プロローグ
プロローグ
休息日、私はあのお方の御姿を見るため、教会へ向かう。無論、小走りで向かう。一瞬でも早くあのお方を目に入れたい。あのお方は平和と繁栄の象徴なのだ。
小さな一戸建ての家程の教会のドアを開くと、数多の人で溢れていた。もしこの教会を透かして写真を撮り、それを集合体恐怖症の人に見せようもなら、発狂するだろう。それ程だ。
「行きたくない」で始まる毎日だが今日は違う。あのお方にお会い出来るのだから。皆そう考えて集まったに違いない。私もその一人だ。いつもはけたたましい音を立てる電車に乗り、車という簑に入ってはクラクションを鳴らし、鳴らされては誰にも聞こえない文句を垂らし、うんともすんとも言わず働く木偶の坊の一人であるが、ここでは違う。一人一人の顔に表情が、感情が浮かび、沈むことなく流動する。個性が一気に開花し、咲き誇る。遠い東の国では「サクラ」という花がある。例えるならそれだ。
人は集まれば集まる程騒がしくなる。良い悪いではない。不可抗力だ。多くの声が、音が、混じって、重なって、大きなノイズとなって反響し、鼓膜を破らんとしてくる。しかしここは違う。皆一心に耳を傾け、あのお方の素晴らしい声を聴く。木製の壁や長椅子、古めかしいシャンデリアでさえも例外ではない。
私の開けたドアの軋む音が鳴り終わった。あのお方の声以外、響くものはなくなった。静謐を掠めるその音の美しさに、私は涙が流れ出そうになる。
陽光がステンドグラスを通り、先頭で座り佇むあのお方に当たる。純白の肌、ブロンドの長い髪、化粧気のない、自然のままの、まるで少女かのような滑らかな造形、表情。神聖という言葉はこのお方の為に創り出されたのだろう。そうに違いない。
あのお方は安息日が訪れる度に集まった信者達に昔話をお話しになる。朝、寝坊した時はあのお方の話を最初から聞けないのか、と絶望していたが、間に合ったようだ。
「おはようございます、皆さん。また皆さんの元気な姿を見られて、私はとても安堵しています。神への祈りを怠らなかったようですね。」はははっ、と笑いが起きる。穏やかな笑みを浮かべ、あのお方は続ける。
「今日はあの時代、600年前の世界....負の時代と皆さんが呼んでいる時代です。」ある者は悲しげに、ある者は怒ったように表情を作り、またある者は聞きたくないとでも言いたげに、顔をしかめた。「しかし、皆さんには知ってもらいたいのです。負の時代においても、命を輝かしく燃やす者がいたことを、慈愛が、情が、友愛があったことを。冷血な時代と一言で言える時代ではないことを。」
そうしてあのお方は語り出す。世界の歴史ではなく、己の辿ってきた、忌まわしくも幸福で、煢然なその道を。
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趣味として暇な時間に投稿してます。
この作品が日の目を見てくれたら....いいなぁ。
最終回まで、もうプロットは作ってあるので、あとは書くだけ!
どうぞよろしくお願いいたします。