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夏の始め、恋の香り

作者: こと

事実は小説より奇なり。

よく聞くけれど誰の言葉か思い出せない。


実際、暇さえあれば本を読み漁り、見た目に違わずインドアで人見知りな僕にとっては、


いつも同じで先が読めるドラマより、

どんでん返しのパターンを見切った小説より、


「わあーー月きれい」


__青空に浮かぶ半月を見ながらにこにこと呟く、君のことが一番わからない。





気づいたらそこにいる、なんてそれこそ小説の中でしかありえないと思っていた。桜の花の下で出会った後は薄いつながりしかなかったはずの僕らは、「課題やろ」「ごはん行こうよ」という君の言葉に乗って、大学2年生の今になってもこうして肩を並べて歩いている。いつの間にか、大学の最寄り駅まで二人で歩いて帰るのが日課になってしまった。サークルが同じわけでもないのに本当に不思議なものだ。


もう蝉の声すら聞こえてくる緑色の桜の下、急に立ち止まった君がこちらをくるりと振り返った。あまりに突然だったので、咄嗟に反応できずに君にぶつかりそうになる。


「ね」


僕の目と鼻の先にある形のいい唇が、一音発したあとに三日月形になった。


「今日はあんまり喋らないんだね」


こてん、と首をかしげて言う君。


「いつもそんなに話してないよ」


口下手を自認する僕は、思ったままを音にする。


ええーそうかなー、と口を尖らせた君に、つと手を伸ばす。

そのままさらさらの髪の毛を少しつまむと、君は不思議そうな顔でこちらを見上げる。


「ごめん、なんか触りたくなって」


言い訳をする僕を見た君の顔がこわばった。

ばっ、と音がしそうな勢いで顔を逸らす。

僕はそんなにひどい顔をしてたんだろうか。


「……それは、ずるいよ」


絞りだしたようなか細い声。君は僕の方を見ずにつぶやいた。

何やらもごもごと口の中で言っているかと思ったら、急に僕の袖を掴んで歩き出す。想定外の君の動きに、僕は驚いてつんのめってしまう。


「ね」


僕がようやく歩き方を修正できたころ、君がまた口を開いた。


「月、きれいだね」

「っ、それって」


僕の口から零れ落ちた音は、君の耳には届かなかったらしい。相変わらずこちらを見ずに歩き続ける。


__ああ、もう僕は本当に。


「死んでもいいや」

「物騒なこと言わないでよー」

「君はそういう人だったね」


ある意味予想通りの答えに笑ってしまう。

どういうこと!?と怒っている君の手を掴み、真横に並んで歩調を合わせる。


「もう少し僕の勇気が出るまで待ってて」


君にも聞こえないくらいに小さく呟いて、君の横顔を眺めて歩く。


僕が踏み出しさえすれば、もしかしたらこの読めない友人と友人以上の関係になれるのかもしれない。

そんなことを考えると僕の口角は緩んで仕方なくて。


__でも今は、二人で歩く駅までの短い道のりを目一杯楽しむ。

こんなヘタレな僕でも、受け入れてくれる君の隣がとても心地いい。


前触れなく走り出した君が、笑顔になってこちらを振り返る。背には初夏の青空と太陽を背負って。


きっとこの夏のことは、一生忘れない。

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