瞬間は嵐のように
足跡は依然として続いている。どこへ向かっているのかは当然不明。もしかしたら森の罠の可能性もあるかもしれない。だが人ならば協力することもできる。ハイリスクハイリターン。見合った代価だ。足跡はしばらく続いていたが血が乾いていき少しずつ薄くなっていった。そしてもう足跡が消えそうというところで足跡は途切れていた。血が乾ききって見えなくなったわけではない。途切れたその場所が爆発でもしたかのように円形に削り取られていたからだ。
一体何があったのかはわからない。爆発跡から何か大きなものが引きずられたような跡もあった。引きずり跡は長くは続いておらず、すぐに途切れていた。何かあるかと思ってここまで来たが結局無駄足になってしまったか。さーて最後の希望も潰えたところだがどうしたものか。エリアスは行方不明、俺自身もどこにいるのかわからない。さらにはよくわからん惨状。いつも通りピンチの状態だ。
少し考えてから俺は1つ妙案を思いついた。それはエリアスに居場所を伝えること。一応ここに来るまでに通った場所には印をつけてきたがエリアスがそれを発見する可能性は低い。だからそれとは別の方法で俺の位置を知らせてみようと思う。
キメラ事件のとき、俺がキメラの調査をしていたときに一瞬だけ全力を出して森の一部を消し飛ばしたときのことを覚えているだろうか。あれを今ここでやってみようと思う。ここがいくら迷子になる森とはいえこの爆発や高い魔力は目立つはずだ。
「疲れたところを襲われないかが心配だな」
全身の魔力を消費したあとは疲労感に襲われる。いくら転生者とはいえ戦闘に影響がない、とは完全には言い切れない。そのため襲われることへの不安はある。だがこれしか居場所を伝える方法が思いつかない。
剣を両手で握り、振り下ろす。そして俺の視界の全ては白き閃光に飲み込まれた。
「ありゃー早速引き離されたか」
エリアスは辺りを見回しながら呑気に言う。無論、呑気に構えていられるような状況ではない。ここは混沌の森。油断すればエリアスのように不完全な天使は容赦なく森に食われてしまうだろう。それに危険なのはエリアスだけではない。レイジは転生者とはいえ人間、そして森についての知識はほぼ皆無ときた。戦闘で彼が死ぬことはおそらくないだろうが森の罠には対処できない。
「さてさて魔力の流れは、メチャクチャか。まあ知ってたけど」
エリアスは特に考えるような素振りを見せることもなく歩き出す。デタラメに歩いてはいけない。サバイバーならばそんなことを言うのかもしれない。だがこの森には常識が存在しない。土の上を歩いているかと思えば岩の上を歩き、まっすぐ進んでいたはずが右に進んでいる。テレビドラマが映像と映像を繋ぎ合わせるように景色が切り替わっている。そんな高熱のときに見る悪夢のようなことが平気で起こる。
では一体どうやってこの森で生き延びるのか。答えは魔人王の言葉の中にある。「そこは深き森の世界、木々は汝を迷わせ、獣は汝を惑わす。信じることなかれ、心乱れしとき森は汝に牙をむく。」
ここで重要なのは信じることなかれという一節。信じることなかれ、これは言葉通りの意味だ。信じてはいけない。この言葉は木々や獣が騙そうとしているから信じてはいけないという意味ではない。今ある全て、自身の五感を当てにしてはいけないという意味なのだ。
森は迷わせ、惑わす。目に見える全てが嘘であり、聞こえる全ては幻聴。普通に歩いていてはこの森からは絶対に出ることはできない。この森では五感を使わず進むのが正しい進み方だ。ではどうするのか、答えは簡単で6つ目の感を使うことだ。魔力、それこそが本来人間が持ちえなかった6つ目の感覚。魔力の流れはメチャクチャではあるが感じればこの森の構造は簡単に把握することができる。当然出口もわかる。メチャクチャな魔力の流れの中で唯一迷いなく真っすぐ伸びている魔力の流れがある。その魔力の流れに沿って行けば出口に辿り着くだろう。
だから出口のことについては考えなくてもいい。問題はレイジとの合流と目的のブラッドチェリーの場所だ。特にレイジとの合流はかなり困難な問題だ。レイジが一体森のどこまで流されたのかがわからない以上とにかく探すしかない。時間がかかりそうだ。
ブラッドチェリーの入手は実はそこまで困難ではない。本によって生息地はバラバラだがそれは幻覚など森に遊ばれているからだ。
ブラッドチェリーの本当の生息地は水辺だ。川の近くにブラッドチェリーもある。正しい森の歩き方を知っていれば案外簡単に手に入れることができる。
「あっちの方から明らかに大きな魔力。ちょっと見に行ってみようかな」
方向を変えて大きな魔力を追ってみる。魔力の大きさからレイジの可能性もある。レイジ本人は気がついていないようだが彼の魔力量は転生者ということもあって並外れているのが魔力を感じることができる者ならすぐにわかる。魔力を感じることができる者が少ないため騒ぎにこそなっていないが大賢者たち上級魔法使いが見たら腰を抜かしていただろう。
巨大な魔力に少しずつ近づいていく。近づいていくごとにコレがレイジではないという確信が強くなっていく。近づいて、近づいて、そうしてもう目と鼻の先の距離。だが何もいない。その魔力の塊は目の前にあるはずなのに見えない。
「?」
思わずそれに触れようとしたときだった。
「命惜しくば触れぬことだ」
「!?」
いつの間にか何者かに背後を取られていた。エリアスはすぐに飛び退いて何者かと距離を取る。
「忍者?いや魔人か」
背後にいたのは忍者のように顔を頭巾とマスクで隠し、背中に剣を背負った男だった。異世界には不似合いなこんな忍者の格好だがこの男は魔人だ。魔人は姿、形に関係なく全てが高い知能や技術、戦闘能力、魔力などを有していて不老。そして全てが魔人王の配下。
「人間にしてはなかなか肝の座ったやつだ。それ以前にこの森で生きてることを称賛すべきか」
「この魔力の見えない塊は何?」
「さあわからん。だがそれに触れた獣が消失した」
獣が消失、この見えない魔力の塊は一体何なのだろうか。生き物ではないだろう。擬態して見えなくなるモンスターはもっと深い層ならばいるがこんな浅い層にはいないはずだ。それに魔人は獣が消失したと言った。例え生き物だったとしても自然界の野生動物ではない。
『それは空間の歪みだ』
すぐ横で声がした。ついさっきまでここにいたのは魔人とエリアスだけだったのに気が付けばその場にはいないはずの3人目がいた。まるで最初からそこにいたかのような違和感のない存在。自然界では絶対にありえない黒い炎を身にまとった異世界の神にして、魔法の始祖。魔人王である。
忍者のような魔人はその場で膝をつく。
『頭を上げよ。歪みを感じて来てみれば、優秀な配下がいるとは。私も運が良い』
「勿体なきお言葉です」
『手伝ってもらうぞ』
「無論です」
『そこのお前も手を貸せ』
「え、はい」
エリアスは驚いたような、恐怖を感じているかのような表情で固まってしまっていた。この世界に堕ちる前、悪魔との戦いで体が爆散する前の完全な天使であったころ話だけは聞いていたが魔人王自体をその目で見るのは初めてだった。押しつぶされそうになる重たいオーラからは天界の神とは違う支配者の力の片鱗を感じる。だがそれでいてまったく気配がない。本当にそこにいるのか、幻覚なのではないかと疑いたくなるほどだ。
『昔、天界の神は私を排除しようと刺客を送ってきたことがあった。もう300年も前の話だ』
「「は?」」
魔人もエリアスもその話の真意を理解できなかった。なぜ今このタイミングでその話をしたのだろうか、と。確かに300年くらい前に神は1度だけ魔人王を消し去ろうとしたことがあったし、エリアスもそのことは知っていた。だが魔人王と戦った天使たちは皆返り討ちに遭い、作戦の指示をしていた神が串刺しにされて殺されたという悲惨な事件だ。
『奴らの愚行には呆れる。かつては自らの眼球をえぐり出してまで力を欲し、我が泉の水を飲んだというのに力が手に入った途端に私を排除しようとは。図に乗りおって』
おそらく魔人王が言っているのは北欧神話の主神、オーディンのことだろう。オーディンは自分の片目を代価にユグドラシルの根元にあるミーミルの泉の水を飲むことで知恵を身に付け、魔術を会得したという伝説がある。
「我が泉って、じゃああの泉はあなたが!?」
『研究の最中にたまたまできた代物にすぎない。私からすれば何の価値もないただの泉だがな』
エリアスはこの話に軽い頭痛を覚えた。魔法の始祖というだけでもこっちはくらくらするというのにまさかあの最高神の一人が魔人王の手によって叡智を得ていたということは魔人王はやはり本物の神という存在ということになる。
『私が放置していた結果あの泉が私の手から完全に離れたのだから私の落ち度ではあるのだがな』
エリアスの思考はスープのようにかき混ぜられていく。この世界の全ては、元を辿っていくと最終的には魔人王に辿り着くのではないかと。神が生まれる前に世界はなかった。それは神が世界を創ったからだ。それは間違いない。神は自分たちを超越する生物を造らない。では魔人王は何者だ?ただの魔人にしてはその力は神の領域に踏み込んでいる。
『そら、敵が来るぞ』
先程まで見えなかった魔力の塊が膨張し、今にも爆発しそうだ。
直後膨張していた魔力は収縮、ベリベリと引き裂くような音とともにその空間に穴が空いた。穴の向こうは暗くよく見えない。
「これは、なに?!」
『言っただろう空間の歪みだ。この穴の先は別の世界へと繋がっている。お前らは穴から出てきたやつを殺せ、私は穴を閉じる』
「承知」
魔人王の言うとおり穴からモンスターと思しき生物が何匹も出てくる。狼のようなもの、コウモリのようなもの、人のようなもの。忍者のような魔人は容赦なくそのすべてを剣で斬り殺し、エリアスも魔法でどうにかモンスターに対処した。しばらくして空間の歪みは消えた。
エリアスはどっと疲れその場に座り込んでしまった。500年以上生きていて初めての経験だった。大したことはしていない。それなのに驚きと初めての経験がここまで疲労感を高めた。まだ理解が追いついていない。
『天使ごときでは我が正体を見ることはできん。それだけ助言してやろう』
そう言うと魔人王の姿はいつの間にか消えていた。忍者のような魔人も気がつけばどこにもいない。実は最初からすべて夢だった、幻覚だったと言われても納得してしまいそうなほどの静寂に辺りが包まれる。
「私、森に遊ばれてんのかなぁ?」
そう上を見上げたとき遠くの方で爆発音が聴こえた。自然の音ではない。おそらくレイジか誰かが戦っているのだろう。エリアスは珍しく大きく息を吐くと重たい腰を持ち上げて爆発音の聞こえた方へとゆっくり歩き出した。
今の爆発はエリアスには聞こえたのだろうか。大きくえぐれた地面の中心で俺はぼんやりと思った。今の一撃で周りの木々はすべて倒れ、地面は大きくえぐれて辺りは森とは思えないような状態になっている。
疲れた。呼吸は整っているし脈拍ももちろん正常、汗もかいていないが大量の魔力消費によって疲労感に襲われている。とりあえず俺はこのまましばらくここで待つ。聞こえていればエリアスはここに向かってくるだろう。もし、聞こえていなかったらどうしようか。もし、聞こえていなかったら、その時は俺1人でこの森を歩こう。今の俺にはそうすることしかできない。




