水流の導き
エルドニアへの旅を始めて4日が経過した。
しかし未だ神導国家エルドニアへの道程は遠い。今まではどれだけ遠くても全てハイデン王国の中の話だったが今回はついに国の外へ出るのだ。移動距離は今までの比ではなかった。4日経過した今でもまだ荷馬車に揺られている。俺たちの目的地はエルドニアだがそこにたどり着くためにはいくつかの小国を通る必要があった。まず俺たちが目指していたのは水の国サイアン。エリアスによるとサイアンは水の国というだけあって水上にあり移動手段は主に船らしい。
とても珍しい国だ。こんな危機的な状況だがちょっとだけワクワクする。
「どんな国なんだ?」
「水がとっても透き通ってて綺麗なところだよ。治安もいいし。あっここだよ。降りよう」
俺たちは荷馬車から降りる。しかし目の前には森こそあるが水もなければ国らしい国も見えない。この世界にはわかりやすい国境線はない。一応俺達がいるのはまだハイデン王国の領土のはずだがどこからがハイデンでどこからがサイアンなのかはわかりづらい。
「本当にここなのか?」
「サイアンはこの茨の森を抜けた大きな湖の中心にあるの」
エリアスは茂みをかき分けズカズカと森の中に入っていく。俺もそれに続いて森の中へと入っていく。まだ昼間だというのに森の中は木の葉が空を覆って薄暗い。足元も平らではないし十分注意しなければ危ない。かなり強引に森に入ってしまったがもしかして本当は道らしい道があるのではないだろうか。俺たちの歩いている場所は道らしい道が一切ないが本当にこっちであっているのだろうか。少し心配になってきた。
「わわっ」
コケそうになったエリアスを支える。
「本当にこっちで合ってるのか?」
「おっかしいな。前に来たときは道があったはずなのに」
「・・・ちなみにいつの話だ?」
「510年前くらい?」
まあ何というか。それだけ時間があれば道くらい変わるよね、という感じだ。なんとなくわかってはいたがやはりと言うべきかこういう時のエリアスはどうにも信用できない。500年以上も前の記憶は当然だが何の役にも立たない。引き返すには進みすぎてしまったし、このまま道なき道を進むしかなさそうだ。
「あの手紙の差出人、誰だと思う?」
「わからん。見当もつかない」
話は今回の旅の発端である手紙へと移った。差出人不明の手紙。届け先さえも書かれていなかった手紙は当然届くはずがない。しかしこの手紙は家に来た。そんなことができるのは俺の家を知っている人だけ。エリザベート率いる王国騎士団かあるいは敵。だが騎士団がキメラの情報を掴めているようには思えない。そして敵がわざわざ自分たちの動向を俺に教えるとも思えない。
俺への挑戦状というわけでもないだろう。俺に情報を与えるようなことをすれば敵の計画は少なからず狂う。そんなリスクを背負いたくないはずだ。候補らしい候補はすべて潰れてしまっている。ならば考えられる可能性は1つ。
俺の知らない第3の勢力。しかしそれが俺に手を貸すのか。うーむ、やはりわからん。わからんが事態は決して小さくないということだけはよくわかる。この戦いは前とは何もかも違う。今度は国を丸々1つ巻き込もうとしている。この戦いがどう終局を迎えるのか全く予想できない。そして情報が皆無なせいで戦況が全く見えない。
あらゆる点において後手。敵をかき回すどころかこちらが正体不明の何かにかき回されているような感覚だ。
「見て森を抜けるよ」
考え事をしているうちにゴールが見えてきたらしい。第1の目的地であるサイアンはすぐそこだ。
森を抜けて最初に目に入ったのは大きな湖だった。あまりにも大きすぎて一瞬、道を間違えて海にでも来てしまったのかと錯覚してしまった。そして湖の中央、遠くに見える水上にそびえ立つ塔のような建物がサイアンだとすぐにわかった。
ようやく到着したか。何事もなくたどり着けたことに安堵する俺だったが、その安堵も風に吹かれた紙屑のようにすぐにどこかへ飛んでいってしまった。湖のすぐ近くの地面に足跡を見つけたからだ。動物の足跡だ。直感でそれがよくないものだと分かった。土の乾き具合を見る限り数日前のものなのがわかる。足跡は複数あり、同じようなものもあれば明らかに違うものも混ざっている。
「動物の大移動ってわけじゃないよな」
すでにキメラたちの侵攻は始まっているということだろうか。それもこんなに静かに。普通に考えれば国が攻め落とされたとなれば騒ぎになっているはずだがここ最近でそんなビッグニュースは一切聞いたことがない。
「サイアンにはどうやって行くんだ?」
「本来なら舟渡しをしてくれる人がいるはずなんだけど、この状況ならどうかな」
サイアンに行くことができなければエルドニアへの道はかなりの遠回りになってしまう。それはまずい。
本来の経路はまずサイアンを目指し、その後サイアンから船で水流に乗っていくつかの国を経由しながらエルドニアへと向かうはずだった。しかしそれができなくなったとなると話が大きく変わる、移動手段は歩き。しかしそれではあまりにも遅すぎる。こっちは何かが起こる前にエルドニアにたどり着きたいのだ。
どうしようか悩んでいた時、頭の中に電流が走った。名案を思い付いたわけではない。気配を感じたのだ。何かが近づいてくる気配だ。とても速く、強い今までに感じたことのないものだ。サイアンのある方から水の中を泳いでこちらに近づいてきている。俺は武器を手に取り身構える。キメラだろうか。そうだとしたらこの個体はかなりの強敵だ。勝てるかどうかわからない。
緊張の一瞬。水しぶきが上がり水中のそれは姿を現した。向かってきていたものの正体は巨大な龍だった。龍から発せられる魔力のオーラは明らかにそこらの生物から感じられるようなものではなく、強大で洗練されている。水中から姿を現して初めてキメラとは違う気配だということがわかった。この龍は一体?
「お久しぶりです。エリアス様」
「水龍神じゃん」
いろいろと困惑している状態の俺を放って2人はごく自然に会話を始める。かなりいかつい見た目の龍だがどうやらエリアスの知り合いらしい。エリアスの体が爆散する前、つまりは500年近く前からの旧友ということだ。
「サイアンに何か変化は?」
「数日前にキメラの襲撃を受けましたがすべて排除しました」
やはりキメラの襲撃があったのは事実だった。しかしサイアンは何事もなさそうだし水龍神の言う通り返り討ちにしたのだろう。サイアンは水の上に国があるため攻めにくい。国の中に入れるのは水中に適したキメラと空を飛べるキメラだけだ。キメラの戦力は大半が陸上の生物であるため戦力が大きく減少し攻めきれなかったというわけか。
水龍神は何かを探すように周りを見回す。
「ルミエル様のお姿はどこに?気配を感じたと思ったのですが」
ルミエル。また知らない単語だ。名前からして天使っぽい名前だがそれもエリアスの知り合いなのだろうか。水龍神は気配を感じたと言っていたが俺は今この瞬間まで水龍神とエリアスの気配以外は何も感じなかった。どこかに誰かいたのか?
「ルミエル様はここにはいないけど?」
「そうですか。どうやら少し舞い上がって勘違いしてしまったのかもしれません。ところで」
水龍神がこちらを見る。
「こっちはレイジ。旅の仲間なんだ。そしてレイジ、こっちは水龍神。サイアンの守り神的なやつだよ」
水龍神の説明が全体的にふわっとしすぎだろ。まあ確かに守り神的なものなのは見た目からなんとなく察してはいたが。
水龍神が顔を近づけてくる。大きな顔がすぐ目の前にあって怖い。鋭い牙に、鋭い眼光。龍というだけあってとても強そうに見える。水龍神は鼻を鳴らして俺の匂いを嗅ぎ取る。目の前でにおいをかがれるというのはあまりいい気分ではないな。とりあえず変な臭いはしない、と思う。多分。ちょっと汗臭いかもだけど。
「お前からは血の臭いがする。いくつもの修羅場をくぐり、敵を殺し、内側に血生臭いドロドロとした野望を抱えている。まるで大戦中のエリアス様のような臭いだ」
エリアスはそう言われて恥ずかしそうに頭をかく。いったい今の俺からどんな臭いがしているんだか。当然だが俺からそんな香りはしない。汗臭くはあってもここ4日は何とも戦っていないからな。本質、心の内側を見られているということだ。水龍神なんて名前が付いているだけあるな。
「しかし同時にどこか穏やかな匂いだ。まるで草木のような自然。お前は2つの心を持っている。そしてそれらがひしめき合っているかのようだ」
「俺は多重人格者じゃないぞ」
「助言してやろう人間。2つの感情は2つともお前の心だ。だがお前は常に2つの心で2つの正反対のことを考えている。非情と有情。お前は必ずどちらかの選択を迫られる。せいぜい後悔しない方を選ぶことだな」
何かいろいろ小難しいような単純なようなことを言われたが要するに「後悔しないように気を付けろよ」ということを言いたかったのだろう。もちろんこれまで後悔しない選択をしてきたつもりだ。そしてこれからもそうするつもりだ。
「私たちエルドニアに行きたいんだけど舟とか貸してくれない?」
「舟はありませんが代わりに我が力でお送りいたしましょう」
水龍神がそう言うと突如、静かだった水面が渦を巻き始めた。ものすごい勢いで渦は回っている。洗濯機とかそういう次元ではない。これはもう台風と同じくらい勢いよく回っている。
「さあ渦の中へ。この水流に乗ればすぐにエルドニア近辺の川に流れ着くでしょう」
いや、この勢いの渦は死ぬだろ。どう見たって入ったが最後、体がバラバラになるわ。だって舟すら破壊しそうなくらい勢いよく回ってるよ?これに飛び込んだら人間なんて簡単に現世からさようならだよ。
「どーん‼」
体が宙に浮いた。地に足が付いていない。視界が逆さまになっている。
「は?」
エリアスに後ろから蹴られたのだ。見えたのは笑顔のエリアスの顔だった。
「この人ごろs☆&*#%‼」
言い切る前に俺は頭から渦の中に突っ込んだ。
レイジたちが渦に飛び込み水流に流された後、誰もいなくなった湖で水龍神は大きな体を揺らし、頭を地面に叩きつけて倒れた。大きな口の中からは真っ赤な血が漏れ出している。そして倒れた水龍神の頭を突き破り、何かが姿を現す。それはクモとハチが合体したような気味の悪い姿をした虫だった。虫は血まみれになりながら水龍神の頭から飛んで地面に着地する。
「ユリウスの読み通りって感じか?」
そしてその場にいたアフロ頭の男の手に乗った。
「にしてもえぐいなぁ。まさか死体に寄生して生前の状態を完全再現できるんだもんなぁ」
男は手に乗った虫を見て呟く。
「まあいいや。とにかくあいつらはエルドニアに行ったし俺の仕事は終わりだ」
男はそう言ってその場から立ち去った。
レイジたちが立ち寄らなかったサイアンは広い湖の中央にある。そのため外側の陸地からでは国の中が見えない。だからレイジたちは気が付かなかった。
サイアンに人が誰もいなかったことに。
そして虫に死体を寄生されたために完全再現された水龍神の気配に隠れていて気が付けなかった。
水中に息を潜めていた数百を超える水中型キメラの存在に。