第5層の悪夢 その3
その日は雪が降っていた。別に珍しくもない、まだ冬なのだから雪が降っているのは当然、ただ「どのくらい積もるのかなぁ」と思うくらいだ。寒い。手袋もマフラーもしているのにそれを通り抜けて肌に寒さが伝わる。冬はあんまり好きじゃない。寒いし、雪は積もるし、地面は滑るし、大したイベントもない。
あの人がいなくなってかなり経つが今頃一体どこで何をしているのだろうか。心配といえば心配ではあるがあまり気にしていないといえば気にしていないことも確かだ。しばらく帰ってこないなんてことはたまにある。それでも寂しいことは間違いない。帰って来てほしい、そして「おかえりなさい」って言ってあげたい。話したいこといっぱいあるのに。
私は肩から斜めがけにしていたベルト付きの分厚い奇妙な本を手袋越しに指先で撫でた。いなくなったことはこの本と関係しているのだろうか。確かめるすべはない。
「寒い」
思わず口に出してしまう。そしてそれと同時に地面の感覚がなくなった。
「ふぇ?」
一瞬見えたのは大きな赤い文字で「お願い」と書かれた工事か何かの看板。ぼんやりしていて気が付かなかったがどうやらマンホールの工事か何かしているらしかった。そしてその穴に足を突っ込んでしまったらしい。当然マンホールの中に落ちていった。
そうして気がつくと私は異世界にいた。
「ここ、どこ?」
ダンジョン 第5層
「ねぇーもう飽きたぁ」
背中のエリアスは第5層の真っ白な景色に飽き、やることもなくなってきたのか駄々っ子になりかけていた。
「歩いてない分際で何を言ってるんですかねぇ」
当然俺も飽きた。早く上に上がりたい。このクソつまらん真っ白な景色から抜け出して背中のニート天使を放り投げてしまいたい。もうやることないよ?いろいろネタ切れよ?あのムカデモンスター倒したんだから上に行かせてくれよ。壁までまだまだ距離あるし。今頃地上は夕方くらいだろうか。こっちは地下なのに昼間みたいに明るい。光源のようなものはないはずだが一体どうしてこんなにも明るいのか不思議だ。
「暇だよぉ、ねえ暇だよぉ」
エリアスはそう言って頬ずりしてくる。
「それはわかるがあまり引っ付かないでくれる!?」
スリスリされるといろいろ困るから。
だが退屈なのは間違いない。それにモンスターの姿を見ることもない。さっきはあれほどいたのに一体どこに行ってしまったのやら。出てきてほしいわけじゃない、だが出てこないと退屈というのも事実。モンスターを倒すことに快楽を感じるサイコパスとか追い詰められることに興奮するドMではないので戦いたいわけじゃないが多少状況に変化がほしいところだ。
「今日は早めに休憩にするか」
どうせやることもないし、運がいいのか悪いのか何も起こらないし今のうちに睡眠を取って休憩するとしよう。近くにあった豆腐のような四角い建造物の中で腰を下ろす。唯一の荷物である空っぽのリュックを置いて壁を背もたれにする。
軽い食事。いつも通り天界印のカロリーメイトである。(キャロリーって言うの面倒くさくなった)
今回は周りに燃やせそうなものもないため火を使えない。そのためトン麺は食べられない。おかげで口の中はパサパサ状態だ。
食事(笑)も終えたのでさっさと休むことにする。今のところ周りにモンスターなどはいないがダンジョンという未知の空間では何が起こるかわからない。交代で見張りをすることにした。
「私そんなに疲れてないし先に寝ていいよ。・・・じゅるり」
「すごく、心配です」
主に貞操とか貞操とか貞操とかが。気がついたときには自分の大事なものが消えていた、なんてことにはなりたくない。
「信頼ゼロ!?」
「最後にじゅるりってなってるやつの何を信頼しろと?」
「・・・・・もちろん冗談だよ」
「今けっこうな間があったぞ!?」
心配なのでズズズッと座ったまますみっこの方までずれる。壁に寄りかかり休む体勢になる。それにしても床も壁も硬い。壁に関してはこれしばらくしたら絶対に背中痛くするやつだ。クッションほしいぞ。
この世界にも人を駄目にするクッションかソファがあればいいのになぁ。俺も小さい頃に座ったとき気持ちよすぎてそのまま寝ちゃったことがある。あれは確かに駄目になる。あれがあれば神器と一緒に武器庫に入れて持ち運べて取り出せるのにな。人を駄目にするクッション持ち歩いてる転生者っていうのも笑い者だろうけどな。などと考えていると
「クッションをお望みかい?」
心を読まれた。
「毎回思うんだけど俺ってそんなに考えが表に出てる?俺の思考ってそんなに読みやすいの?実は顔に出てるんじゃないかって最近すごく心配なんだけど」
俺の疑問をスルーしてエリアスは自分の足をポンポンと叩く。なんだその謎の行動。どこかで見たことあるような気はするけど。よくわからず俺が見ているとエリアスは頬を膨らませてもう一度自分の足をポンポン叩いた。何かよくわからんがとりあえず不満らしい。まさか疲れたから足を揉めと?そう言いたいのか?
「すまん、お前が何してほしいのかわからん」
一応聞いておく。これで違ったら俺は無駄にこいつの足をマッサージすることになるからだ。
「膝枕してあげようかって言ってるの!」
「ああ、なるほど」
「普通はもっと早く気がつくと思うんだけど」
そういえばアニメとかでたまにヒロインキャラとかが主人公に対してそんなことをやっていたな。異世界来てからアニメもゲームも漫画もないし、膝枕は俺には無縁すぎてすっかり忘れていた。膝枕とか無縁すぎて忘れてたわハハハ。(自虐)
俺のこれまでの短い人生で膝枕された回数なんて片手があれば数えられる程度だ。まあそのうちの9割は妹だけどね。なんて悲しい人生なんですかねぇ。
「遠慮する」
女子からの膝枕、それは男の憧れのようなもの。だが俺は断る。きっと多くの男子からは批難の嵐だろう。「なんでされねえんだ!!」「滅べこのリア充!!」「童貞!!」などと言われていても不思議ではない。ちなみに童貞って言ったやつちょっと後で職員室に来い。説教(物理)してやる。
それぞれ意見はあるだろうけどよく考えてくれ。アレに膝枕されてみろ十中八九安心して寝れないぞ。
「させてくれなかったら帰ったときに寝込みを襲われたって言いふらす」
「嘘はやめなさい!?」
くっ!そういう脅しをされたら勝てねえ。だって男である俺の言い分よりも女のエリアスの言い分の方が嘘だろうが有利だもん。本当に理不尽というか男のはそういうことには不利な生き物だよ。まともに話を聞いてくれそうなのは裁判員くらいだろうな。
俺は黙って体を横にしてゆっくりと頭をエリアスの太ももに乗せた。あ、やだ何この感覚。別に初めてじゃないんだから驚くことでもない。けど膝枕特有の柔らかくて温かい優しく包まれているようなこの感覚。これが人の温もりってやつなのか、としみじみ思う。キモいとか言わないでくれ。俺は純粋に、穢れた心なく人の温もりに感動しているだけだ。
「ど、どう?これが人肌の温もりだ、よ」
エリアスの顔は真っ赤だった。恥ずかしいんじゃねえか。
「無理すんなよ」
俺が体を起こそうとするとエリアスは無理矢理俺の頭を押えた。
そんな止め方あるか。
「あはは、誰かに膝枕するの初めてだからさ。・・・どう?うまくできてる?」
「ああ大丈夫だ」
「よかったぁ」
エリアスはホッと胸を撫で下ろした。やれやれ結局膝枕されてしまった。人を駄目にするクッションも良いがこうやって誰かの温もりに触れてみるのも悪くないのかもしれない。まあ膝枕が貴重な経験なのは間違いないしな。
「なんだかこうしてると恋人同士みたいだね」
「未だ彼女がいない俺へのあてつけか?」
やんのか?リア充か非リア充かのことでケンカ売ってるなら
「じゃあ私が彼女になってあげようか?」
「遠慮しておこう」
「ありゃりゃ振られちゃった」
エリアスは少し残念そうに笑った。そこで会話が途切れてしまった。
「ねえ、アーティファクトに飲み込まれたときどうして抱きしめてくれたの?いつもなら跳ね除けそうなのに」
唐突な質問に少し戸惑ったが俺は答える。
「お前怖がってるように見えたからさ。ああしてやれば多少安心するんじゃないかなって思っただけだ」
風の噂でハグにはリラックス効果があるって聞いたぞ。事実俺はアーティファクトに飲み込まれたとき少し不安だったけどある安心感があった。1人じゃない、抱きしめてくれる人がいるんだって、そう思えた気がした。まあエリアスも同じように感じてくれたのかはわからないが。
「ありがとう」
エリアスは俺の頭を撫でながら言った。その言葉に俺は安心してしまったのだろうか、それとも膝枕の魔力のせいなのだろうか。眠たくなってきた。しかも結構我慢できないレベルで眠たい。でもまだ寝るわけにはいかない。見張りをしなきゃ、見張り、を。
「眠たくなっちゃった?いいよ。私が起きてるから」
「悪い・・・な」
瞼が少しずつ重くなっていき瞼が開けなくなると俺はそのまま意識を失った。
「ここ、どこ?」
気が付くとそこは見知らぬ草原だった。異世界なのだから当然だ。今まで信じられないようなことがたくさんあったけどまさか異世界まであるなんて思わなかった。探索したい気持ちはあるがまず状況を整理するとしよう。私はマンホールに落ちた。その時点でアホらしいがそれについての議論は後で。
マンホールに落ちただけで異世界に転移することは当然ない。考えられる原因は空間の歪み、もしくは魔法による空間への干渉だが誰かがわざわざマンホールの中に空間の裂け目を作るとは考えにくい。
ということは原因は空間の歪みなのかもしれない。どうやら自分の不注意と悪運が原因でここに来ることになってしまったらしい。結構運は良い方だと思っていたけど今回に限ってハズレを引いてしまった、ということか。だがこれは好都合かもしれない。
ここに来るのは簡単じゃない。時間と手間はかかるが元の世界に帰ることはできる。この世界に来たのには意味があるような気がする。もしかしたらここにあの人がいるのかもしれない。可能性は低くはないはずだ。今のところ手がかりなし、世界は広すぎ、ここどこ状態で予備知識もなしの圧倒的絶望。だがそれでも探す価値はあるし、探さなければならない。
「ここにいますように」
意味のない祈りだがしないよりはきっと運に恵まれることだろう。そうして私は異世界を歩き始めた。




