百十六頁 栗鼠 肆 『覚悟』
百十六頁
栗鼠 肆
『覚悟』
「涼子、妊娠……しているらしい……」
……嘘だ。そんなの嘘だ。
「本当に……英治の子なの?」
「涼子に、本当に俺の子なのか聞けって事か? そんな事、聞ける訳無いだろ。涼子が俺の子だって言うのなら、俺の子だよ」
でも、浮気してたらしいじゃん? 他の男とも○ッてたらしいじゃん? ……私は、あなた以外と、そんな関係持った事無いのに。
「それ、嘘なんじゃないの? 妊娠したって。だって、一回だけだよね? それで、妊娠したって、騙されてるんじゃ無いのあなた?」
「そんな嘘、あと九ヶ月、いや、二、三ヶ月すればお腹の大きさでバレる事だろ? 俺は、わざわざ問い詰める事なんて出来ない。本当だとしたら、涼子は今、とてもデリケートな時期だと思うから」
なにそれ? らしく無いよ。そういうの、面倒臭がる人だと思ってた。慮ってあげるんだ? そして、その話しが本当で、彼女が赤ちゃんを産んだら……今まで一途にあなただけを見て尽くして来た私を、捨てるんだ?
「ねぇ? もっと私にもして? 私の事も、孕ませてよ?」
「そんな事出来るか‼︎ 命を、何だと思っているんだ? 涼子との諍いの為だけに、命を犠牲にするのか?」
……私は、とても醜い。でも、あなただって、私と同じ様に、醜い大人なんだよ。
「犠牲になんかしない。堕ろす事なんか考えて無いから。あなたが始めた事でしょ? 涼子に浮気相手が居るって知って、苛ついて○出ししたんでしょ?」
「苛ついてた訳じゃ、無いよ……俺は、ただ……」
「ただ、なに?」
「………………」
「答えないんだ? 認めたく無いだけじゃん? 他の男が居るって知って、苛ついたんだよ。それを、最低なやり口で報復したかったんだろ⁉︎」
「一時の……気の迷いだったんだ……」
私は、英治の頬を思い切り平手打ちした。
「その気の迷いで、産まれて来る子は地獄に堕ちるかもしれないんだよ⁉︎」
その言葉は、ブーメランの様に自分にも返って来た。彼の返事も待たず、私は叫んだ。
「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ‼︎ 私……何、自分が正しいみたいに喋ってんだよ⁉︎ 私は‼︎ ……英治にゴムを着けないでって言った……もし、私が子供を孕んでいたら、私、本当に責任持って育てられるの……? そんな覚悟……無い……さっきだって、もっと、孕むまで○でしてって言った……私、私さぁ? 本当は、悪い人間なんだ……だってそうじゃん⁉︎ 私が身を引けば、涼子と英治は結ばれて、幸せな家庭を築く為の第一歩を歩める。それを、どうしても許せない訳じゃん⁉︎ 私、どうしても優しくなれない……好きだから、諦めたく無くて、優しくなんかなれ無いんだよ‼︎」
「…………」
「なんで……何も言ってくれないの?」
「こんな事になると、思って無くて……」
「ガキかよ……いや、猿だよあなた……ヒトならもっと慎重に考えられる筈だよ。もういい。分かった。私……あなたと別れる」
「えっ?」
「えっ? じゃ無いでしょ? 涼子の事、嘘だったなら、連絡して……」
「お、俺は……」
「あなたの気持ちなんか関係無い。産まれてくる子供の為だけに、あなたは生きて?」
英治に別れを告げてから二ヶ月程経った。その間、生理が来なかった。
なんで? 英治とゴムを付けずに事を終えた後、半月程経った頃、妊娠しているかの簡易的なチェックをした。結果は、陰性だった。なのに、生理が三ヶ月も来てない。お腹が、少し膨れて来た様な気がする。
本当はもう、気付いていた。始めに検査した時の陰性は、間違っていた事に。後々ネットで調べてみると、妊娠して期間が短いと、検査キットで陰性になる事があるらしかった。
私も、英治の子を身籠っていた。
それが確信に変わった時、揺るがない覚悟を手にした様な感覚になった。英治とか、涼子とか関係無い。このお腹に居る、我が子を幸せにしたいと願ったんだ。
「私も、妊娠してたみたい」
メールをした。
「久しぶりだね? 会って、話しをしようか?」
メールで、家に招かれた。そのマンションまで着き、オートロックを開けてもらい、302号室まで足を運んだ。私の足は、震えていた。それでも、怖かったけど、インターフォンを鳴らした。ドアが開き、彼女と一年振りの邂逅を果たした。
「いらっしゃい、鈴香」
「お邪魔します、涼子」
私は、最優先に彼女に連絡をしたのだった。英治では無く、涼子に。
涼子の家は、ザ、一人暮らし的な間取り。風呂トイレは別だけど、六畳程の生活スペースがある程度の部屋だった。
「引っ越すの?」
背中を向けている彼女に聞いてみた。
「そんなお金、無いよ」
「ここで、この部屋で、子供を育てていくつもりなの?」
「……なんなの? 何が言いたいの?」
「だって、部屋が一つって、どうするのかなと思って。この部屋で川の字に寝るつもりなの? マジ、単純な疑問なんだけど、狭くない?」
「……狭いよ」
「狭いよね? ここで子供育てて行くなんて無理だよね? 可哀想だよ、産まれて来る子供が」
「私はここで、狭いけど、旦那と、子供の三人で、幸せに暮らすんだ」
「……良く無いと思う。そんな事……私、実家が千葉なの。涼子あなた、地元九州でしょう? 私は実家の加護を受けて、広い家で伸び伸び育てるの。あなたに出来る? 我が子を、幸せにする事。絶対にいつか、行き詰まると思うよ」
「何がしたいんだよお前?」
「私が、あなたから産まれてくる子供も預かる。私の子供と一緒に、大切に育ててあげる」
「アッ⁉︎ ……マジ、ぶっ飛んでんなお前?」
「そうでもしないと、涼子には勝てない。あなたは、納得しないと思ったから」
「それで私が、納得すると思ったって事かよ⁉︎」
「だってあなた、子供好きなの? ちゃんと、育てて行けるの? 私ね? 涼子の事、好きだよ。今まで生きてきて、ここまで心の底から憎んで、妬んで、張り合って。それでも、気になって……心配して、ずっと心の中心に涼子が居て‼︎ だから、大好き……あなたから産まれた子供も、我が子と同じ様に愛せるの‼︎ お願い。私の言う事を、聞いて?」
「……正気かよテメェ? 私は、お前の事なんか大嫌いだよ。英治と一緒に居ても、虚しくて、寂しくて、悔しくて。鈴香? お前が私の心の真ん中に居るのが耐えられ無かったんだよ‼︎」
「英治は、私が貰うから」
「自分の意見すら言えねぇ弱虫だった癖に、一丁前な事言うじゃん?」
「私……今でも弱虫だし、意気地無しだって分かってる。でも、今回ばかりは、どうしても譲れないんだよ!」
「本当……なんなんだよお前? 身を引いたと思ったらいきなり出しゃばりやがって。お前のお腹の子、本当に英治の子なのか?」
「ハァッ⁉︎ あなたに言われたく無い‼︎ 私は、英治以外の男と寝た事なんて無い! 涼子こそ! 本当に英治の子なの⁉︎ あなた、色んな男と寝てたんでしょ⁉︎ 本当は、誰の子か分かって無いから可能性のある奴全員脅して、金毟り取ろうとしてるだけなんじゃないの⁉︎」
涼子が、私の左頬を思い切り張った。
「ざけんなよ⁉︎ 私を、そんな人間だと思ってたのかよテメェ⁉︎」
私も、同じ様に涼子の左頬をひっぱたいた。涼子は、きっと避けられた筈なのに、私の平手打ちを頬に受け止めた。
「思ってる訳、無いだろ‼︎ だから……だからその口から聞きたかったんだよ‼︎ それなら、ちゃんと信じられるから‼︎」
互いの襟首を掴み合って、目を合わせ、睨み付け、言いたい言葉を言い合った。
「いつもいつも‼︎ お前には! ずっとイライラさせられて来てんだよ⁉︎」
「私だって‼︎ 涼子はすぐ英治と喧嘩して‼︎ ただでさえ半分こなのに、喧嘩してたら時間が勿体無いだろぉが⁉︎」
「それで鈴香が仲直りしなよって言ったからって理由で謝られるのが癪に障んだよ‼︎ 何あんなクズと上手くやってんだテメェ‼︎ 喧嘩しろや⁉︎」
「私‼︎ 喧嘩嫌いなんだもん‼︎ でも、涼子とだったら、ちゃんと喧嘩出来る‼︎」
「舐めてんのかよ‼︎」
「違う‼︎ 分かってる筈でしょ? あなたが、涼子が、好きなんだよ……」
「ハァッ⁉︎」
「私、思ってもみなかった。誰かと、こんなに本気で言い合う事なんて、何十年生きてたって無いと思ってた。涼子とだから、素直になれた。大声で、自分の気持ち言えた。初めて、本気で人と向き合った……だから、だから……」
「だから何だよ‼︎」
「だから私……涼子の事……本当は、大好きなんだよ……」
「……女に、女の武器使うなよ?」
私は、鼻水を垂らしながら泣いていた。でも、その涙を止める事は出来なかった。
ずっと泣いている私に痺れを切らし、涼子が声を掛けた。
「はぁ……英治?」
その声を聞いて、英治がトイレから出て来た。私達の話し合いが終わるまで、ずっとそこに居る様に言われていたのか? 本当、格好悪い人だな。




