世界一優しい殺し屋
ひっく、ひっくと泣くとき特有のしゃっくりが部屋に響いた。家具も何もないガラリとした小さな部屋には男が二人いた。一人は先ほどからずっと泣きじゃくり、もう一人はあきれた様子で泣いている男を見ている。
ちなみに泣いている男はかれこれ30分は泣いていた。
「いい加減そろそろ泣き止んでくれねーかな、話すすまねえから」
やれやれ、といった様子で言えば泣いている男はさらにブワっと涙があふれる。それを見て、ああ選択肢を間違えたかと後悔した。これはあと30分は泣いているかもしれない。
「だ……だっで……お、俺のせいで……」
ずずっと鼻をすすったのでティッシュを放り投げてやればキャッチして鼻をかむ。どうせポケットティッシュだけでは足りないだろう。箱ティッシュを買っておけばよかったと後悔した。いやむしろトイレットペーパーだろうか、かんだあとトイレに流せるし、と泣いている男を見ながらそんなことを真剣に考える。
「俺が、殺したから……」
泣いている男の目の前には死体が転がっている。体がおかしな方向に曲がっており、内臓はぐちゃぐちゃだろう。舌がだらりと口から放り出ていてなんともひどい死にざまだ。
きっと、今日までは普通に生きていた。幸せな「生」だったのかはわからない、もしかしたら嫌なこととかもあったのかもしれない。だからと言って死んでいいことにはならない。
男が、殺した。
う、う、といまだ泣き続ける男。いつもこうだ。
「あのなあ、いつも言ってるけどお前殺し屋なんだから殺すことに慣れろよ」
「慣れない!」
そこだけははっきりと否定する。ダバダバと泣きながら、それでも絶対この考えは譲らないと言わんばかりに睨みつけてきた。目が真っ赤で鼻水をたらしながら睨まれてもまったく効果はないのだが。
「死ぬ身になってみろ!」
「なりたくねーよ」
「言葉のアヤだよ! 殺される立場からしたら酷いじゃないか、それまで普通に生きてたのに! 死ぬ理由なんか知らされず、いきなりだぞ!」
「お前のせいでな」
「うううううううううううう」
むいてねえなあ、ほんと。心の中でそう思ったが口には出さなかった。これ以上面倒なことになってほしくない、次の仕事だってあるのだから。
「とりあえずな、そいつ処理したら」
「処理っていうなあ!」
「あーはいはい。埋葬しようや、な。そんな姿いつまでもさらしてるわけにもいかんだろ」
言われて泣いている男は死体を見る。見れば見るほど哀れな姿だ。もとはきれいだっただろうに、血と泥で汚れていて見る影もない。薄目が開いていて、まるでこちらを睨んでいるかのようだった。
死んでいるのはまだ子供だ。小さな体を持ち上げると部屋を出て建物の裏に回った。
この建物は廃墟で普段人は近づかない、ただでさえ郊外にあるのだ。その裏がいつもの「埋葬」場所だった。男が殺してしまった命がここに数多く眠っている。墓標の代わりに立てている小さな木の板に名前はない、名前など知らないしつけるわけにもいかない。
「しかしまあ、こうやって見るとすげえ数だな。お前が殺しちゃった奴」
「……」
じわりと涙が浮かんだようだが今度は泣かなかった。辺りにはそれはもう大量の墓標が立っているのだ、その光景は異様ともいえる。何故なら墓標は棒アイスの棒なのだから。
小さな穴を掘り、そこに死体をそっと置いた。一度顔を優しく撫で、ゆっくりと土をかける。
「安らかに眠ってくれ……」
「無茶いうなよ、安らかなわけねーだろ、お前に踏み潰されておいて」
「だってあんなところにいるなんて思わなかったんだよ! うう、ごめんな。お前が全身真っ黒で見えなかったんだ……許してくれ」
そういってぶわっと泣きながら、男は子猫を埋めるのだった。
「だいたいよー、窓から降りて着地地点に子猫いるとか奇跡の確率だろ。どんだけ関係ない動物殺せば気が済むんだお前」
「うええええええ~……」
泣いている男は殺し屋だ。ターゲットを殺して鮮やかに逃走する。そんな中、ワイヤーを使っていたとはいえ2階から一気に降下したところに黒い子猫がいた。子猫がいて。
踏み潰したのだった。
マジかよリアル猫ふんじゃったとか初めて見たわ、と思わず口に出せば殺した本人はそれはもう悲壮な顔をしていた。
この男が仕事の時に動物をうっかり殺した数はかなり多い。今埋葬しているこの場所にアイスの棒が無数に立っているのが証拠だった。犬と猫と烏はトップ3だ。他にもハムスター、インコ、金魚、ザリガニ、カメ、チンチラ、ウサギ、ヘビ、鳩……あと何がいたか。一番驚いたのはフラミンゴをひき殺した時だった。
一つ仕事をすると半々の確率で一匹動物も殺す。しかも殺すつもりなどなく、うっかり巻き込まれることが多い。ターゲットを向かいのビルからスナイパーライフルで狙えばトリガーを引いた瞬間飛んできた鳩が間に入り、車に乗れば何かを轢く。ナイフを投げればなぜかフリスビーか何かと勘違いしたらしい犬がキャッチしようとして脳天に刺さり、料理に毒を仕込めば盗み食いしようとしたペットが一口食べて即死する。
毒の件は仕方ないにしてもナイフ投げして自らナイフに飛び込んでくる犬を見た時はコントかと思った。これ「僕はこうして殺っちゃいました」というタイトルで本でも書けば売れるんじゃないかと思えるほどだ。
「俺の罪は重なるばかりだ」
「そうだな、そろそろ生物学者とかに怒られるレベルだ」
「イリオモテヤマネコの件はもう許してくれよ」
イリオモテヤマネコも犠牲者の一匹である。数が少ないのに。
ぽんぽん、と軽く土をたたいてきれいに埋めると持っていたアイスの棒を立てる。どこかの国の言葉で短く何かをつぶやいた。知らない国の言葉だが、死者に送る言葉らしい。
「で、気が済んだなら次の仕事の話な」
「ああ」
すぅっと泣いていた男から表情が消える。仕事モードの時の顔だ。先ほどまでぐちょぐちょに泣いていた奴と同一人物とは思えない変わりようだった。淡々と次のターゲットの説明と、今後の予定を話すがたまに相槌を打つだけ。聞いていないようで一文字も聞き漏らすことなくすべて頭に叩き込んでいるのだからやはりこの男は殺し屋が向いているのだなと思う。
それに何より。この男が一番殺し屋に向いているなあと思うのが。
「いつも思うんだけどさ。お前、人間殺すことに罪の意識はねえの?」
ごんぎつねを読むと1時間泣き、夏の終わりにセミが地面に落ちて死んでいるだけでも悲痛な顔して埋めてやるような、とても優しい、それこそ世界一優しい殺し屋。
「何でソレに罪の意識持つんだ」
心底不思議そうに言ってくる。
こういうやつだから、殺し屋に向いているのだ。