深き混沌の罠
ある森に一つの存在があった。それを何と表すのが正しいのかはわからない。きっと誰しもがそう思うだろう。だがこの世界に生きる者はその存在を敬意や畏怖を込めて魔人王と呼んだ。黒い炎に包まれたその姿はまさに邪悪の化身のようであるが、その所業は神の如き慈悲深いものであり、畏敬なものであった。目的はわからない。なぜ存在しているのか、いつから存在したのか。それは誰にもわからなかった。
「やぁ」
そんな存在に気さくに声をかけた男がいた。
『幻術を用いてまで何の用だ』
「予定が少し変わってね。それを報告に来たんだ」
『話せ』
「彼らが5層を脱出するのにかかる時間はどれだけ頑張っても最短で4日。君の計算は完璧だったはずだ。それなのに彼らは2日で5層を抜けた。本来ならもっと苦戦していたはずだ。だが道中で彼らが遭遇したモンスターはたったの2体。」
ダンジョンの第5層は草木も生えない特殊な環境であるため他の階層に比べればモンスターは少ない。だが本来の5層は道のど真ん中を堂々と歩けるほど安全な場所ではないのだ。数が少ないとはいえ超大型のモンスターが徘徊し、見つかれば獲物を喰らおうと一方的な狩りが行われる。当然人間などひとたまりもない。
身を潜め、強大な狩人から逃れる。風もなければ足音を隠してくれるような環境音も一切存在しないため音を立ててはならず、それに加えて自分が獲物であるという恐怖と無音の無限に白い空間から来る精神への多大なる負担。それらは弱者の精神を蝕みいずれ崩壊させる。それこそが5層の本当の姿なのだ。
『ケリドウェンの仕業か?』
「彼女の仕業とは断定できない。魔力の痕跡は見つからなかったからね。彼女ならある程度まで痕跡を消すこともできるかもしれないけど」
魔人王は少しだけ考えるように黙ると変わらぬ調子で言った。
『まぁ、よい。予定外ではあるが些細なことだ。それよりもアレはどうした?』
「言われたとおり運んでいるよ。ただ時間がかかりそうだ」
男は困ったように頬をかきながら言う。アレはとにかく目立つのだ。ただでさえアーティファクトというだけで目立ち冒険者たちから狙われるというのにアレを運んでいるところを見られたら確実に冒険者たちが群がる。アレが略奪されるということはないだろうが多くの無駄な血が流れることは間違いない。そしてそれは魔人王の意に反している。
故に人目についてはならない。目立たず少しずつ運んでいかなくてはいけないのだ。
「ケリドウェン、彼女を探さなくていいのかい?」
『探すとも。ミーネに探させる』
「なるほど、了解した。じゃあ師匠によろしく」
そう言うと男の姿は光が影を消すように静かに消えていった。
そして魔人王はそれを見届けると柔らかな光が射す天を仰いだ。何か言うわけでもなく手を伸ばす。黒い炎に包まれたその手が太陽を握り込むようにゆっくりと閉じられた。それで何が変わるというわけでもない。何の意味もない行為。ただその動作はどこか悲しそうであった。
『私も甘いな』
呆れるように異世界の王は呟いた。
ダンジョン第5層 混沌の森
おかしい。歩いても歩いてもまったく川にたどり着かない。
方向は間違っていなかったはずだ。距離だってそんなに離れていたわけじゃない。なのに何故かいつまで経っても川の「か」の字もない。
「どうやら早くもドツボにはまったみたい」
「?」
「ここは混沌の森。文字通りの混沌が巻き起こる場所だもん。何が起こってもおかしくない。多分レイジが見た川は幻覚か、本当はもっと遠くにあるんだろうね」
「MA・ZI・KA☆」
「うん。んでそれに差し当たって提案があるのですが」
「提案?」
「まず、私たちが早くもこの森に遊ばれてる状態なのはOK?」
「ああ」
「今はまだ場所があやふやになる程度で済んでるわけだけどこの先森を進んでいけばさらに状況が悪化するの」
「具体的には?」
「隣にいた私がそこらへんの石とすり替わってたり、人の容姿を真似するモンスターが何食わぬ顔で隣にいるかも」
軽いホラーじゃねえか。エリアスと思って隣見たら石とかモンスターだったらと考えると恐ろしい。特に人の容姿を真似するモンスターは特に厄介だ。すぐに気がつくかどうかわからないし、本物の行方もどうなるかわかったもんじゃない。
「ということはすでお前が本物じゃない可能性もあると」
「・・・・・」
「レイジ!!そいつは偽物だよ!」
声の方を見ると木の影からエリアスが出てきた。そのエリアスは顔も髪も声も身長も来ているものさえ目の前のエリアスとまったく同じだった。
早速偽物キター。そして悲しいことに見分けがつかない。
どっちが本物なのか一瞬わからなかったが落ち着いてよくよく考えれば簡単に見分ける方法があったことを思い出した。
「ドラゴンボールでキュイを殺したのは誰?」
俺がそう聞くと元から一緒にいた方のエリアスがすぐに答える。
「ベジータ!!」
「じゃあその時のベジータのセリフは?」
「きたねえ花火だ」
うん。本物はこいつだな。普段から漫画読んでるし、もしかしたらとは思ったけどやっぱり知ってたか。でも一応のためにもう1つ聞いておこう。
「お前がその姿で俺と初めて会ったのはどこだったっけ?」
するとまた同じエリアスが答える。
「お風呂!お互い素っ裸で抱き合ってました!」
もう間違いなくこいつが本物ですわ。そしてはっきり言われると出会い方がすごい恥ずかしいな。
何らかの誤解を生むぞ。
「私の真似すんな!!」
そう言ってエリアスは自分そっくりの相手に右ストレートをかました。すると忍術でも解けるかのように煙とともにエリアスの姿が狸に変わった。狸はすぐにどこかに逃げてしまった。
「次会ったら狸汁にしてやる」
「早くもヤバイな」
「見ての通りね。そこで今みたいなことが起きないように確認しておきたいの。はい、ばんざーい」
「ばんざーい?」
つられてつい腕を上げてしまった。自分で言うのも恥ずかしいのだが俺は子供か?とりあえず言われたことやっちゃうタイプの人間なのか?こういう時だけ素直な自分の性格を直したいな。
俺が腕を上げた瞬間エリアスが抱き着いてくる。しかも気のせいか触り方がいやらしい。
「でへへ。じゃなくてなるほど、なるほど」
「はにゃあ~!?何を!?」
腹、背、肩、足いろんなところを撫でるように触られる。少しくすぐったくて、でも優しく包み込まれるようで眠たくなってしまいそうな謎の安心感。俺が童貞故の耐性のなさがこんなところで出ているようだ。
「あいつら見た目こそそっくりにできるけど細かいところまでは真似することはできないから体の感触を覚えておけば見分けるヒントになるよ」
「さっきみたいに俺らしか知らない質問すればいいのでは!?」
「念のためだって」
お前この状況を楽しんでるだろ。くそう、嬉しそうに口元緩めやがって。こっちはすごくどぎまぎしてるっていうのに。こういうとき余裕をもって接することができるのが大人ってやつなのか。俺も早く大人になりてぇわ。
「ふぅ。じゃ、次どうぞ」
「え?俺も?」
「そりゃねえ」
当然でしょ、みたいな顔してるけど知り合いで仲良いとはいえ男に体触られるんだからもう少し警戒しなさいよ。俺はお前のそういうところが心配でしょうがないよ。だがエリアスの言う通り念には念を入れておいた方がいいのかもしれない。・・・・・一応言っておくが卑しい心は一切ない。そう、これは生き残るために必要なことであってちょっと悪戯したいとか、普段触れないところを触りたいとか、そんな悪しき心はみ、微塵も・・・ない。ないんだからね!
「じゃあ失礼して」
俺は頭、肩、腹、足を簡単に触らせていただきました。ね?卑しい心はないんだよ。別にどこかがっかりしているとか、こういう時にヘタレな自分をぶん殴りたいとか、そんなことは思っていない。おっと、落ち着け俺の右手。その手は一体何をする気だ。うずく右手を押さえつつ必死に自分自身に自分の潔白を訴える。
「もっとちゃんと触ってよ~」
「今自分がとんでもないこと言ってるのわかってる?」
この子は発言の前に一度ちゃんと考えてほしいよ。いつか何も考えずに発言した結果変なことに巻き込まれたりしないかすごく心配だわ。コイツ俺より大人だよな?前に年上って言ってたような気がするし。実に心配だ。年上なのに。
「ほらほら~今ならお咎めなしで触り放題だよ~」
そう言って胸やら尻やらを強調したセクシーポーズを取り始めた。
「誘うような言い方はおやめなさいっ‼」
俺だって一応年頃である。いくら色恋沙汰に縁がなく、いざとなったらヘタレでその手のことには無頓着な方とはいえ年頃である。心のどこかで水着の女子が気になちゃう青春真っ只中の少年ということを忘れないでほしい。
「こほん、行くぞ」
少し暴走しかけたがいったん落ち着こう。体の構造を把握しなくても見分ける方法はある。そんなことよりも今は無事に川のところにたどり着けるのかが問題だ。すでに森は俺たちを惑わそうとしている。今までの手口からすると何が起きたって不思議じゃない。さっきだってエリアスになり替わろうとするモンスターは出てくるし、その後の会話もかなりカオスなものだったような気がする。慎重に進まないと冗談抜きでいつ死ぬかわからないな。
「助けてくれぇ・・・・・」
誰かの助けを求める声が聞こえた。俺たち以外にも人がいたのか。ここは4層だ。他の冒険者がいても不思議ではない。
「っ!?聞こえたか!?」
振り返るがそこにエリアスはいなかった。俺がエリアスと思っていたものは背の高いただの植物だった。
さっきまで隣にいたエリアスはどこに行った?、目を離したのはほんの一瞬の出来事だぞ。そんなすぐに姿を消せるとは思えないが。いやそもそも俺は一体いつから一人だったんだ?今?ボディーチェックの時?それとも森に踏み入った時点で幻覚を見ていた?
「助けてくれぇ・・・・・」
冷静であろうとする思考がその声に乱される。正直ナメテかかっていたのかもしれない。
この調子で進むとあっという間に森に食われそうだ。これこそがダンジョン、冒険者を希望で誘い、絶望で殺す死の世界。俺はその恐ろしさを思い知る。




