本編はここから
ガスマスクの男から少しばかりの情報を得て男を逃がした俺は目的地を目指して進んでいた。テルシャ族がすむという森まであと少し。ここまでの道のりは予想外のハプニングのせいで色々と苦労したがあっという間の道のりだった。特に山を登るのはもっと時間がかかると思っていたが意外とすんなり登ることができたのは自分でも驚きだ。転生者の身体能力様様というところか。
しかし時間が経過しているというのは揺るがない事実だ。その証拠に高かった日はかなり傾いて来ている。
もうすぐ日が暮れる。夜になる前にテルシャ族のところに着きたいな。俺は少し歩を速める。
テルシャ族。一体どんな人々がいるのだろうか。村長の話では武神オノッサスの子孫と言われている戦闘民族で、その強さは女でさえ闘牛を蹴り殺すほどらしい。ということは男も女も筋肉の付いたマッスルなのだろうか。そんなところに行ったらサイズ感的に俺は間違いなくチビだろうな。筋肉だらけの集落、面白そうではあるが同時に少し怖い。ま、まあ筋肉になら俺も少しばかり自信がある。頑張って対抗してみよう。
あと心配なのは彼らが戦闘民族ということだろうか。もし血の気の多い人たちだったら出会った瞬間襲い掛かってきたりしないか心配だ。できれば争いごとは避けて話し合いで平和的に解決したい。
「なら拳で語ろうぜヒャッハー!」
「ひぃぃ‼」
みたいなことにならなければいいが。なるほど考えれば考えるほど誰も荷物を届けに行きたくないわけだ。ガイコツとかでネックレスを作っているやばい民族なんじゃないだろうかと思えてくる。テルシャ族の妄想が色々と頭の中を駆け巡っている俺の意識を切り替えたのは甘い香りだった。
「?」
間違いなく甘い香りだ。まるで砂糖を熱したときのような、ずっと嗅いでいたら虫歯になってしまいそうなほどの甘ったるい香り。誰か近くでべっこう飴でも作っているのだろうか。こんなところで作ったら虫が集まってきそうだ。
まあ冗談はともかく、これは一体何の香りだ?人は見えないし、気配もない。
〈甘桃花や〉
頭の中の神器が急に喋り出す。甘桃花ってなんだ?
〈桃色の花弁をつける可愛い花ね。でも何も考えずに摘もうとしちゃだめよ〉
なんでだ?
〈甘桃花は強い衝撃などを受けると自分の身を守るために周囲に睡眠作用のある甘い香りのする粉をまき散らすのです。まあ、あなたには強い耐性があるのであまり関係ありませんが〉
じゃあこの匂いは甘桃花が身を守るために睡眠作用のある粉をまき散らしてるってことか。あぶねえな。
〈ちなみにその粉は少量なら「うっふーん」なお薬の材料として使われるよ!大人の階段を駆け上がれ!〉
要らない情報どうもありがとう。しかしここは危ない場所だな。俺は神器のおかげで色々な薬物などに耐性があるため心配はいらないのだが普通の人間なら今頃こんな人気のない森の中で意識を失っている状態なわけだ。近くに野生動物やモンスターがいたら間違いなく死ぬ。
俺は甘い香りの中を歩く。一歩、また一歩と進むたびに甘い香りが強くなっていく。甘桃花に近付いているようだ。もう歯が溶けてしまいそうなほどに甘い香りを強く感じる。
木々や土の匂いがしないことから嗅覚が潰されているのがわかる。
木の裏に桃色のチューリップのような丸っこい花が生えているのを見つけた。甘桃花だ。だがその姿は茎の部分が折れて地面に倒れている。踏まれて折れてしまったのだろう。
そしてそのせいでこの甘い匂いが充満した。と考えるのが自然だ。
「む?」
甘桃花を見つけると同時に甘桃花から少し離れたところにもう1つまったく別のものを見つけた。それは少年だった。少年はうつ伏せに倒れている。
「大丈夫か?」
俺は近寄って生きているかどうか確かめる。息はしている。死んではいない、眠っているだけのようだ。少年は眼鏡をかけていて顔立ちは少年という感じの顔だが女っぽく可愛い顔にも見える。こんなところで子どもが何をしていたのか知らないがわかることがあるとすればおそらく甘桃花を踏んだのはこの少年であろうということだ。
「起きろ」
体を揺さぶるが反応はない。深く眠っているようだ。
〈かなり深く吸い込んだようじゃ。そう簡単には目を覚まさんぞ〉
むぅ、仕方ない。もう夜になる。このまま放置しておくわけにもいかないし運んでいくしかない。ここに倒れているということはよほど遠くから来ていない限りはおそらくテルシャ族の人間だろう。俺は少年を両手で抱えて歩き出す。少年の体はどちらかと言えば小柄で軽かった。この程度ならば大した負担にはならない。テルシャ族の集落までもう少しだ。
テルシャ族の集落と思われる光が見えたのは日が完全に落ちて夜になったころの話だった。夜の森は真っ暗だ。しかもこの森は木々が信じられないくらいにデカい。どのくらいデカいかというと中をくり抜けばそのまま木の中で生活できそうなくらいにはデカい。これがジャイアントオークの木か。確かに集落にするにはうってつけの木なのかもしれない。
テルシャ族の集落は木でできた巨大な壁で囲まれていて中がほとんど見えない。並の人間ではこの壁を乗り越えることはできないだろう。
「そこで止まれ」
2人いる門番の男のうち1人がこちらに声をかける。
「よそ者を入れる気はない。今すぐに立ち去れ」
「頼まれた荷物を届けに来た。あと倒れていたコイツも」
俺は臆することなく用件を伝える。門番は俺の腕に抱えられている少年に目を向けるとそれまで硬くいかつかった表情が驚いたような表情に変わった。
「ゼオ!何があったんだ?」
「甘桃花を吸い込んだみたいだ」
「まったく、心配かけやがって」
門番の男は大きく息を漏らす。
「入れ。中の奴が案内する」
そう言うと巨大な門がゆっくりと開く。そして俺が中に入るとゆっくりと閉じる。
門の先に広がっていた光景は俺の目を輝かせるような幻想的な光景だった。集落にはジャイアントオークの木がいくつも生えていてその木の巨大な根の周りにいくつもの建物が点在している。それ自体は何ということはない。俺の目を引いたのはその上の光景だ。
巨大な木に鳥の巣箱ようにいくつもの建物があり、巨木と巨木を橋でつなぎ、人々がそこを行き来する。最も適切な表現をするならばツリーハウスがいくつもあるような感じだろうか。さらに端的に言えばファンタジーを思わせる光景だ。地上だけではなく上空さえも彼らの生活圏らしい。
俺はそんな言葉を失うような光景に釘付けにされながら筋肉モリモリのゴッツい男についていく。
俺が集落を珍しい目で見るように、集落の人々も俺のことを珍しそうな目で見る。「よそ者を入れる気はない」という先ほどの門番の言葉から察するに基本的によその人間を見かけることがないのだろう。
確かに俺の格好は珍しいかもしれない。何せ俺の格好は学校の制服だ。それももうすぐ夏だというのに未だに長袖の上着まで来ている。珍しい目で見られても仕方ない。それに対してテルシャ族の格好は涼しげだ。男も女も半袖だったり、そもそも袖がなかったり、男は上を着てない奴もいるし、女も胸元を隠すだけだったり、かなり肌の露出度が高い。なんとなく目のやり場に困るので上か下を見て歩こう。
男に連れられたのは集落の中で生えている巨木の1つ。よく見ると人が余裕で通れるだけの穴が開いている。男はそのまま木の中へと入っていく。俺もそれに続いて木の中に入る。木の中はらせん状の階段だった。ぐるぐるぐると巻かれた階段を上っていく。どうやら先ほど見た木の上の家に向かうようだ。
階段を上り切って出たそこからの光景は技術の発展した現代日本を生きた俺からすれば思わずゾッとするものだった。まず、ここがとても高い位置だということ。俺はともかく、普通の人間が落ちたらまず助からないだろう。次に足場が全て木でできていること。安定はしているが俺はやはり金属に囲まれて生きてきた世代だ。いつ足場が崩れたり、抜けたりするのかを考えると恐ろしい。
「こっちだ」
下の景色を覗き込む俺に男はそう言って臆することなく歩き出す。さすが、慣れているな。
しばらく歩くと男はある家の前で足を止めた。そしてドアを叩く。するとドアが開いて中から目つきの怖い女が出てきた。
「なんだ?」
「ゼオが帰ってきた。甘桃花で眠ってしまったようだが」
女は俺の腕の中で眠っている少年を見る。そしてそのまま視線を上げて俺を見る。突き刺すような鋭い視線だ。
「この男は?」
「前の荷物を届けに来たそうだ」
「なるほど。お前はもう持ち場に戻れ。ご苦労だった」
女がそう言うと男は帰っていく。俺はその場に取り残され気まずい空気が流れ始める。互いに黙ってしまう。そんな状況だが俺は目の前の女を見る。褐色の肌をした女の格好は上半身は胸元を隠す布1枚、下半身はユウナのズボンと同じくらい短く、太ももがしっかり見えてしまっている。手足も腹も丸見えな大胆な服装だ。そしてそれによって見える細い足に細い腕、腰回りも細い。一見痩せ型あのように見える。しかしよく見るとその手足にはしっかりと筋肉が付いている。
女から出ているナイフのように鋭い雰囲気からもわかる。強い。間違いなく。
「入れ。茶くらいは出してやる」
「弟が世話になった。それに荷物の運搬についても礼を言おう」
女はそう言いながら座っていた俺の前に木のコップを置いた。
「あ、ああ」
「物珍しいか?私たちの住処は」
「ああ。こんなところは見たことがない」
家の中はいくつもの木材で組み立てられたという感じではなく一本の木をくりぬいて作られた、という方がしっくりくる内装だった。壁も床も、二階へ上るための階段もすべてが一体化している。家具はすべて木材で手作りされているのか少し形が歪んでいたり、木としての形を残している。全体的に自然を感じる家だ。
「我々はよそ者を集落に入れることは滅多にない。今のうちによく見ておくことだな」
「良かったのか?入れちゃって」
「今回は例外だ。その荷物は我々の失態によって生まれたものだ。それを他人に運ばせている。それにお前のおかげでゼオは動物の餌にならずに済んだ。我々は貴様に借りがある。寝床くらいは貸してやるさ。族長も理解してくれるだろう」
「ならいいんだが」
女の声は低く、一言一言に威圧感がある。同じくらいの年なのだろうが顔といい、声といいはっきり言って結構怖い。この顔と声で「殺すぞ」などと言われたら俺は猛獣に吠えられた小動物のように振るいあがってしまいそうだ。
「隣に空き家がある。今夜はそこを使え。一応手入れはしてあるしベッドもある。鍵は掛かっていない」
「助かる。そういえば名乗ってなかったな。俺はレイジ。冒険者だ」
「私はゾイ。テルシャ族の戦士だ」
予想通りだ。ここに来るまで何人かの女を見かけたがゾイほど鍛えられた体を持っていた女はほとんどいなかった。コイツが話に聞く闘牛を蹴り殺せる女か。鍛えられた体と戦い慣れているであろう洗練された空気。
転生者と普通の人間では身体能力に置いて大きな差が生まれる。特に俺のように戦うことに特化した能力を持っている者は。目の前にいるゾイは間違いなく普通の人間だ。だが転生者である俺の体がゾクゾクと震える。恐怖からくるものではない。どちらかと言えば興奮などの類。心地いい、気分が高揚するような感覚。程よい重みを感じるプレッシャーだ。
「どうかしたか。ジロジロと」
「いやなんでもない。今日はもう休む」
俺はそう言って外に出て大きく息を吸った。外には涼しげな風が吹いていて、それまで重たかった空気を払いのけてくれるように心地よく俺の全身をかすめていく。俺は隣の空き家に入ると鍵をかける。中は言われていた通り完全に空き家で家具もロウソクも何もなく暗い。俺はベッドに倒れこみそのまま眠りについた。
自分が思っていた以上に疲れていたらしい。よく考えればここ数日はまともな場所で寝ることも出来ていなかったし、今日は狼に追い回され、山を登り、ボロい橋を渡り、よくわからないガスマスクの男をぶん殴ってきたのだ。疲労がないわけがない。
そう俺は疲れているのだ。日々の冒険者としての仕事、何かしらのトラブル、よくわからん争いとか。俺は疲れている。もっと休みをくれ。だが現実というのか、時間というのか、自分自身の感覚というのはとても残酷なものでつい5秒前にベッドにダイブしたと思ったのに気が付いたら
朝なんだもんなぁ




