最強の戦士
レイジが大半のキメラの相手をしている間、テルシャ族の戦士たちは集落に踏み込んだ夜盗たちと戦っていた。テルシャ族の戦士に有利かと思われた人間同士の戦闘は意外にも拮抗している。本来ならばテルシャ族の戦士がただの夜盗相手に後れを取るなどありえないことだ。しかし実際に状況はあまりいい状態とは言えない。
ゾイは口元に付いた返り血を拭う。
「どうした。かかって来ないのか」
涼しげにそういうゾイに夜盗たちが後ずさる。ゾイの足元にはすでに息をしていない死体がいくつも転がっている。ゾイは持っていた短剣についていた血を払い落とすとゆっくり夜盗たちに近付いていく。
ゾイが1歩進めば夜盗たちが1歩下がる。夜盗たちの目に映るゾイはまさに怪物そのもの。1人で何人もの夜盗を倒し、返り血を浴びながらも未だかすり傷1つない。
「何を恐れている。ここに来たということは当然私と戦う覚悟はできているのだろう?」
カチカチと小刻みに誰かの歯が鳴る音がした。恐怖のあまりに震えているのだ。
「元同胞のよしみだ。一瞬で冥界に送ってやる」
夜盗たちは背を向けて逃げ出すが怪物がそれを許すはずがない。1人、また1人と地面に伏せる。叫び声すらまともに上げられず、文字通りの瞬殺だった。30秒もしないうちにその場にいた夜盗が全員地面を赤く染めて動かなくなった。ゾイは倒れた夜盗たちを見下ろしながらまた自分を濡らした返り血を拭う。
(人間は少ないようだがバケモノの方が無限に湧いてくるな)
そう思っているそばから入口からまた新たに数体の異形のキメラたちが姿を現す。ゾイは手に付いた血を適当に拭いナイフを握り直すがキメラたちはまるでゾイのことなど見えていないように、呼び寄せられているかのようにどこかへ行ってしまう。
(まるで相手にされていない、か。ならば)
ゾイはキメラの1体に向かって走り出しその頭に向かって膝蹴りを食らわせると首にナイフを深々と突き立てた。その様子はまるで獲物に食らいつく獰猛な肉食獣のようだった。獲物の首に食らいつき喉をかき切り息の根を確実に止める獰猛で貪欲な獣。人という獣が人によって生み出された獣を食い殺す瞬間だった。仲間を殺されたからか数体のキメラたちがゾイの方を見る。ゾイはキメラの首を切り裂きながらナイフを引き抜く。その体はやはり血まみれでまた口元に付いた血を拭った。
人とキメラではキメラの方に分がある。しかし今のこの状況にその常識は通用するのだろうか。人は無残にも食い殺されてしまうのだろうか。その疑問の答えはすぐに出た。最初に流れた血はキメラのものだった。どこにでも落ちているような1本の枝が深々と目に突き刺さりキメラが苦しみ悶えていた。刺したのは当然ゾイである。ゾイは片目の潰れたキメラを無視して他のキメラに斬りかかる。
キメラの体に次々と赤黒い線が刻まれていく。ゾイは魔法も特殊な技も使っていない。彼女の人間としての生まれながらの能力だけで戦っている。敵を切り裂き、刺し殺し、その頭蓋を踏み砕いてまた新たな敵へと斬りかかる。そうして一通り戦い抜いたころには辺りは死屍累々、血の海が出来上がっていた。
そしてその海の中心にゾイは立っていた。さすがに息は切れていたし、無傷ではいられなかった。しかしかすり傷のような軽傷であり出血はすでに止まっている。また体中が血まみれだった。拭ったはずのところには新たな温かな血が付いていたがその温かさもすでに冷めてしまっていた。ゾイは口元の血を手で拭うが手にも血が付いていてまったく拭えていない。拭ったはずのところにまた血が付いただけだ。
大きく息を吐くゾイだったがそんなゾイの背後から襲いかかろうとする片目の潰れたキメラがいた。キメラはゾイに向かって飛び掛かる。しかしゾイはその場から動くこともなく、少しだけ姿勢を低くして攻撃を回避すると同時に的確にキメラの喉を切り裂く。飛び掛かってくる獣の喉を切り裂く、言葉にすれば簡単そうだが実際にこの正確な動作を習得しようとしたら一体どれだけの時間がかかるだろうか。武士の居合切りのように正確で繊細だ。襲い来る敵を目の前にして動揺しない精神、確実に切り裂くための力、相手との間合いや狙った場所を切るための技術など必要な技は様々だ。
キメラは力なく地面に落ちる。
しかしゾイはそんなことを気にする様子はなく、息を整えると次のキメラへと向かっていく。何度もナイフを突き立て切り裂き、時には殴り蹴り、キメラの角や牙を折りそれを敵に突き立てた。もはやどちらが怪物でどちらが弱者なのかわからないほどの鏖殺だった。
もちろん今度はゾイも軽傷ではいられなかった。あらゆるところに傷がつき、血が流れた。履いていたはずの靴はいつの間にか無くなっていて裸足で敵を蹴り殺していた。強く握った手のひらは爪が食い込んで出血し何度も敵を殴った拳からも出血している。しかし全身に走る痛みなど鬼神の如く戦うゾイからすれば気に留めるほどのことでもなかった。
「はぁぁぁ‼」
キメラの顔面に深々とナイフを突き立てた。キメラはそのまま死んだが同時にゾイもその場で膝をついた。今のが戦っていた最後のキメラだった。ゾイの周りにはやはり死屍累々のおぞましい真っ赤な光景が作られている。ゾイは息が切れ、全身には数えきれないほどの引掻かれた跡や噛みつかれた跡が赤黒く残っていた。忘れていた痛みが体を覆う。熱された鉄の棒を押し付けられたかのような苦痛がゾイを襲い、突き立てたナイフを引き抜く力さえもない。
「少々、軽率だったか・・・」
力なく言葉を吐いた。意識が少しずつ薄れていく。目の前の景色が歪んでおぼろげになっていく。これが死というものなのだろうか。こんなにも眠るように穏やかなものなのか。今まで殺してきた敵たちはこんなに穏やかに死ねていたのだろうか。死は全てにおいて平等だ。皆こんな眠るような痛みさえ気にならないように死ねていたのか。死とは痛みや苦しみや生から解放されるための救いなのかもしれない。目を閉じたゾイの目の前に浮かんだのは弟の顔だった。
病弱で運動もできなくて落ちこぼれと呼ばれた弟。いつだったか「情けない奴だ」と罵った弟。だが本当は人よりも知識があり、優しくて我慢強い。良いところがいっぱいある弟。そして弟の良いところを知っていたのに見て見ぬふりをしてそれを陰で見ていただけの自分。
「よくやった」と素直に褒められなかった情けない自分。
最後まで弟への接し方がわからなかった憶病な自分。
(最後まで何もしてやれなかったな、ゼオ。不出来な姉を許してくれ。そして)
「ふへへ、ゾイ。最強の戦士であるお前の首を取ればこの集落に恐れる奴はいない。そしてお前の首を取った俺が最強の戦士になる」
意識の薄れゆくゾイの前に夜盗の男が巨大な剣を持って立っていた。
「お・・じう・・んだ」
「あ?」
「お前など死にかけでも十分だと言ったんだ」
ゾイは立ち上がる。力の入らない足に無理やり力を入れ、あちこちから血が噴き出す。キメラに刺さったままだったナイフを引き抜き目の前の男を睨みつけた。その目は死にかけの目でも牙を抜かれた力ない目でもなく未だ殺意も闘志も消えない誇り高き戦士の眼差しのままだった。まるで消えた炎が突如再燃したかのようだった。その目を見た夜盗の男は思わず退く。
(最後まで戦士でしかなかった私を許してくれ)
ゾイはナイフを構える。男に向かって斬りかかるが防がれる。何度も何度も斬りかかる。反撃を許さぬ猛攻だがその刃は未だ男の体には届いていない。
(この程度の相手も倒せないのか)
意識は朦朧としているうえに体の疲労もかなりきつくなってきている。渾身の飛び後ろ回し蹴りを放つと男の顔面にヒットした。男は真横に吹き飛ぶ。しかし蹴りを放ったゾイはバランスを崩して地面に倒れた。倒れたそこから地面に血が滲む。大量の出血と疲労によって体はもう限界だ。体が起き上がらない。立てない。足に力が入らない。あと少し、あと少しで目の前の相手を倒すことができるというのに体が言うことを聞かない。
「へへっもう限界みてえだな」
「くっ‼」
死への恐怖よりも目の前の相手に負けるという悔しさが勝っていた。人間の限界というのが恨めしかった。これが終わり、これこそが死ぬということだと悟った。死は平等だ。殺した分だけ自分が死ぬときに清算として屈辱を受ける。これがゾイという戦士に科せられた罰であり、清算しなければならない死だった。




