運の河に流る
「助けてくれぇ・・・」
この広い森で何故か助けを求めるその声だけが鮮明に聞こえる。鳥の鳴き声も、木々が揺れる音も何も聞こえない。その声だけがその空間のすべての音だった。俺はどうするべきなのか、何が最善なのか、そんなことを考えていた。助けを求めているこの声の主はおそらくダンジョンに挑みに来た冒険者なのだろう。「助ける」と口にするのは簡単だ。だが毎度変わらず現実はそう甘くはない。ただ力押しで解決できる問題なら思いつく手段は限りなく多い。力の限り神器を振るえばいいのだから。だが今求められているのは力ではなく適切な判断だ。
それは普通の冒険者も転生者も関係ない。俺は助けに行くべきなのか。だがこの森に関しての知識は皆無、エリアスとも引き離されてしまった。常識の通用しないこの森で何の知識もなく歩くのは注意していても危険すぎる。自分の身を危険に晒して誰かを助けるか、それとも誰かを見捨てて自分が生きるか。
やるかやらないか。
単純だが重大な決断は容赦なく俺を押しつぶそうとしている。これは良い悪いの問題ではない。何が正しいのかという問題だ。そう考えればきっと自分を守ることが正しい選択なのだろう。でもどうしてなのだろうか。俺は自分でも気が付かないうちに歩き出していた。それでも本当に行くべきなのか迷っている。自分でも馬鹿なことをしていると思う。でも今足を止めてしまえばふたたび動きだすことはきっとない。
そして俺の嫌いなことの1つは後悔だ。特にやらないで後悔するのは髪を毟りたくなるくらい腹が立つ。だからとりあえずやってみる。自分の気持ちに従ってみようと思う。例え危機に陥ったとしてもきっと俺は「やらないで後悔するよりは良かった」と思うだろうしな。
ヘルテーカ大図書館
レイジが連れてきたその図書館は海の見える静かで大きな図書館だった。ずっとベッドの上で過ごしているけどこの景色とたくさんの本が気を紛らわせてくれるおかげで退屈することはない。そして何も考えなくて済む。レイジがダンジョンに向かってからもう1週間と少し、症状は少しずつ進行している。最初はお腹に1、2本程度走っていた紫色に発光する亀裂のようなものが今では全身に広がっている。痛みはない。ただ、そのうち自分が砕け散ってしまうんじゃないかと思うとゾッとする。
ミーティは診察のときに亀裂の部分から出血するようなことはない、とは言っていたが未知の病である以上正直まったく安心できない。日に日に自分が弱っていくのがわかる。「もうすぐ死ぬんだなぁ」と思うと何もかもどうでもよくなる。でもそのおかげか心は軽く、青く澄み切った空のような心地よい感覚になる。昔病気で亡くなった祖父もこんな感覚だったのだろうか。
諦めているというわけではない。でも自然とネガティブな思考になってしまっている。レイジが帰って来ないということはないだろうが私が死ぬ前に戻って来られるかどうかは怪しいところだ。もし間に合わなかったとき彼はなんて言うだろうか。「ごめん」って謝るのだろうか、それとも何も言わずに泣くのか。
いや、そもそも彼は泣くのだろうか。レイジが泣くところなんて全く想像できない。普段はふざけてばっかりだけど本当はきっと強い精神の持ち主だから泣いたりはしないのだろう。そんな強い精神が羨ましい。
「ずっとぼんやりしてるとバカになりますよ」
モニカはリンゴの皮を器用に包丁で剥きながら呑気に言う。メイドの2人には面倒をかけている。普段から屋敷を掃除させているし、ご飯も作らせてしまっている。そして今回も私がこんなことになってしまったばっかりに面倒を増やしてしまった。うちは常に人手不足だ。さらに人を雇えばいいのだが実はうちにはあまり金銭的に余裕がない。メイドたちの給料も生活費も決して安くないのだ。
「本を読むか外を見るかしかやることがないもの。ぼんやりもするわよ」
「まあ確かに。だからこうして毎日話し相手になってるわけですし」
モニカはこんな時でもいつも通り笑いながら明るく話している。
彼女には関係ないのだから当然か。でもいつも通りの方がありがたい。ここで気を遣われるというのも気分が悪い。いつものように話せる方がこちらとしては楽だ。
「旦那様は今頃ダンジョンの中か、それとももう帰ってくるかもですね」
「どうかしら。まだダンジョン内を彷徨っていると思うけど」
「もしかして旦那様を疑ってます?」
「疑ってるわけじゃないけど、本当に間に合うのかなって」
「大丈夫ですって。アレは『必ずやり遂げる』っていう決意の目でしたよ。私の経験上ああいうのは大体うまくやりますね」
「そうだと良いけど」
「ええ、心配なら月にでも祈っていてください」
まったく、この子の自信は一体どこから来るのだろうか。他人事だから言えること、なのかもしれない。でもどうしてだろうか、そんな無責任な自信を信じても良いのではないかと思えた。元気付けられたのか、どうでも良くなっているのか。そんなことすらわからないのに。
ダンジョン 第4層 混沌の森
「やられた!」
俺は悔しくて歯を食いしばる。
「助けてくれぇ・・・」
声のするそこには何もいなかった。いや、人と呼べるものは何もなかったと言った方が正確だろうか。声の正体は木の上に留まる数匹のカラスのような黒い鳥だった。
「助けてくれぇ・・・」
鳥たちは俺が目の前にいるにも関わらず馬鹿にするように人間の声で鳴く。この鳥は九官鳥のように言葉を真似するというだけでなく声も人間そっくりだ。もし死に際の助けを求める声を聞いて覚えたのだとすればかなり不気味な話だ。
「無駄足だったか」
脱力したような気分だが悔しさや緊張からか肩の力が抜けない。
どうしたもんか、もうさっきの場所には戻れないだろう。どちらに進むべきなのか。・・・考えたところでどうにもならないか。
「やれやれ」
運に頼るというのはあまり好きではない。目に見えるわけでもない、何かあっても責任をとってくれるわけでもないし、当然だが何より結果が安定していないのが俺を不安にさせる。俺は安心したい。だから基本的には地盤を固めておきたい。だが残念なことに今はそんな地盤を固めてくれるようなものは何もない。俺はただ地面に落ちていた棒切れを立てると手を放して棒切れが倒れるのを見る。
そして倒れた方向に歩き出す。どうせどこを歩けばいいのかなんてわからないのだ。適当に決めたようが俺の残念な頭で考えて歩こうが大した違いはないだろう。あとはエリアスと合流できるかだが、残念だがそこも運だろうな。とりあえず木に印でもつけておくか。もしかしたらエリアスがこの印を見つけてくれるかもしれない。そう思い剣で大きなバツ印を刻んでおく。
これでよし。これを一定の間隔で残していこう。そうして森の中を進んでいくと他とは違う空間が見えてきた。木が倒れていた。森の中なのだから倒木があるというのは別に珍しいことでもないのだろうがこれは少し妙だ。木は根本から倒れているわけではない。幹の途中から何かにえぐられでもしたか一部がなくなっているのが原因だ。
木のことに詳しいわけではないが木に苔が生えていなかったり、まだ葉が落ちていないところを見るとこの木が倒れたのは最近のことのような気がする。
大型のモンスターか?でも木を食うモンスターとは考えにくいな。食い方に無駄がありすぎるし、木をまるごと食うようなモンスターがいるならここはとっくに草原にでもなっているはずだ。
冒険者が魔法を誤射して木を倒してしまった。というのが一番あり得そうな話だな。最近まで冒険者がいたということか。その人がまだこの森にいればどうにか道に迷わない方法とかも知ってるのかもしれないな。それも運だけどな。
勝手に思いついて勝手に諦めながらも倒木を避けて進む。
しばらく進むと倒木、倒木、倒木また倒木と倒木の数が増えていった。さすがにおかしくないか。そう疑問を持った瞬間強烈な腐敗臭が嗅覚を潰した。
「くっ、なんだこれ」
たまらず鼻を袖で押さえる。少し進んだそこは木の無い開けた場所だった。そしてそこには大量の倒木とモンスターの死骸。緑色や茶色だった自然の地面は赤黒く染まりそこが本当に森の中だったのか疑いたくなるような惨状だった。モンスターの死骸にはすでに羽虫が集っていたがえぐれた地面の乾きや死骸そのものの様子からすると死骸は倒木と同じで割と新しいもののように見えた。
死骸は一種類ではなく状態も様々だった。狼のような見た目のものや鳥型、牛のようなモンスターなど種類は限られていないようだ。どのモンスターも胴体を何かに食われたような跡があったり、頭を潰されていたり、焼かれていたり。他にもおぞましい死に方をしているものは色々あった。一体何と戦ったらこんなことになる?複数の死因があるところを見るとこれをやったのは1人ではないはずだ。
人間の仕業か、それとも規格外のモンスターか。
そんな疑問の答えはすぐに見つかった。血の足跡を見つけた。
この場所から唯一動いている足跡だ。
やったのは
「人間、か」
それも足跡は1つ。つまり転生者の可能性が高い。
「足跡の大きさからして多分女。この足跡の残り方も現代の靴じゃないと無理だな」
転生者とはいえ女。一体どんな能力を使えばこんな惨状が出来上がるのだろうか。女の足跡は奥へと続いているが後を追いかけた方がいいのだろうか。もしかしたらここの出口やら攻略法を知っているかもしれない。だが同時にその転生者が友好的とは限らない。現に敵対的な転生者のせいでこんなことになっているのだから。
それにしてもこの足跡はどこへ向かっているのだろうか。危険だがそれは気になる。この足跡はどこか目的地があるのだろうか、それとも彷徨っているのか。俺はその足跡を辿っていくことにした。




