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それでも転生者は異世界を生きていくようです  作者: 春深喜
異世界日常編
95/106

闘技場での出来事

女の肌と俺の肌が触れ合う。耳元で女の吐息が聞こえる。なんだか体が少し熱くなってきた。本当に

その場で食べられてしまいそうだった。ようやく俺にもこういうちょっぴりえっちぃイベントが到来したらしい。これはいろいろと負の称号を捨てられそうだ。


などと思っていた時期が俺にもありました。


俺は女の腹に小さな裁縫針のような針を刺した。もちろん俺の私物ではない。持ち主は目の前の女だ。


「俺を甘く見たな」


「くっこいつ‼」

女は俺から離れようとするが俺は女の肩を掴んで離れられないようにする。


「まあそう急ぐなよ。もう少しゆっくりしようぜ」


この女の正体はこの大会の出場者だ。それは間違いない。だが戦法がとんでもないくらい姑息なのだ。

こいつは今みたいに男に色気仕掛けのような方法で男に近付いて毒の塗ってある針で男を刺す。毒はおそらく神経毒のようなもので致死性はない。せいぜい腹痛を起こさせたり、身動きを取れなくしたりする程度のものだと思う。


要するに。この女は自分より強い出場者に色仕掛けで近づき辞退に追い込む卑怯者ということだ。


「いつ気が付いた?」


「お前が隣に座った時だ。お前から僅かにさっきを感じた。何か企んでいるのはすぐにわかったよ」

気が付けたのはそれだけが要因ではない。他の選手の視線だ。全員何か見て見ぬふりをするような態度を取っていた。恐らくほとんどの選手がこの女のしていることを知っていてそれを黙認しているのだろう。


では一体俺はいつ毒針を奪ったのか。という話だが答えは簡単だ。女は太ももにバンドを巻いていて、そこに毒針を隠していた。だから盗んだ。気が付けたのはほとんど偶然だが針の頭がわずかに見えていた。それは仕方のないことだった。細く小さい針を素早く正確に取り出すには僅かにその頭を出さなければならない。


「そんなことをしていては気が付かれて当然だ」と思うかもしれないが実際はそうでもない。人間は意外と細かいところを見ていない。この女の場合、顔か胸かなど上半身に目がいくように覆いかぶさるような形で俺に近付いてきた。普通なら太もものバンドなんかに目がいかないし、小さな針なんて見えないわけだ。


それに会話をしていれば余計に注意力と集中力は乱れる。普通は気が付けないわけだ。


だが注意力が乱れるのは女も同じこと。女の視線は俺の顔に真っすぐ向けられていた。なら女から俺が手を動かしているのは見えないわけだ。女が針を取り出すよりも先に針を盗めたのは幸運だった。

視線は結構動かしていたはずだが女は俺が恥じらいから目を逸らしていたと思ったのだろう。


「ま、相手を見抜けなかった自分を恨みな」

俺はそう言って毒のせいでぐったりとした女を地面に寝かせた。妙に距離の近い女は怪しい。

皆もしっかり覚えておこう。俺はまた別の場所に座って自分の出番を待った。




それからどれくらいの時間が経っただろうか。完全に暇を持て余していた俺だったがついに決勝戦の時がやってきた。


決勝の相手は名を聞くまでもなく、顔を見るまでもなくわかっていた。歓声が会場の空気を揺らしている中で互いに向き合う。肌を焼くようなピリピリとした感覚が再び全身に走った。きっとそれは向こうも感じていることだろう。褐色の肌に鍛え抜かれた肉体。間違いなく今まで見てきたテルシャ族の戦士の中で最強。女戦士、ゾイ。


対するは人間を超えた転生者の俺。最強の人間と人間を超えた存在。前代未聞の大怪獣バトルだ。

試合開始の掛け声が上がった。


睨み合いを打ち破ったのはゾイ。地面を蹴ってまっすぐ俺に向かってくる。そしてそのまま剣を振るうような勢いのある回し蹴りが俺の顔面に向けて振るわれた。俺はそれを防御する。


腕に衝撃が走る。重たい。あり得ないくらいに重たい。まるで巨大なハンマーで殴れたかのように重く威力のある回し蹴りだ。女の力とは思えない。こんなもの顔面に喰らってしまったら普通の人間なら間違いなくそれだけで死んでいる。


続けて素早いパンチがいくつも飛んでくる。ラッシュのような素早さと威力にすべてを任せた雑なパンチではなく、相手の弱い部分を明確に捉えたコントロールのあるパンチだ。これも重たい。鉄球で殴られているように重く、拳が硬い。


もちろん防ぐことはできる。しかし本当に人間を相手にしているのか疑わしいほどにパワフル。まともに一撃をもらえば間違いなく痛い。


突如、足に痛みが走る。足を蹴られた。今のゾイの構えはキックボクシングに近い。俺の態勢がわずかに崩れる。そしてその一瞬の崩れをゾイが見逃すはずはない。ゾイの右ストレートが俺の顔面にクリーンヒットした。視界が切れた。やはりとんでもない威力の一撃だ。


もう一撃、今度は左からの攻撃だ。俺はそれを手で受け止める。すぐにゾイからの右手が俺の脇腹を攻撃しようと飛んでくるがそれも手で受け止める。


「やるな」


「お前こそ。よくまだ立っていられるものだ!」


互いにその顔は笑っていた。ようやく会えた好敵手。張り合いのある相手だったからだ。今の俺にとってゾイは強敵にはなりえない。力の差がはっきりしすぎている。だがもし、俺が普通の人間だったならきっと好敵手ってやつになっていたはずだ。こうして楽しさを感じるのは生物としての本能か、それとも俺が男だからだろうか。


「だが守ってばかりでは私には勝てないぞ‼」


「わかってるつーの‼」

俺はゾイの拳を掴んだままゾイを振り回してぶん投げる。ゾイは背中から地面に落下し転がったがすぐに起き上がった。今の攻撃では大したダメージはないだろう。


「お前のその細い体のどこにそんな力があるのか。とても不思議だ」


「世の中見た目がすべてじゃないってことさ」

あまり深く追及されると困る。


「ゾイ、悪いが終わらせてもらうぞ。今から俺が出す一撃は俺の本気の一撃だ」


「ほう、ならば受け止めてやるさ」


「いや無理だね。そしてお前は戦う気さえ失せる」

俺は右手を固く握りしめ構える。それを見てゾイも構える。会場が凍り付いた。まるで誰もいなくなってしまったかのように会場が静まり返る。しばらくの間にらみ合いが続いた。それはきっととても短い時間だっただろう。だがきっとその場にいた誰もがその時間をとても長く感じていた。




会場の空気が凍り付いた。目の前にいる男の気配が明らかに変わったからだ。ここは戦闘民族であるテルシャ族が集まる場所だ。戦いの空気に慣れている彼らが声を失った。


レイジが地面を蹴り、弾丸のようにゾイに向かっていくと同時にゾイは腰を少し落としてとっさに防御姿勢をとった。回避の姿勢でもなく反撃の姿勢でもなく防御を選んだ、いや選ばされた。「避けられない」というよりも咄嗟に体が動かなかった。


それは恐怖にも近い感情だったのだろう。今まで戦ってきたどんな人間、動物、モンスターとも違う。味わったことのない感覚だった。ゾイには先ほどまで自分よりも少し大きかった目の前のレイジが何倍にも大きく見えていた。まるで巨人を相手にしているかのようだった。


感じたことのないその感覚の正体は圧倒的実力の差、存在の差によって生まれた


覆すことのできない絶望。自身の死という本能に刻まれた恐怖そのもの。


(勝てない)


レイジは防御姿勢をとるゾイの目の前で大きく踏み込む。地面が割れる。そのまま振りかぶった右腕はまっすぐゾイの顔面に向かって伸びていく。そして鼻先と拳が触れようかというまさに寸前で止まる。寸止めというやつだ。


しかし次の瞬間、突風が吹いた。ゾイの髪がなびいて、汗が吹き飛んだ。


風が収まったあともゾイは驚いたような表情で固まったままだった。会場全体も固まっていた。まるでそこに選手2人しかいないかのような静けさ。俺は人差し指でゾイの鼻先を軽く弾いた。すると我に戻ったようだったがやはり驚いたような表情はしばらく変わらなかった。しかしそのうちいつもの目つきの鋭い怖い表情に戻った。




「私の・・・負けだ」

喉の奥から何とか絞り出したような声だった。


「いいのか?」

俺は静かに聞き返す。


「今の一撃を見て、まだお前に勝てると思うほど私は愚かではない。負けだ。完全に」


「・・・」

仕方のないこととはいえとても面白みのない終わり方だった。あのまま続けていても無駄な時間を浪費するだけ。遅延し続けていただけだ。ならば終わらせてしまった方がいい。俺は手を出して握手を求めた。確かに呆気ない試合だったのかもしれない。だがそれでもこの目の前の女戦士は間違いなく強い相手だった。


「お前は俺が今まで出会ってきた女の中で1、2番目に強かったよ。マジで」


「そこははっきりしないのか」

ゾイは笑いながら俺の手を握り返した。その力はとても強い。改めて思う。いい女だ、と。

会場もようやく目の前の現状を理解できたのか、また歓声が上がる。と言っても試合開始の時のように明らかに盛り上がっているわけではなく、「盛り上がっていいんだよな?」といった感じの戸惑いのある歓声だった。


こうして闘技大会は終わった。ゾイを覗いて満足できた試合はない。わかっていたことだが非常に呆気ない、はっきり言って面白くない大会だった。正直もうこういう力比べの大会には絶対に出ないと心から誓った。出ても虚しくなるだけだ。

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