だけは一ヶ月前までは続けていた。でも英治が、急に私だけの事を見てくれる様になって、未来の事を、幸せな家庭を築ける未来の事を、想像してしまったんだ。
あり得ないって思ってた。子供が出来たって言っても、変わらない人だと思ってた。でも違った。英治は、鈴香と会う事を止めて、私とだけ居てくれる様になった。嬉しかった。このまま、彼との子供を産んで、幸せに過ごしていけるんじゃないかと思っていた。
違った。マジ、悪魔かよ? 鈴香からメールで、私も、妊娠してたみたい、って送られて来た。
嫌い。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。
私の幸せを邪魔するなよ‼︎ そして、奪われた‼︎ もう嫌だ……楽になりたい。
英治が駄目だった時の為の阿久津尚也に、一ヶ月振りに連絡した。
「子供が、あの時の子供が、出来ていたみたい」
阿久津は、何と言うのだろう?
「お、俺の子供⁉︎ お、俺と、涼子の子供? やった。やったやったァァッ! 俺達はこれで、夫婦だ!」
馬鹿かよ? 自分じゃ無い可能性を考えられ無いの? 子供が出来たから、当たり前の様に夫婦になると決め付けている神経も苛ついた。本来お前が蒔いた種だったとしたなら、お前の親まで巻き込んで、全財産毟り取ってやる所だよ。
でも阿久津は、私と、産まれて来る子供を養って行く駒でしか無い。このお腹の子供は、確実に英治との子だ。母親の勘ってやつなのかな? ってか、そう思い込みたいだけなのかもしれないけど……色々考え過ぎてもしょうがない。阿久津には、私の子供を幸せにしてもらう責務がある。それに励んで貰えば良い。
私の現状は、八万の家賃に対して、友達の紹介で取り敢えず入った事務の仕事の給料が十六万。産休など貰える立場でも無いから、お腹が大きくなれば仕事も出来ない。保証も無い。実家からの支援は望め無い。子供を産めば、金は山程掛かる。私は、生きていけない。
誰かに頼るしか無い。でも、鈴香に頼るのだけはどうしても嫌だったんだ。
久しぶりに阿久津に会った。コイツは、私に心酔しているから話しを進めやすいだろう。
「久しぶりだなぁ? 涼子?」
「うん。そうだね」
「……なぁ? 何で三ヶ月も、俺に会ってくれなかったんだ?」
面倒くさ。その理由が分かって無い時点で終わってる。
「私……あなたの事好きだったけど、あの時、急に……ゴム外されて、怖くなってしまったの。私の想像してた、優しい人じゃ無かったんじゃないかって思って、怖くなってしまったの……でも、お腹に、あなたの赤ちゃんが居る事に気付いて、やっぱり、好きだし、歩み寄ろうと思ったの……」
言い訳苦しいか? でも、ずっと付き合ってるていの連絡はして来た。
「別に、責めたかった訳じゃ無いんだ! ただ、俺も不安でさ? 他の男と、会ってたりするんじゃ無いかって……」
いくら馬鹿でも、その程度の推察には辿り着くものなんだな?
「そんな筈、無いでしょ? 私、あなたの事思って、不安な時に顔合わせるの良くないと思って距離置いたの。どうしたら、良かったのかな? 私、どうすれば尚也に、もっと好きになってもらえたのかな?」
私は、男と一緒に居る時、英治以外の男の前で、自分の本性を曝け出せない。繕った自分を演じ続けている。こう言われたら、こう言えば喜んでくれるだろうって応えを返している。
「……ごめん。俺が、考え過ぎていただけだった」
「……うん」
近寄って来た尚也に、抱き締められた。ヘソから身体中に、寒気が迸っていく。
そっか、私、この人の事嫌いなんだ。でも、我慢しなきゃ。もっと嫌いな、鈴香達の加護なんて受けたく無い。でも、でもね? それじゃあ私、何の為に生きて行くの? 好きでも無い相手と結婚して、子供の為だけに生きて、誰が……ねぇ、誰が私を幸せにしてくれるの? 愛してくれるの?
愛ってなんですか?
教えて下さい。私にも、愛を教えてください。




