また日常へ
唇と唇が触れ合うまさに直前、夢から無理やり叩き起こされるように不意に心臓が大きく鼓動を鳴らした。そして俺はぼんやりとしていた意識を完全に取り戻した。目の前にゾイの顔があったせいで自分の顔が熱くなるのを感じた。俺はすぐに身を引く。
「ま、まあそうゆうことだから‼明日には帰るからな‼そいじゃな‼」
俺は気まずくなってその場から逃げた。俺は何をやっているんだ。普段の俺ならあんなことは絶対にしない。疲れが抜けてないのか。あのままふわふわ意識のままだったらどうなっていたのかを考えると照れくさくて仕方がない。美女とのキッスを逃したことの後悔よりそのままゴールインすることの恥ずかしさの方が勝る。
町中でイチャコラしてるリア充ってすごいんだな。思い知ったよ。
出会って数日の関係だというのにABCのうちのAを危うく実行してしまうところだった。疲れているのだろうか。どうにもゾイといると落ち着かない。ゾイに抱く感情はせいぜい恐怖と尊敬に近い感情だ。一目惚れしたわけでもないし恋情などあるわけがない。しかしどうしてか耳の奥がくすぐったいようなどこかじれったい気持ちになる。
「まったく、何やってんだよ。俺は」
俺は自分の頬を叩いて気持ちを切り替える。自分でいうのもなんだがしっとりしてるのは俺に似合わない。もっと頭を空っぽにした勢いだけのわかりやすい元気と体力だけが取り柄の俺の方が俺らしい。いつも通りいこう。いつも通りに。
俺が自分の部屋に戻るとゼオが待っていた。
「体の調子はどう?」
「何の問題もない。まあ、まだちょっと疲れてるかもしれないけど」
ゼオの様子は戦いの以前と変わりない。相変わらず背は小さいし、軽く押しただけで倒れてしまいそうな貧弱そうな体をしている。しかしどこか雰囲気は少しばかりだが変わったように感じる。他人がそれを感じ取るのは難しいだろうが出会った時よりもわずかに、ほんのわずかにだが逞しくなったように思える。
「何か感じられたか?」
「うん。夢でも見てたんじゃないかって思うけど、レイジの言っていた通り僕の中にも勇気があったんだ。本当に何もかもレイジの言う通りだった。自分の勇気に気が付いてなかっただけなんだ」
「そうか。けど間違えるなよ。勇気は愚かさと紙一重だ。立ち向かうのが必ずしも正しいとは限らない。俺があの場にいなかったら危なかったぞ」
「それはお姉ちゃんにも怒られたよ」
ゾイが怒った、か。冷たいように見えるが内心では弟が大切で心配なんだな。でなければそうやって叱ってくれるはずはない。怒っているから叱るのではない、思っているから叱るのだ。怒るのと叱るのは違う。叱ってくれる人がいるのは自分を思ってくれる人がいるということ。それはきっと幸せなことだろう。なんだかんだとありつつもしっかり大切にされているようで良かった。
今回の出来事は良い出来事ではない。だがゼオが良い方向に変わるきっかけにはなったと俺は思う。人は突然には変われない。人が変わるにはきっかけが必要だ。それが良いことであれ悪いことであれだ。
「・・・明日には帰っちゃうんだよね」
「そろそろ帰らないと家のニートとおこちゃまがうるさくなるし、遅くなると帰ったときにお嬢様の目が厳しくなるからな」
かれこれずっと会っていないが今ごろ皆何をしているのだろうか。俺の帰りを待ってくれている、とは考えにくいな。どうせ皆でどこかへ遊びに行ったり、ちょっと豪華なもの食べて楽しんでいるんだろう。そしてまた俺だけがこうして体に鞭打って働いているんだろなハハハ。社畜バンザイだ。別に恨んだりとかはしてない。ただちょっと羨ましいなと思うだけだ。あとちょっと悲しくなるだけ。
「僕、レイジのおかげで少しだけ変われた気がするよ。ありがとう」
「若者の悩みを聞くのは年上の義務だ。気にするな」
そうしてまだ別れの瞬間でもないのに小さな背丈の少年と頭空っぽの少年は握手を交わした。背丈も性格も育ちも手の大きささえも違うし、たった2、3日の間だけ一緒にいただけだったが2人の間には確かに男同士の友情が生まれていた。何もかも違う2人の少年だったが互いを思い合うその心だけは同じであった。
ゼオが帰った後、俺はベッドの上で横になりながらぼんやりと天井を見上げていた。ぼんやりとはいえ頭の中では明確にキメラのことを考えていたのだった。今まで大して気にしていなかったがどうやらあまりのんびり過ごしてはいられないらしい。
加賀は裏で何かをしている。それも1人でじゃない。記憶が正しければ加賀は仲間がいると言っていた。おそらく敵は少なくとも5人以上。規模はかなり大きいとみるべきだろう。今回の戦いを見る限りキメラを生物兵器として売り出しているように見えた。
おそらくだがもっと広範囲でキメラが売り出されていてそれが加賀たちの活動資金の一部になっているはずだ。キメラたちの売られている場所を特定し、金の流れを追っていけば加賀たちに辿り着くだろうか。いや、それは加賀もわかっているだろう。それにこの世界でキメラは神の法という世界共通の法律で定められた禁じられた生物だったはずだ。そんなものを売っていれば闇市だろうがすぐに知れ渡る。大っぴらには売っていないのか。
金の流れを追うのも、加賀たちに辿り着くのも難しそうだ。
キメラは放置しておけない。だが加賀を見つけない限り殲滅もできないし、キメラ自体も出会いたくて出会えるものじゃない。悔しいが後手に回り続けることになるかもしれない。
思い返してみればここに来る前にボウガンを持ったガスマスクの男と戦ったっけか。今思えばあいつもあの盗賊たちの仲間だったのか。男の持っていたボウガンも加賀たちが売りつけたものなのかもしれない。
どうやら本格的に奴らの動向を探らなければならないようだ。
だがとりあえず、明日は帰る。まずはそれからだ。
眠りについた俺が次に目を覚ました時、外はちょうど白み始めていた。俺は体を起こして荷物をまとめる。もうここから出なくては。まだ朝早いが今から帰っても家までは2日くらいはかかるだろう。ここからまた長く退屈な道のりだ。乗り物でもあれば楽なものだがこの世界には馬くらいしかまともな乗り物はない。だが俺に乗馬の才能はないので歩いて帰るしかない。
巨木の中の螺旋階段を下りて門をくぐり集落から出た。しばらく進むと俺を待っている人がいた。
「来たか」
「別に見送らなくてもいいんだぞ」
「貴様に渡し忘れていたものがあったのを思い出してな」
「?」
ゾイはそう言うと俺に1本のナイフを渡してきた。そのナイフはかなり使い込まれていて刃はしっかり研がれていたが持ち手に巻かれた薄汚れた布や刀身全体がボロボロで使い込まれている品であるのがひと目でわかった。
「これは?」
「荷物運びの報酬とは別に集落を守った報酬だと思え」
「いいのか?手に馴染んだ武器だろ?」
ボロボロになるほど使い込み、手に馴染んでいるはずの使い慣れた武器を手放すなど普通ならば考えられないことだ。
「かまわん。そろそろ新しいのを作ろうと思っていたところだしな」
ゾイはそう言っているがこのナイフはこんなボロボロの見た目でもまだまだ使えるように見える。刃には刃こぼれ1つ見つからないし、側面に細かい傷こそ付いているが折れるようには見えない。持ち手の布も交換して巻き直せば何の問題もないはずだ。
俺はなんだか申し訳なくなって何か返せるものはないかと考える。
「じゃあ、大したものじゃないがお返しにこれやるよ」
俺はそう言ってゾイの頭に笠を被せた。テルシャ族の集落に来る途中で見知らぬオッサンにもらった笠だ。「やるよ」と偉そうに言っているがそもそも俺のものではないしもらったナイフと価値が釣り合っているようにも見えない。しかし俺に返せるようなものはこれくらいしかなかった。
「笠か。ありがたく頂戴するとしよう」
ゾイと俺は最後に向かい合い互いの目を見た。
「次に勝負するときは私が勝ってみせる」
「やれるもんならやってみろ」
差し出された手を強く握った。
突きつけられた挑戦状、そして買い言葉。いつかこの挑戦を受ける時が来るだろうか。できることなら来てほしくはない。俺は常に何かしらの問題を抱えている。俺が再びゾイやゼオに出会うということは2人を再び問題に巻き込むということだ。だから俺はできることならこの再戦が実現しないことを願っている。
少なくとも問題が解決するまでは。
不意にゾイが俺の手を引っ張った。体がゾイに引き寄せられた。
「ふぁっ!?」
と、まあこんな感じでテルシャ族の集落に行ってきました。長かったなぁ。実際はほんの数日の話なんだが正直俺自身もとても長く感じた。もしかしたら話が長いしつまらないから眠ってしまった人もいるかな?
ん?最後ゾイに手を引っ張られたときに何があったのか?おいおい野暮なこと聞くなよ。青春時代のど真ん中にいる年頃の少年少女にはいろいろあるんだよ。そんな人前で言えるわけないだろ。まったく恥ずかしい。
俺はゾイにもらったナイフを手に取って眺めていた。
「随分お楽しみだったみたいですなぁ旦那」
そう言って俺の背後から抱き着いてきたのは久しぶりの登場、元天使で現在ニートライフを満喫中のエリアスだった。その表情は何か気に食わないことでもあるのか頬を膨らませている。
「どういう意味だ?」
「別にぃ?知らないならいいですけどぉ」
「なんだよ。気になるだろ」
「ひみつ!」
「教えろよ!」
ナイフを机に置いて俺は逃げるように去っていたエリアスを追いかける。
こうして俺はまた日常へと戻る。また少し歪められた日常を生きていくのだ。
テルシャ族の女が男に刃物を送るのは信頼の証。その刃物が送った女が使い込んでいたものならばそれはより高い信頼の証だ。その意味は「あなたを逃がさない」。
冒険王旅日記3巻 「テルシャ族」より




