「ヤマハオンリーのバイク地獄」
世界のバイク事情が今よりも夢のようだった世紀末のあの頃、皆さんは何をして居ましたか?作者は今は絶滅した、こんな事に近い仕事をしていました。勿論小説の内容はフィクションですが。
【……1999年。世間があれこれ言ってはいたが、誰だって世界が滅ぶ訳無い事位判っていたあの頃……今より、バイクが当たり前のように道を走っていた】
……俺は慣れない後部座席に収まりながら、手荷物を抱えたまま黙って流れる車窓を眺めていた。隣に座る女社長の外面は確かに目を惹くが、中身の腹黒加減を考えたら疚しい妄想の欠片も浮かびやしない。そして、車内燈を点けながら突き出されるバインダーに挟まれた書類に記載された内容を見たその時、俺は取引相手が契約を盾に、俺の身柄を確保する悪の輩としか思えなくなった。
「……はい、これが同意書、こっちは借用書ね。ここに……名前。あと、拇印……って、何で私を見る?」冷たい言葉で素っ気なく指差しながら、社長が紙っ切れを差し出す。腹いせに豊満な胸元をチラ見してやると気付いてないのか、不機嫌そうに言われてしまう。
……到着したそこからは、夜闇に浮かぶ富士山が良く見えたが、俺は景色を眺めている余裕など全く無かった。手にした荷物を持って車外に出て、中から愛用の品々を取り出して装着する。
補強入りの革ジャンに黒く丈の短いブーツ。ジェットヘル(深いバイザー付きのオープンヘルメット)を被り、手首のベルクロを締めて真新しいグローブを手に馴染ませる。
【……俺は確かに願ったよ。全部チャラになったらいいな、って……】
「……じゃ、これがキー。……あと、そのリュックの中身は見たらダメ。……理由?……知らなくていいわよ」手渡されたリュックの軽さに戸惑うが、それなりにフィットしそうな形だったので細かいことは言わずに受け取った。もしこれが最近流行りのメッセンジャーバッグだったら即座に突き返したが。
【……だからって、これは……】
……ドッ、ドッ、ドドッ、ドッ、ドッ、ドッ……不規則に吸排気を繰り返しながら脈動するエンジン、節くれた排気管……と、無機質な光沢を放つIHI製ターボユニット……。
【……余りにも……無茶苦茶過ぎる……】
「それじゃ、安全運転でね。あ、くれぐれも……、」社長の小言を聞き流しながら、運搬用のユニックから降ろされ、全ての思考を停止させる有り得ない改造を施された哀れな相方と対面する。これからの数時間を共にする、運命共同体、もしくは……俺が人生最期に乗ることになるかもしれない、最凶最悪のバイク。
【……違法無法無謀無情……全部有りやがるぞ……】
「……間違っても警備員に見つからないように、気を付けてね」……でも、何でだろう……心拍数が跳ね上がるのは、緊張感や慣れないダートを走るから、だけじゃない。カタログ数値上は最高出力145馬力(当時)に到る北米仕様の……鉄の塊が街灯の無い荒野にポツンと寂しげに佇む姿は、余りにも場違いであり、しかし……強烈に美しかった。
【……先方から出来るだけ早く到着する、その為だけに……】
「……見つかって、万が一射たれても責任とれないから」冗談とは程遠い、真実に限り無く近い物騒なことを口にする彼女だったが、
【……富士山の麓の樹海、それと深夜の富士演習場を突っ切って走り抜けるとか……】
「……じゃ、百万円分のお仕事、頑張ってね♪」最後の言葉だけは満面の笑顔に守銭奴の面構えを添えながら、傍らに停めた高級外車に乗り込んで走り去る。
……見送るつもりはないようだけど……、
「んなこと出来る訳ねぇだろおおおおおおぉ~~~ッ!?」
……でも、俺の右手は勝手にブレーキを離し、左手は半クラッチ、同時にアクセルを開けて暴力的な加速力を引き出す。大出力を伝播させたホイールが特製品のブロックタイヤを空転させ悪路を掻き毟り、後方に盛大な泥を吹き飛ばす。
……理想的な後輪荷重?ホイールスピンさせずに緩やかに加速?んなこと出来る訳ねぇ!!VMAXのダート仕様なんて狂気の産物にそんな高尚な芸当を期待する奴はアホなんだよ!!おまけに常時フルブースト仕様(本来は6500回転で作動させる仕組みの、対面したキャブレターを連動させるシステムをキャンセルし常時二連結を維持させる仕様)でポン付けターボまで……本気で殺す気か!?
だがそんな躊躇も一瞬だけで、本能のままに廻したアクセルに応じて、爆発的な勢いで直進したかと思った瞬間、この仕様特有の症状なのか左に盛大に膨らみながらあっという間に道から外れそうになり、カウンターを当て続けたまま斜めになって直進せざる得ないとか、違うだろっ!?真っ直ぐ走れっ!!真っ直ぐ!!
全体重をバランス維持に費やしながら、やっと三速に入れられたかと思ったその時、視界に立看板を見つけて反射的に読むが、
《この先演習場・許可無き者は立ち入るべからず》
……読みたくねぇっ!!知るかそんなこと!!例え防弾チョッキとケブラーヘルメット被って走ったとしても股下の真っ黒な悪女は、そんなこと気にもしねぇで全力で俺を殺しにかかってんだっての!!
漆黒の草原のど真ん中を、増設した三つのヘッドライトが強烈に切り裂きながら先を照らすけど……気休めにもならない。視界の立ち木が高速道路のガードレール並みに流れて飛び去るけれど、小さな丘を越える所をジャンプしそうにならないよう、車体をリヤブレーキだけで制御しながら宥めすかして走り続けるしかない。
やがて草原から樹海の真ん中に入り、強烈な爆音と猛烈な風圧に身を捩りながらついメーターに目が行くが……悪趣味な改造を施されたそこには……、
【000093↑】……【000092↑】……【000091↗】
無機質な数字と、これまた無機質な矢印しか表示されてない!!
絶対おかしいから!!方向と距離しか表示されないって絶対におかしいから!!
……と、心の中で騒いでみたが、良く見るともう一つ表示があった。
【00:53】……【00:52】……【00:51】……
残り時間かよ!!東京まであと一時間切れってのかよ!?そりゃ確かに瞬間的な加速力はほぼ世界一みたいな市販バイクの一つだよ?VMAXは!!でもだからってターボ付けてブロックタイヤとロングサスペンション付ければ悪路も楽々走れます♪……んな訳ねぇっての!!バカなの?これ作った奴はバカだよね!?
カーブに恐怖を覚えてブレーキを握ると、前後輪を派手にロックさせて立ち木に向かって真横を向きながらスリップし、そのまま突進していく……でも、恐怖を噛み殺しながらゆっくりとアクセルを開け、タイミングを合わせてクラッチと連動させて全開にし、同時に立ち上がり一気にしゃがみ込み後輪に荷重を掛けて一か八かの賭けに出る……その結果……、
……高々と前輪を振り上げながら後輪のみでバランスを取り、ギリギリで道を外れずに走り切り、道の真ん中に復帰する……そんな繰り返しをし続け、両腕が痺れて麻痺してきたその時……突然、舗装路に飛び出した!!
……このバイク、ブロックタイヤなんだぞおおおぉ~~~ッ!!!
角の取れたタイヤが久々のアスファルトを捉えた瞬間、予想を遥かに越えた加速感が押し寄せ車体から身体を引き剥がす!!風圧が容赦なく身体を叩き肩を持ち上げ腹に無色透明のボディブローを捻り込み、慌ててダミータンクに胸を押し付けて少しでも空気抵抗を無くそうと無駄な努力を繰り返すが、しかし……右手は何かに取り憑かれたように戻すことを拒み、左足はギアを掻き上げる。
……何でかって?…………決まってるだろ?そんなこと。
……こんなバカみたいな速さ、味わったら止められないッ!!ターボ付1200ccV4エンジンなんて、一生に一度でも体感したら廃人になるに決まってるっての!!
加速感に酔いつつ一般国道を疾走していると、視界の隅にお飾り程度で鎮座しているバックミラーの奥に、チカッと赤色燈が瞬いたのを確認し、頭の中のモードが切り替わる。
遥か前方の信号がゆっくりと黄色から赤に変わるのを見つめながら、反射的に左右を睨むと、右側方からタクシーが交差点に進入してくるのが見えた。
無意識に戻しかけたアクセルを全開にし、ターボで過吸された濃厚な空気を無理矢理にキャブレターに送り込む。常時全開のVブーストシステムが中継ぎしターボ付きエンジンに高音を上げながら混合気を叩き込み、エンジンは市販車の範疇を遥かに上回る狂気じみた馬力を発生させながらシャフトドライブを介しリアタイアへと伝達、その結果、トップギアにも関わらず路面に黒いスリップ痕を残しながら、鼻に付く焦げたゴムの臭いを残してながら走り去る。
……俺、無免許なんだよな……捕まったら、どうなるんだ?
「……クソッ!!何なんだよ、あのマックス……バイパス一つ越しただけで視界から消えやがった!……坂道なのに何キロ出してんだよ……」
覆面パトカーの車内で制服にヘルメット姿の高速機動隊員が、苦々しく吐き捨てながら追跡を断念する。
「お前、知らないのか?……最近出没してる真っ黒なバイクに乗ったバカのこと……」
「はぁ?なんだそりゃ……あんな頭のイカれたマックスなんて初めて見たぞ?」
助手席に座っていたもう一人の機動隊員は、身体をシートに埋めながら呟くように言い、運転中の同僚に説明する。
「……いや、車種も排気量も違うけど、ただ共通してるのは乗ってる奴は黒ずくめ、乗ってるバイクも真っ黒で、しかも全て【ヤマハ】のバイクだって噂らしい……」
「ヤマハの?じゃあ、あのマックス以外にも……かよ?」
……そう言うことらしいさ……追っ掛けるだけ無駄だから、次の交差点で戻るしかないさ。そう独り言のように告げると、赤色燈のスイッチを切りながら助手席の隊員は、欠伸をしながら顔を擦った。
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「いやぁ~!本当に間に合うなんて夢かと思いましたよ!!新幹線が最終出ていたから、ハンドキャリー便(手荷物を持って交通機関を利用して配達する職業)を手配しても始発使って間に合わない、って聞いた時は目の前が真っ暗になりましたから!!」
自分と大して変わらない歳のスーツ姿の男が、有名企業の自社ビル地下で俺から荷物を手渡されながら中身を確認し、興奮しながら書類にサインを書き込んでいた。
「……それにしても、東名高速を走っても間に合う筈無いけれど……ヘリコプターか何か使ったんですか?」
「あはは……それだったら楽なんですけどね……それじゃ、有り難う御座いました……」
中身が何だろうと知らないし……それが億、いやそれ以上の価値や商談に使われるとしても、俺には関係ない。
ただ、寝不足と長時間の緊張感、そして強烈な風圧と加減速の繰り返しによって痺れた全身を解しながら、俺はゆっくりと歩き会釈しながら警備室前を通過し、停車しているバイクに近付く。
前後のタイヤの周辺には草や小枝が絡まり、下回りと言わず至る所に泥や埃が付着した不審な乗り物と化したVMAXに跨がると、ゆっくりと発進させながら地上へと出る。
明け方近いオフィス街を走り抜けながら、公衆電話の有るコンビニを見つけてバイクを路肩に停めて降車し、配達終了の一報を入れた後、用足しついでに缶コーヒーを買って店を出て、ガードレールに腰掛けながらタバコに火を着けた。
「……うわぁ……何だかスゴいバイクですね……」
背後から声を掛けられて振り向くと、コンビニの店員らしき女性がホウキとチリトリを持ちながら話し掛けて来る。スゴいバイクじゃないさ、酷いバイクだよ……乗り手に優しくない、最低の悪女だ。
「……仕事の為に借りてるバイクでね、これから帰って寝るとこだよ……」
「仕事!?……もしかして、バイク便か何かなんですか?」
「うーん、バイク便……かなぁ、一応……」
そんなやり取りをしていると、ポケットベルが震え出し、呼び出しの電子音が鳴り響く。
「あ!お仕事の報せですか?……安全運転で頑張ってくださいね♪」
社長とは全然違う、真心溢れる素敵な笑顔に、思わず泣きそうになりながら、何とか堪えて短くお礼を言ってから、公衆電話に向かって歩き出す。
……まぁ、結局……手ぶらで帰らせる程、慈悲深い社長だったら……良かったけど。
【悪い悪い!!仕事終わったばっかで済まないけど、そっから近い○○商社から空港まで手荷物配送入ったから、今すぐ向かってくんない?シアトル行きがあと30分で飛び立つのに、会長サンが……】
俺はやれやれと思いながら、詳細な住所と電話番号をメモしつつ、地図を見る為にコンビニの中へと消えていった。
……さっきの店員さんに愚痴りながら、マッポー東京版を捲って調べながら、朝飯はどうしようか悩みながら……、
店の外に佇む魔性の鉄塊と、今暫く付き合う為に、ガソリンスタンドへと走り出す準備を始めた。
……因みに作者は当時、西多摩地区でバイク便をしていました。今はその会社の部門自体が消滅、都内に撤退してしまったそうです。