新たなる始まり
交戦からどれだけの時間が経過しただろうか。どれだけの敵を倒しただろうか。そんなことさえもわからなくなってきた時、俺は初めて地面に膝をついた。全身は自分の血と返り血で赤く染まっている。それでも倒れないために、立ち上がるために剣を地面に突き立てて息を切らしながら体に力を入れる。
「これではどちらが怪物かわからんな」
口から噛み千切ったキメラの肉片と血を吐き出し、口を拭った。
「生き延びたいなら人間じゃいられない」
目の前のユリウスと短く言葉を交わす間にも、減らしたはずのキメラたちがどこからか集結する。そしてまた何事もなかったかのような見飽きた光景に戻る。同じ時を何度も繰り返しているかのような錯覚に陥りそうだ。しかし実際に時は進み続けている。体に負った傷はすぐに消えるが体力も気力も確実に消耗している。
「レイジ、お前はもう終わりだ」
「・・・だな」
倒した敵は多いが負傷も多い。どれだけ体を修復しようともいずれ追いつかなくなるか機能そのものの限界が来るだろう。そして体力も無限ではない。このまま戦い続ければきっとどこかで立てなくなって、どこかでやられる。しかし逃げることは許されない。こうして戦っている間はキメラはミスクスの人々を襲えない。俺がいる限り全ての戦力は俺に向かってくるからだ。全てを差し置いてでも俺を倒すことを優先しているのだ。
「お前がいなくなれば俺は間違いなく世界を支配する。そしてそれは永遠のものとなる」
「そうだな。きっとお前は世界を変える。そして俺がいなくなった世界で優雅に過ごすんだ」
今言ったことは間違いなく実現される。ユリウスは良くも悪くも世界を変える。そしてその頂点に立つ。俺のいなくなった世界で優雅に事を進めるだろう。悔しいが目の前のこの男にはそれだけの力がある。
そしてそれを実現する軍事力も仲間もいる。ここまでそろっているならできないことなど何もない。
「でも、もし誰かが俺と同じバカでいてくれたなら、そいつがお前を倒す」
「こんな時でも冗談か?」
「半分な」
本気になれなかったのは仲間を信用できなかったからか、それとも立ち向かってほしくなかったからだろうか。目の前の相手が倒れる姿を想像できないからかもしれない。いずれにせよ俺がこの先の出来事を見ることはない。この戦いを俺は生き残れない。希望を残すこともできずにここで負ける。敗因は圧倒的な情報不足と戦力不足。あらゆるもので後手に回ってしまった。もし相手がユリウスでなければ逆転のチャンスはあっただろう。だが俺は絶対に後手に回ってはいけない相手に対して後れを取ってしまった。
そして何よりも俺は欲張りすぎた。何もかもを守ろうとしてしまった。もし何か1つを守ることを決めていたならばこんな結末を迎えることはなかっただろう。俺はハイデンや仲間だけでなくミスクスまで守ろうとした。もしミスクスを見捨てていたなら敵がユリウスだとわかっていたなら対策手段はあっただろう。
完敗だ。
だが負けは諦める理由にはならない。最後まで剣を握り続ける。せめて、目の前のこいつらをできるだけ多く道連れにしてやる。燃え尽きるまで戦い続けてやる。血で濡れた手で剣を強く握りしめる。鼻にこびりついた血の臭いを胸いっぱいに吸い込んでより濃い血生臭さを鼻から吐き出す。気合を入れるには最悪すぎる環境だ。
「さらばだ。友よ」
俺のこの剣はユリウスに届くだろうか。それとも最後まで阻まれてしまうのだろうか。俺はそんなことを考えながら敵に向かって行く。もはや恐怖も怒りもない。今俺の中にあるのはただ戦うという使命感のようなものと後悔のような重たい感情だけだったが俺自身の破滅を悟ってか不思議と息苦しさはない。
俺は昔のことを思い返す。あの日、あの時、あの場所で。ユリウスと2人だけで交わした会話。2人しか知らない瞬間。あれが始まりだった。もし、あの日の会話がなければ俺たちはこんな風にいがみ合うこともなかっただろうか。これは必然か、すべてはこうなる運命だったのか。それともこれは避けられた未来だったのだろうか。俺たちは手を取り合って同じ道を歩いて行けたのか。俺はあの時、どうするべきだったんだ。
教えてくれよ。その天才的な頭脳で。昔、俺を魅了してくれたその言葉で。
そう言いたかった。しかしそれはできない。なぜなら俺たちはこうなることを望んでしまったから。今のこの瞬間を作ったのは俺とユリウスの2人。今さら女々しいことを言ってはならない。俺たちはこの出来事の全てに責任を持たなくてはならない。俺たちはそう生まれてきた。だから全ては内側に留めておく。
でもユリウス。お前は後悔していないのか。もし本当は後悔しているのなら言ってくれよ。
そうしたら。きっとやり直せるから。
心とは裏腹に剣と獣たちの牙が交わった。
時を同じくして魔人の王は1人、波打ち際で海を見つめていた。王の視界には何が映っているのだろうか。海の青さか、水平線か、それとももっと別のものなのか。それは誰にもわからない。王はマントと大きな魔女帽子のつばを風になびかせ、全身に纏った黒い炎を燃やしながら静かに海を見つめていた。
「随分と上機嫌じゃのぅ」
後ろから声をかけたのは長い髭を蓄え、薄汚いローブを着た魔人。メルキムスだ。傍から見てもその黒い炎を纏っていて表情すら見えない魔人王が上機嫌なようには見えない。見えるのは銀色の不気味に光る丸い目だけだ。それだけを見てわかるのは付き合いの長さ故だろうか。
『上機嫌にもなる。ようやく物事が前に進むのだ』
「全ては手のひらの上というわけか」
『全てではない。動かせる駒を動かしているだけだ。それより魔人たちに伝えておけ。「備えろ」とな』
「冬支度か?」
『いいや。「戦争」だ』
ある日、エルドニアの首都、ミスクスが謎の勢力によって占拠された。国王である神官太子は隣国のハイデン王都にて保護されたが事実上の陥落だ。そして数日後、同じくエルドニアの隣国であった小国サイアンは完全に壊滅、怪物の巣窟となっていたことが発覚した。国を守護する水龍神は湖の畔で死んでいるのが見つかった。国の中に生存者はすでにおらず、全滅したものと思われる。
ミスクス陥落から2週間が経つ頃にはエルドニアはキメラの大群の侵攻によって国土の約3割を失った。
神官太子はエルドニア全土の軍隊に首都奪還の命を下し、すぐに戦争が始まった。いや、それは戦争と呼べるものだったのだろうか。一方的な虐殺だったのではないだろうか。戦争が始まって直後はエルドニアの聖騎士たちが優勢だったが戦況はすぐに劣勢に傾いた。キメラたちの物量が全てを踏み潰したためだ。
エルドニアの全戦力約25万人に対しキメラたちの総数は推定30万体以上。正確な数は不明だ。いくら倒しても死んだキメラの亡骸が新たなキメラを作る。終わりのない戦いが続いた。兵士の激減と疲弊は積み重なり1か月も経つ頃にはエルドニアは国土の半分を失い、そのさらに1か月後には当然のように国はキメラで溢れた。
神導国家エルドニアは事実上の敗戦、崩壊した。これにより保たれていた世界の均衡と平穏は崩れ去り世界の歴史を大きく動かすこととなった。エルドニアの崩壊後、キメラたちの侵攻は止まったが世界はかつてないほどの緊張状態へと包まれた。そして人類は新たなる時代へと突入した。その時代は始まってすぐにこう名付けられた。
『暗黒時代』と。